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身近な長大編成

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 物事は何でも長ければいいというわけでもないが、長い編成の列車には迫力があっていい。16両編成の東海道新幹線もそうだし、20両のコンテナ車を連ねる高速貨物列車もまた然りである。

 そんな長い編成の列車の中で、私にとって最も身近で頻繁に目にするものと言えばやはり、山手貨物線を通る湘南新宿ラインのE231系電車である。

 この湘南新宿ラインのE231系は、そのほとんどが15両編成で運転されている。東海道本線や東北本線、高崎線の電車と同じ長さではあるが、山手線の11両編成、埼京線の10両編成といった長さの通勤電車を見慣れている山手貨物線界隈では、さすがに「長いな」と感じさせる編成である。

 そしてこの15両編成が特徴的なのは、編成の中にさまざまなアクセントがあることである。

 何と言っても目立つのは、4号車と5号車に組み込まれた二階建てのグリーン車である。ここだけが上にも下にも出っ張っていて、一番目に付く。

 それから、10号車と11号車が先頭車同士でつながっているのもいいアクセントである。

 細かいところでは、8号車に貼ってある「弱冷房車」の水色のステッカーも挙げられる。

 また、外観からはよくわからないが、グリーン車以外の普通車には、ロングシートの車両とセミクロスシートの車両がある。私はそれも確認しながらこの編成を眺める。そして、普通車に乗るとしたら絶対にセミクロスシートの車両に乗り込み、ボックスシートに座りたいと思いながら見送るものである。

 こうやって書いてみると、E231系の15両編成はずいぶんとデコボコした編成であることに改めて気付かされる。統一感がなく、いわゆる編成美というものも感じられない。

 しかし、さまざまな役割を負った車両がその編成の中に組み込まれているというのもまた、長い編成の魅力であると言えるだろう。

 そんなE231系15両編成を日常の中で眺めながら、私はいつも、この列車で旅立つ日のことを想っている。


湘南新宿ラインE231系電車 山手貨物線恵比寿駅~渋谷駅にて 
2011.10.9
by railwaylife | 2011-11-29 23:06 | 湘南新宿ライン | Comments(0)

川の名の駅

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 今月の初め、隅田川駅の「貨物フェスティバル」を訪れたときにふと思ったことだが、川の名を付けた駅名というのは、けっこうあるものだ。

 しかし、川の名を駅名にするのは、ふさわしくないようにも感じる。

 それは、川が長い「線」であるのに対し、駅というのは一個の「点」にしか過ぎないからである。たとえその駅が川沿いにあったとしても、長い「線」を指す川の名を、一箇所の「点」の名として使ってよいのかという気がする。例えば、隅田川駅は千住にあるが、別にこの名の駅は、浅草にあっても両国にあっても浜町にあっても佃にあっても良いわけである。

 隅田川にしてもそうだが、一つの川がいくつもの路線と交わることは多い。そんな中で、ある路線だけがその川の名を占有してしまってよいものかとも思う。

 ただ、そういう川の駅名には、何か力強さがあるように感じる。ここがこの川の駅だ!という強い自己主張である。

 たとえば、東海道本線の富士川駅や天竜川駅はその好例ではないかと思う。

 富士川には身延線、天竜川には飯田線という路線が長く寄り添うのに、両線にはそれぞれの川の名そのものを冠した駅はない。

 それに対して、下流をちょっと横切るだけの東海道本線が、その川名の駅を堂々と持っている。そこには、天下の東海道本線様がその川を渡るのだから、そこがその川の駅なんだ、という強さが感じられる。そんな東海道本線に、身延線や飯田線は「ははぁ」と言って平伏するしかないといった感じである。



 ところで、考えてみると隅田川駅というのも、この川沿いにある駅の中では特殊な存在である。行き止まりの大きな貨物ターミナルだからである。ここを拠点にして、各地へ向かう貨物列車は多い。特に、東北すなわち陸奥(みちのく)へ向け出発する貨物列車が何本もある。

 そういえば隅田川駅のある千住は、かの松尾芭蕉が「おくの細道」へ向けて旅立った場所でもある。



千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそゝぐ。

  行く春や鳥啼き魚の目は泪


(松尾芭蕉『おくの細道』)



