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常磐線2011

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 上野口の常磐線の車両と言えば、一番印象が強いのは415系電車だろうか。昔はあずき色の車体にクリーム色のラインが入った塗色だったが、1985年(昭和60年)のつくば万博を機に、白い車体に青い帯という出で立ちに変わった。私は白い車体の方がすぐに思い浮かぶ。

 その415系は中距離電車であり、短距離の快速電車に用いられていたのが103系電車であった。常磐線用のエメラルドグリーン色の車体は、ウグイス色の山手線、スカイブルーの京浜東北線、オレンジ色の中央線、カナリア色の総武線に比べて、異色の存在という印象が私にはあった。

 この415系や103系に加えて、特急「ひたち」として走っていたのが485系である。JR化後には「ひたち」色とでも言うべき白と緑を基調とした車体に塗り替えられたが、私としては、国鉄色のクリーム色に赤い帯という出で立ちの方が印象深い。そういえば「ひたち」の485系にはボンネット型の先頭車も多かったように思う。

 常磐線で忘れてならないのは、以前にも書いたことがあるが、鈍行列車の「青い客車」である。私にとって、青い旧型客車と言えば常磐線というイメージがある。

 その青い旧型客車を牽いていたのが、ローズピンク色のEF80形電気機関車であったが、このEF80形が常磐線で牽く列車として挙げなければならないのが、寝台特急「ゆうづる」である。この「ゆうづる」は本数が多くて、EF80形牽引のブルートレインタイプもあれば、583系の寝台電車タイプもあった。583系と言えば、寝台特急「ゆうづる」の昼行版とも言うべき特急「みちのく」も、常磐線を走っていた。しかし、この「ゆうづる」にしても「みちのく」にしても、私が目にしていたのはほとんどが本や雑誌の中に出てくる写真でのことであり、実際に見たのは数えるくらいだと思う。

 こんな思い出が残る上野口の常磐線は今、すべての車両がJR型で固められている。常磐線と同じ上野口の路線で見ると、高崎線には211系や185系、東北本線には211系や寝台特急の24系といった国鉄型が残っていることを思えば、常磐線はある意味で「進んでいる」と言える。

 さらに今後の常磐線には、特急車両としてE657系が導入されることも発表されており、上野口はEはじまりの車両ですべて固められることになる。そしてそれにより、JR型の651系やE653系までもが駆逐されることになる。

 最近は世の中の変化が早く、鉄道車両の世代交代もその例外ではない。当たり前のように見ていた車両も、すぐに過去の車両となってしまう。

 上野口の常磐線にも、そうやって近いうちに世代交代が訪れようとしているのだから、今ある風景もすぐに過去のものとなる。だから私は、そんな当たり前の風景でも、何かのついでに眺めておこうと思った。それで先日、上野の東京国立博物館を訪れた帰りに、少しだけ常磐線の風景を見てみた。

 特急型の651系やE653系は、この場所では間もなく過去のものとなるが、E231系やE531系はまだまだ新しく、しばらくは当たり前の風景であり続けるだろう。しかし、それもいつかは過去のものとなる。

 思えば上に挙げたような、過去の常磐線の車両を、私はほとんど記録として残していない。もちろん、それほど日常に関わる路線ではないし、それほど思い入れのある路線でもない。しかし、私が眺めていた車両には変わりない。そういう車両をちゃんと記録していなかったことは、多少悔やまれる。だから、こうやって今、片手間ではあってもE231系やE531系の風景を残しておくことは、無駄でもないのかなという気がする。

 そんな想いを込めて私は、この2011年に常磐線を往く車両を捉えていた。


常磐線2011 常磐線上野駅~日暮里駅にて 2011.1.8
1枚目 E531系電車 3382M特別快速
2枚目 651系電車 31M特急「スーパーひたち」31号
3枚目 E231系電車 1489H快速
4枚目 E653系電車 1032M特急「フレッシュひたち」32号

by railwaylife | 2011-01-31 23:20 | JR東日本 | Comments(0)