 こんな芭蕉の旅立ちが、隅田川駅を発つ貨物列車の姿に重なる。いや、貨物列車の旅立ちに「離別の涙」とはちょっと大袈裟かもしれないが、遠い地に向け荷を確実に運ぶという使命を帯びた貨物列車が日に何本も発っていくこの「旅立ちの駅」は、東京を代表する川の一つである「隅田川」を名乗るのにふさわしい駅であるのかもしれない。

by railwaylife | 2011-11-28 23:33 | | Comments(2)

色付く木々に魅せられて

 この秋一番の冷え込みと言われた先週火曜日の朝、渋谷の宮下公園に立ち寄ってみた。

 先々週あたり、いや、もっと前からかもしれないが、この公園の木々が色付き始めているのを、通勤の山手線の車窓から何度も何度も確認していた。それをじっくりと眺めるために、この日は公園へ足を運んだ。

 去年のちょうど今頃、園内整備のためということで、この公園に立ち入ることはできなかった。それで、色付く木々を公園の外から眺めるしかなかった。

 でも、今年は何の遠慮もなく園内に入ることができる。そのことが、何より嬉しかった。このときを、去年からずっとずっと待っていた、と言える。
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 もっとも、木々の色付きと言っても、ここの公園の木々は、いわゆる紅葉のように美しく色を付けるわけではない。雑多な木々の雑多な葉が、雑多な色になっていた。それを「美しい」とか「奇麗だ」とか言えるのかどうかはわからない。

 でも、そんなことはどうでもよかった。ただ、色付く木々があり、その色に魅せられ、その木の下で私は立ち止まり木の葉を見上げている。それだけでよかった。
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 そんな木々の脇を、待ちかねた251系電車が静かに通り抜けてゆくのを、私はじっと見送っていた。
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251系電車「おはようライナー新宿」26
山手貨物線渋谷駅~新宿駅にて
2011.11.22
by railwaylife | 2011-11-27 22:32 | 251系 | Comments(0)

いまの世田谷線

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 東急世田谷線の沿線で、カメラを片手にその風景を眺めたり撮ったりしながら歩いていたとき、近くを何人かの女性が連れ立って通りかかった。よくは見なかったので、どのくらいの世代の人たちかはっきりとはわからなかったが、何やら話しながら歩いて来た。

 そして、線路際でカメラを持ちながら佇む私の横をその人たちが通り抜けた後、中の一人から発せられた言葉がはっきりと聞こえた。


 「あたしは昔の世田谷線の方が好きだな」


 私がそこにいたから、そんな発言をしたのだろうか。私に聞こえるように言ったようにも感じた。それにしても、昔の世田谷線をよく知っているような物言いをするとは、声を聞いた感じやその気配から感じるよりも年配の人だったのだろうか。

 そんなことは置いといて、その人の言う「昔の世田谷線」というのは、緑色の80形や150形といった、玉電の残党が走っていた時代のことを言っているのだろう。たしかに、今の近代化された300系よりは風情のある時代であった。私も、そんな時代の世田谷線をちょっと知っているだけに、懐かしく感じられる。





 だが、世田谷線に限らず、何事も「昔はよかった」みたいな話をすると、その途端に今がつまらなくなってしまう。最近の私には、それがものすごくもったいないことのように感じられる。

 もちろん、古きよき時代というのはある。特に昨今は、より速く、より便利に、より効率的にという人間の欲望を追求し過ぎた結果、味気なくなってしまったものが多いように感じる。そんなときに人々は「あの頃はよかった」という郷愁に浸ることになる。

 それはそれで、大事なことであると思う。特に若いときのことは「青春」という言葉で大切にされる。そんな思い出に生きるのもいいだろう。

 だが、今は今を生きるしかない。どうあがいても、過去を生きることはできないし、未来を先取りして生きることもできない。

 それならば、その今を、精一杯に楽しむことだと思う。だから今、この色とりどりの300系が走る世田谷線の風景も、精一杯に楽しむことだ。私は、そう強く思う。

 こうして生きる今も、たちまちに過去になる。そのときに私は、この今のことがいい思い出として残るようにしたい。玉電の残党が走っていた時代もよかった、でも、300系が走っていた時代もよかったな、と思えるようになることである。それが、この今を生きた証である。