去り行く通勤電車たち

 京急1000形
 京成3300形
 東武8000系
 西武101系
 小田急5000形
 京王3000系
 京王6000系


 ここに列挙したのはいずれも、首都圏の大手私鉄で今まさに淘汰され、やがて消え去ろうとしている車両である。その完全消滅の時期は多少の違いがあるにせよ、いずれも新型車両が一本登場すれば、入れ替わりに一本が消えていく運命にあることは同じであろう。すでに京急1000形などはその入れ替わりが完了し、完全に本線上から姿を消している。

 今後も、順番に「さよなら○○○○系」という日がやって来て、その車両は記憶や記録の中のものになっていくはずである。

 そういう意味で、大手私鉄の車両はいま、過渡期にあると言える。それは、老朽化した車両を置き換えて乗り心地やスピードや耐久性を向上させるということとともに、環境への配慮といった社会的な要請に対応するためでもあろう。

 そんな状況の中で消え去ろうとしている車両の多くは、私が幼い頃に見慣れた車両でもある。それぞれの鉄道会社のいわば「顔」として、主役の座にあったからである。子供の頃、鉄道の本や図鑑を開けば、首都圏の大手私鉄のところに必ずこれらの車両の写真が掲載されていた。鉄道会社によって色もデザインも異なるそんな車両たちに、私は憧れを抱いていたことだと思う。

 それから三十年ほど経った今、ついにその憧れた車両たちが引退のときを迎えている。通勤電車という過酷な運用の中で、思えばずいぶんと長い間走り続けたものだ。

 その思い出深い車両を、引退前にいま一度きちんと見ておきたい。そういう想いが私には湧き上がってきていた。上野発の昼行特急列車や九州行き寝台特急などもそうだが、この幼い頃に目にした列車や車両には、やはり格別の思い入れがあるものである。

 だが、首都圏の大手私鉄というのは、私にとって最も身近な東急は別として、いわば「近くて遠い存在」である。距離的には近いから、簡単に行くことはできる。でもその反面、いつでも乗れるやと思って、なかなかその引退が近い車両を見に行かない。

 そうすると、こないだの京王6000系のときみたいに、さよならヘッドマークが付いてから慌てて見に行くことになる。でも、そうなったときはもう、限られた運用の中で、限られた姿しか目にすることができない。そしてそれはもはや、私が幼い頃に憧れた姿ではなかったりする。

 そういう意味でやはり、これらの車両が「日常」であるうちに、しっかりと自分の記憶なり記憶なりに留めておくべきだと、改めて感じている。

 いや、そんなことはもう、一年近く前にこのブログの「日常を撮る」という記事に自分で書いている。日常の中にあるその車両の姿こそ、自分の記憶に残しておくべきだ、ということである。

 そしてまた、車両の引退が迫ってから、にわかに「惜別」と称して騒ぎ立てるのもどうかと思ってきた。

 引退が迫ると、どうしても多くの人がその車両に注目して集まるようになる。それが別に、本当の意味での「惜別」として集まり、静かにその最後を見届けるというのなら良いが、残念ながらそうはいかない。単に「珍しいものが見たい」ということだけでやって来て、挙句の果ては「いい写真が撮りたいから」とルールやマナーを無視して、周囲に迷惑をかける。そういう場面に遭遇して嫌な思いをするくらいなら、そんな「惜別」には行かない方がましだなという気がしていた。

 そのことも去年の春に「惜別とは」という内容の記事に自分で書いている。それを振り返ってみても、やはり普段から「日常」の姿を自分なりに見つめ、引退する車両への想いを持っておくことが大事だなと思ってきた。

 とは言え、それらの記事を書いてからのこの一年近く、どれだけ私が冒頭に掲げた車両の「日常」を自分の記憶に留められたか、自分なりに想いを込めることができたかと言えば、ほとんどできていない。結局、自分自身の「日常」にかまけて、そういう機会を逸しているのだろう。

 そして今週末もまた、ある車両が「さよなら運転」を迎えてしまった。その車両も、以前から見に行きたいとは思いつつも、ほとんど乗らない路線だから、行く機会のないままその日を迎えることになってしまった。そうなってしまってはもう遅い。

 だからこの車両もまた、きちんと想いを残したいと思いつつも残さずに終わってしまうんだろうなという気がしていた。




 それでも私は、何とかその車両への思い出を残す機に恵まれ、自分なりに想いを込めることができた。
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 小田急5000形もまた、この鉄道会社の「顔」とも呼ぶべき車両であっただろう。そしてこの10両編成の姿こそが、まさに小田急の「顔」であったことの証であろう。


小田急5000形電車(5268F+5065F) 小田急多摩線唐木田車庫にて 2011.1.29

by railwaylife | 2011-01-30 21:52 | 小田急 | Comments(0)

富嶽三十六景をめぐって 2

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 先日、東京国立博物館本館の「本館リニューアル記念 特別公開」で「富嶽三十六景」を楽しんだが、このときの東京国立博物館訪問は、実に久しぶりのことであった。そこで私は、館内のある変化に大変驚いた。

 それは、館内の展示品について、特に指示のあるもの以外は写真撮影が可能になっていたことである。

 私はそのことを知らなかったので、最初に写真撮影をしている人を目にしたときには大いに憤慨したものである。ルールも守らずにこんなところで写真を撮るとはけしからんと思っていた。しかし、展示を眺めていく間に、ずいぶんたくさんの人が撮影をしている場面に行き会ったので、これは撮っても良いというルールになったんだなということに自然と気が付いた。

 館内の案内を見ても、全面的に「撮影禁止」という表記はなく、展示品の所持者の意向で撮影が「禁止」となっているものは撮ってはいけませんというくらいのことしか書いていなかった。つまり、それ以外は撮影して問題ないということであろう。

 しかし私は、だからと言って館内で展示品を撮ろうという気にはまったくなれなかった。

 もちろん私は写真を撮るのが好きだし、また写真に撮りたいと思うほど気に入った展示品もたくさんあった。

 しかし、博物館の館内というのは、撮影するのに条件が悪すぎる。展示品保護のために極力光量を減らしているからである。もっとも、最近ではカメラに「美術館モード」なんていうものもあって、そうした条件の下でもきれいに撮れるように工夫されていたりする。

 ただ、条件の悪さは光量の問題だけではない。被写体がガラスケース越しにあるということも、撮影を難しくする。特に室内だと、ガラスに自分の影が映り、それが写真にも入ってしまったりする。

 いや、最近はより身近に触れてもらおうと、展示品をガラスケースに入れず、むき出しで置いてあるものも多い。ここで言う「触れてもらおう」とは、無論実際に手で触るということではなく、展示品と同じ空間に居られることで、そのものがもつ感触や雰囲気を直接得てもらおうという意味である。

 そういう展示品であれば、ガラスのことを気にすることなく撮影できるが、私はそれでも、館内で写真を撮ろうとは思えなかった。実際、私が一番気に入って眺めていた「富嶽三十六景」も、額に入った画が壁に掛かっているだけで、間にガラスを挟むことなく直接目にすることができたが、それすらも一枚とて撮影はしていない。

 それは、博物館にわざわざ行くということが、展示品を単に「見る」だけではなく、そのものが持つ空気や、雰囲気や、質感などを、肌で感じるためなのではないか、と思うからである。うまく言えないが、その展示品と空間を同じくしたときに迫ってくるものを、全身で受け止めるということである。これは博物館だけではなく、寺院を訪れて仏像と対峙するときなどにも言えることである。それは、立体的な感触とでも言うべきであろうか。平面で見ているだけでは伝わってこないものである。

 今回の「富嶽三十六景」という平面の絵画にさえ、それは言える。特に「富嶽三十六景」のような錦絵を直接目にすると、それを刷ったときの質感というか、風合いというか、そんな感触が得られる。

 もちろん、今回の展示品は刷ってからだいぶ時を経ているから色褪せてはいる。作品が刷られたばかりの色ではない。あるいは作者が意図した色ではないかもしれない。でもそういう色のものは別に、家にいて本か何かで見ればいいだけだ。そんな本は家にないというなら近所の図書館でもいい。いや、最近は「週刊なんとか」といって、歴史的な美術作品が掲載された雑誌も安価で手に入るのだから、たやすくそれらを目にすることができる。だが、そういう本や雑誌では、錦絵そのものが持つ感触は得られない。

 そしてもちろん、博物館で作品を撮った写真も同じことである。それはやはり平面でしか作品に触れられない。結局、家や図書館で見る本や雑誌に載っているものと同じになってしまう。いや、本や雑誌に載っている写真は、ちゃんと光量やら何やらが計算して撮られているのだから、素人が手持ちのカメラで暗い館内で撮ったものとは比較にならないほど、巧く撮れている。