 また、今を大切にする理由はもう一つある。それは、未来との関係から来ることである。

 まだ来ぬ「いつか」に想いを馳せることは生きる希望であると言える。その「いつか」が来るまで、生きながらえようと思うからである。

 しかし、その「いつか」は、もしかしたら来ないかもしれないということを覚悟する必要もあると思う。どんなに自分が望んでも、自身の力ではどうしようもないことで、その「いつか」が来なくなってしまうということである。

 それを思うにつけ、私はこの今を大事にしたいと、余計に思うようになった。来るか来ないかもわからない「いつか」を想うよりも、今あるものを精一杯に楽しみ、今できることを精一杯にやりたいと思う。

 実は、そんな日々の積み重ねが、未来を呼ぶのではないかとも思っている。それが、希望であるということである。

 そんな想いまでも含めて、私はこの「いまの世田谷線」の風景を、心の底から楽しんでいる。


東急
300系電車(303F) 東急世田谷線に西太子堂駅~若林駅にて 2011.11.12
by railwaylife | 2011-11-26 11:03 | 東急世田谷線 | Comments(0)

サルビアエレガンス、世田谷線

 東急世田谷線沿いを歩き「野路菊、世田谷線」の風景を見つけた後、また別の花を線路際に見つけた。
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 鮮やかな色と特異な形状から、外来種だろうなという気はしていた。ただ、やはりその名は知らず、単に「赤い花」越しの電車という風景を待ち構えるだけになってしまった。
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 さて、そんな「赤い花」越しには、どんな色の世田谷線が現れるだろうか。そう思って待っていると、まず現れたのは緑色の304Fであった。
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 葉の色と同じなので、どうも花が際立たない気がした。

 それでもう一本待ってみようと思い、次の電車を迎えてみると、今度は花と同じ赤系統の車体を持つ305Fであった。
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 これではやはり、花は際立たない。それこそ黄色い車体の306Fが来ればよかったのになとちらと思ったが、まあよい。こんなふうに、花と電車の色の組み合わせの妙がさまざまに楽しめるのも、世田谷線ならではのことである。
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 ところで、この「赤い花」の名を調べてみると、サルビアエレガンスという名であった。ちょっと長い名前だし、世田谷線という響きともどうも合わない。

 でも、そんな両者の取り合わせも、また楽しいものであった。


東急
300系電車 東急世田谷線三軒茶屋駅~西太子堂駅にて 2011.11.12
by railwaylife | 2011-11-24 22:46 | 東急世田谷線 | Comments(0)

野路菊、世田谷線

 街を歩いていて花があると、ついつい気になる。そして、もしその花の名を知らなかったら、何という花だろうかと余計に気になる。ましてやそんな花が、線路際にあったなら、もっと気になるものである。

 世田谷線沿いを歩いていたときにも、そういう花が見つかった。名も知らぬ白い花が、線路脇にひっそりと咲いていた。
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 調べてみるとこれは、野路菊という花であった。菊の一種であろう。
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 菊と言えば晩秋を代表する花であるが、思い浮かぶのは人工的に育てられる大きな花ばかりである。そんな菊の花が線路際には滅多にあるはずもなく、菊越しの列車を眺めるということなど、私ははなから諦めていた。
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 しかし、こうして小さいながらも菊の花越しに、世田谷線の往く風景を眺めることができた。もっともこれが菊の一種だと知ったのは後からで、このときはただただ「白い花」越しの電車を見送る、というだけであった。

 それにしてもこの野路菊は、少し小さ過ぎた。電車を入れるために引いて撮ると何だかよくわからなくなってしまった。でも、これも秋らしい風景には違いない。

 ところで、このときやって来た電車は旧玉電の塗装を模した301Fであった。その野路菊越しの301Fの写真を見ながら私は、かつての玉電の線路際にも、野路菊は咲いていたんだろうか、と想いを巡らせてみた。


東急
300系電車(301F) 東急世田谷線西太子堂駅~若林駅にて 2011.11.12
by railwaylife | 2011-11-23 10:26 | 東急世田谷線 | Comments(0)

蜜柑越しの世田谷線

 蜜柑のなる風景というのは、季節感が曖昧である。一口に蜜柑と言っても、その実がなる時期は品種によってさまざまだからである。早生みかんといって、秋のだいぶ早い時期に収穫されるような品種もある。また、年が明けてから収穫されるものもある。