 それを思えば、博物館に行って展示品の写真を撮ることにご執心になるのではなく、展示品そのものをじっくりと見て、感じることが何より大切だ。写真を撮っている暇なんて、実はないのだと思う。

 それに、写真を撮ると、何となくそのものを見た気になってしまう。だが、展示品の前にいるときには撮影することにしか頭がなく、実際はそのものをあまり見ていないのではないか。そんな気がする。私が見た「富嶽三十六景」も、すべての画をご丁寧に撮って歩いている人がいたが、やはり撮ることしかしていなかった。それはもったいないんじゃないかと思った。

 まあ、博物館で何を見て、どう過ごすかは個人の自由だし、写真を撮ることも認められたのだから、いいのだろうけど、ひとつ気になることがあった。それは、館内で写真を撮るときのシャッター音や電子音、それにフラッシュの光である。

 もともと博物館は静かなところである。その館内に、シャッター音が響き渡るとびっくりする。静寂の中で音がするのだから余計に響く。撮っている本人は良いかもしれないが、周囲の人には騒音である。本来、博物館は静粛にするところだからである。

 フラッシュの光も気になる。展示品そのものへの影響はあるのかないのか知らないが、私がちょうど見ている展示品に光が当てられると、やはりどきっとする。それに、一瞬とはいえ展示品の色も変わってしまう。これも、周囲には迷惑だ。できれば、博物館内での撮影時には、シャッター音を消すことと、フラッシュを切ることをマナーとして守ってもらいたいものだ。

 しかし、そのカメラの使い方にしても、人それぞれなのだから仕方ないのかもしれない。中には設定の仕方がわからず、シャッター音を消したりフラッシュをオフにしたりすることができない人もいるかもしれない。それがわからないのならカメラを使うなと言えるだろうか。

 また最近は、社会的なマナーというものがあってなきがごとしのように感じられる。価値観の多様化が進んだというのだろうか。以前は公共の場でそれを控えることがマナーとして当然と思われていたことでも、今では平気でやる人が多い。無論それを、個人の自由なんだからと容認して良いわけがないが、いちいち目くじらを立てていてもやってられないと思うことがある。

 この博物館内のカメラのマナーもそうで、けっこうフラッシュを使う人はいる。シャッター音を消している人なんていない。だから、そういうことが嫌で、静かに見たいという自分の価値観を押し通したいのなら、もう自衛するしかない。今度、一人で博物館に行くときは、耳栓でも持って行くしかないだろう。

 さて、そうやってカメラのことを嘆いてばかりいても仕方ない。私はとにかく、この「富嶽三十六景」という作品を実際に目にし、そして感じ、全身で楽しんだ。それは、短くても本当に楽しいひとときだったと思う。そのことが何より大事だ。




写真はミュージアムショップで興に乗って買った「富嶽三十六景」の絵はがきである。綺麗に写されたこの「神奈川沖浪裏」も、私が実際に展示室で見た画とはまるで色合いが違う。


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by railwaylife | 2011-01-29 20:27 | その他 | Comments(0)

湘南新宿ラインに賭ける

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 昨日の朝の通勤で、8時55分頃に山手線渋谷駅外回りホームの1番線へたどり着くと、いつもより大勢の人々が電車を待っていた。

 発車案内を見ると、8時53分発の池袋行きがまだ表示されていた。遅れが出ているのかなと思っていると、程なく駅員の声が「目黒駅でホームドア確認のため運転見合わせ」と告げた。ただ、間もなく運転再開との話であった。

 しかし、次の電車はまだ目黒駅に停車中ということであったので、到着には少し時間がかかりそうであった。しかも、ホームには人が溢れているので、電車はいつも以上に混み合うことが予想された。

 私が山手線に乗るのは新宿駅までの短い区間なので、混雑したとしてもちょっとの間我慢すればよいだけのことであったが、こういうとき私は、少しでも楽に、そして少しでも早く目的地へ着く方法を模索する。