 だから、蜜柑のなる風景は、秋の風景と言ってよいのか、冬の風景と言ってよいのか、よくわからない。

 ましてや、その蜜柑がまだ青かったりすると、余計に季節感がなくなるように思う。

 しかも、青い蜜柑を風景の中で際立たせようとするのも、なかなか難しいことである。

 それなのに、青い蜜柑越しの世田谷線を狙ったら、実と同じような色の電車が来てしまって、余計に実の判別がつきにくくなってしまった。
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 そもそも、青い蜜柑の色は暗い。
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 だから、この実が黄色くなったらその風景をまた楽しみたいと思ったが、いったいこの蜜柑がいつ黄色くなるのか、それも正直わからないところである。


東急
300系電車 東急世田谷線若林駅~松陰神社前駅にて 2011.11.12
by railwaylife | 2011-11-22 23:31 | 東急世田谷線 | Comments(2)

幸せの黄色い電車

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 東急世田谷線に乗り、途中で「季節はずれのあじさい列車」を眺めた日、沿線にやけに撮影者が多いことに気付いた。

 いったい何を狙っているのだろうと思ったが、どうやら狙いは黄色い車体の300系306Fのようであった。東急世田谷線と都電荒川線がタイアップし「黄色い電車でハッピーに!キャンペーン」というものが行われていて、306Fの前面にはそのヘッドマークが付いていた。何でも、両線にそれぞれ一両しかない黄色い車体の電車を見つけると、幸せになれるということであった。これは、都市伝説に基づいているらしい。

 そういう言いならわしがキャンペーンになって、俄かに306Fが脚光を浴びるのは面白いものではあるが、幸せの電車の色というのは、実は人それぞれなんじゃないか、という気もする。世田谷線の場合でも、人によっては緑色の電車かもしれないし、水色の電車かもしれないということである。

 それは、その人にとって何か「いいこと」があった日、そういえば今日あの色の電車に乗ったなと意識するところから始まるものだと思う。そして何日か後にまた同じ色の電車に乗ったとき、やはり「いいこと」があったりするものである。もちろんそれは偶然かもしれないし、本人の思い込みかもしれない。でも、そうやって意識をし始めたとき、その人にとっての幸せの電車は現れると言える。

 私も高校生のとき、そういう幸せの電車があった。もっとも、私が当時通学に利用していたのは東急東横線と地下鉄銀座線で、今の世田谷線のように色とりどりの車両が走っているわけではなかった。それで私は、車番で幸せの電車を見分けていた。東横線で80XXFの編成に乗れたら今日は「いいこと」がある、といった具合である。

 まあ、日々の授業を漫然とこなすだけの高校生活にあって、何が「いいこと」かは高が知れていたし、ここに書くのも恥ずかしいことである。ただ、一つ言えることは、私が通っていた高校は共学校だった、ということである。





 ところで今回、東急世田谷線と都電荒川線でこのような企画ができたのは、その路線に所属する車両や編成が、個別に異なる色を持っているからである。すべての車両や編成がみな同じ顔、同じ色であったなら、成り立たない企画である。

 しかし、残念ながら最近は、さまざまな形式や色の車両が入り乱れて走る路線というのが減って来ているように感じる。みな画一的な車両に統一されてしまうということである。車両基地に、何十編成と同じ顔、同じ色の電車が並んでいたりするのは、ある意味不気味な風景だ。

 これは何も、鉄道の車両に限ったことではない。駅も、街も、どこも画一的になりつつある。同じような構造の高架駅が増え、どの街に行っても同じチェーン店がある。なぜそこまで画一的になるのだろうか。同じ風景、同じモノ、同じ味が、どの街にもなくたっていい。それよりも、その街にしかない風景、モノ、味がもっとあってほしい。その駅に、その街に、それぞれの色があってほしい、ということである。


東急
300系電車(306F) 東急世田谷線松陰神社前駅~世田谷駅にて 2011.11.12
by railwaylife | 2011-11-22 07:50 | 東急世田谷線 | Comments(0)

季節はずれのあじさい列車

 自由な時間のあった先々週の土曜日、わけもなく東急世田谷線に乗ってみた。

 三軒茶屋駅から電車に乗り込むと、運よく先頭車両の運転席左後ろに着席することができた。この席は、前に立つ人がいなければ、座りながらにして前面展望を楽しむことができる。

 それで、秋の穏やかな日に照らされる前面展望を、ゆっくりと楽しんだ。

 こんなところが勾配になっているのか、という発見があったり、柿の実やススキといった秋の車窓風景も眺めることもでき、そのまま終点の下高井戸駅まで行ってしまおうかという気にもなってきていた。



 だが、途中でどうしても気になるものができてしまい、山下駅で下車した。そして、歩いて線路沿いを引き返した。気になるものがあった場所は、ちょっと手前だったからである。

 その場所は、山下駅の一つ手前にある宮の坂駅のすぐ近くであった。そこで三軒茶屋方面行きのホームに入り、気になるものを確かめた。



 私はさっきここで見た車窓に、あじさいの花があるように見えた。

 いや、この11月にあじさいの花があっても別に不思議ではない。あじさいの花は散らないからである。人が剪定をしない限り、いつまでも花がある。ただそれはもちろん、時を経るにつれ色を失い、ひからび、枯れてカリカリになる。そうなったときにはもう花の色は茶色である。

 ところが、ここのあじさいには色があるように見えた。梅雨時に咲いているときと同じ、青色である。それで私はハッとなり、たまらず確かめに来てしまった。このブログの6月から7月にかけて、やたらとあじさいの出てくる記事が載っていることからわかる通り、私はあじさいという花に相当の執着がある。

 そんな執着心と、また好奇心から宮の坂駅へ戻ってきた。そしてホームの端からよくよく見てみれば、確かに色の残るあじさいがあった。
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 これはまあ、だいぶ色褪せているし、この時期にもなくはないかなという気がする。



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 それよりもこれらの花である。青色がしっかりと残っている。もちろん多少色褪せている感は否めないが、まだまだ見頃の花だと言える。



 花には狂い咲きというものがあり、とんでもない時期にとんでもない花が開いたりすることもある。しかし、ここのあじさいは、秋になって咲いたというものではなさそうであった。梅雨時からずっと残っているのではないかと思わせるものであった。梅雨が明けて酷暑があり、残暑があり、気温の高い秋が続いた。その間、ずっと青色を保っていたように感じられた。

 そんな粘り強いあじさい越しに私は、世田谷線の電車を眺めてみた。まさに季節はずれのあじさい列車である。
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 これが例えば8月の頃のことなら、私は嬉々としてその風景を楽しめただろう。暑いさなか「まだあじさい列車の風景が残っていた。私はそれを、心から楽しんだものである」なんて書いている自分が想像される。

 しかし、さすがにこの11月にあじさいを見せられては、違和感を拭い去ることはできない。それで私は、何とも複雑な心地で、久々のあじさい列車を眺めていたものである。



 さて、この日私はその後しばらく世田谷線沿線の風景を楽しむことにして、電車に乗ったり、降りてしばらく歩いてみたりした。そこで見た風景について、これからしばらく載せていきたいと思っている。



 ところで、上にも書いたように、私はこの初夏に「あじさい列車2011」という記事をずっと連載していた。そのシリーズは7月の末でぱったりと終わっているのだが、実はそれには続きがある。まだシリーズは完結していないということである。

 そしてその続きの記事もすでにできあがっているのだが、何となく出しそびれていた。しかし、たとえ季節はずれでも、それはもはや、いつ載せてもよいものである。もちろん慌てることもない。

 ただ、この2011年のうちには載せて、シリーズを完結させたいとは思っている。


東急
300系電車 東急世田谷線上町駅~宮の坂駅にて 2011.11.12
by railwaylife | 2011-11-21 23:10 | 東急世田谷線 | Comments(0)

白い空の9000系

 東横線で9000系を見られる機会は、今やグッと減ってきた。この車両のまったく走らない日さえあることが驚きであるが、5000系列が予想以上に幅を利かせている状況の中では、もはや仕方のないことだ。

 だから、9000系に出会うことのできる機会の一つ一つを、ありがたく思わなければならない。



 たとえそれが、色のない空の下でのことであったとしてもである。
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 青い空の下で見たかった、などと言っている場合ではない。

 いや、この白い空の下で9000系を眺められたことが、むしろ、ありがたいくらいだ。


東急
9000系電車(9013F) 東急東横線多摩川駅~新丸子駅にて 2011.10.22
by railwaylife | 2011-11-19 23:11 | 東急9000系 | Comments(0)