 そこでiphoneをさっと取り出し、渋谷駅の埼京線と湘南新宿ラインの時刻表を確認すると、9時02分発の湘南新宿ライン宇都宮線直通宇都宮行きのあることがわかった。

 このときの時刻は8時56分であったが、次の山手線電車がこれから目黒駅を発つとなると、最低でも4分はかかるだろう。そうすると、湘南新宿ラインとの渋谷駅発の時間差は1、2分ということになる。それくらいなら、うまくすれば湘南新宿ラインの宇都宮行きが山手線の池袋行きを追い抜き、新宿駅には早く着くかもしれない。

 咄嗟にそう考えた私は、ホームで山手線の電車を待つ人たちの隙間をすり抜け、3番線ホームへと急いだ。

 渋谷駅の1番線から3番線まではけっこう遠い。だが、宇都宮行きが来るまでにはまだ5分くらいあったので、私はさほど慌てることなく3番線へたどり着くことができた。しかし、ホームへ着くや否や、山手線の池袋行きが目の前をすり抜けて行った。失敗かな、と思った。

 こういうときの選択は、賭けみたいなものである。でも、そんな賭けを楽しめばよい。そしてその賭けに勝つチャンスはまだあった。間髪を入れず3番線に列車接近の案内が入り、宇都宮行きのE231系が待つほどもなく滑り込んで来たからである。

 朝の湘南新宿ラインはさすがに混んでいるが、すでに9時なので、8時台の列車よりはすいていた。乗り込んで立っていても、周りの人と肩が触れ合うほどではなかった。

 そんな状態で列車は、心地よく渋谷駅から滑り出す。そして、宮下公園の枯木を横目にスピードを上げていく。

 やがて原宿駅に差し掛かる。すると、先に渋谷駅を発っていた山手線の池袋行きが、今しも原宿駅に到着したところであった。それを窓越しに眺める。ちょうど開いたドアから見えた池袋行きの車内は、やはりけっこう混み合っているように見えた。この湘南新宿ラインよりも、ずっと混んでいるように見えた。

 原宿駅に停車しない湘南新宿ラインのこの宇都宮行きは、そんな山手線の電車が見える風景を、車窓の後ろへと追いやっていく。予想通り、湘南新宿ラインは山手線を追い抜いた。そのときは本当に気分がよく、独り喜んでいたものである。それはまるで、寝台特急「北斗星」の個室から、併走する京浜東北線の電車を追い抜いて行くさまを眺めるときの爽快感に似ていた。

 その後、宇都宮行きは代々木駅の辺りで滞ることもなく、スムースに新宿駅構内へと入って行った。車掌がこの先の停車駅を告げる。その駅名を聴いていると、このまま東北本線への旅に出てしまいたい衝動に駆られたが、もちろん新宿駅に降り立つ。

 人波に押されながらも、4番線からゆっくりと中央快速線の11・12番線ホームへ向かう。普段なら中央緩行線でのんびりと職場最寄り駅の荻窪まで向かうところだが、時刻はいつもより少し遅めの9時10分になっていたので、快速を利用することにしていた。

 ホームへ着くと、ちょうど9時08分発の武蔵小金井行きが発車するところであった。中央快速線も少々遅れ気味のようであった。

 武蔵小金井行きに乗り込み、すぐに発車を迎えると、構内を出たところで左窓に例の山手線池袋行きが見えてきた。今しも新宿駅を発ったところである。その池袋行きから、この武蔵小金井行きに乗り継げた人がいるのかいないのかはわからないけれども、タイミングとしては微妙なところだ。でも、湘南新宿ラインで来た私は悠々とこの武蔵小金井行きに乗り継ぐことができた。

 その湘南新宿ラインの電車もちょうど右窓に出てきた。こちらも新宿駅を発ったところである。つまり、私が乗ってきた湘南新宿ライン宇都宮行きと、今乗っている中央快速線武蔵小金井行きと、私が見捨てた山手線池袋行きが、まさに同時に新宿駅を出て、走り始めていた。

 その真ん中を往く武蔵小金井行きに乗っている私は、賭けに勝ったな、と独り勝手に満足していたものである。

by railwaylife | 2011-01-29 20:26 | 湘南新宿ライン | Comments(0)

9000系並び 3

 さすがに三度目ともなると、自分でも「もうええわ」とつっこみたくなるが、今朝もまた渋谷駅で9000系の並びを見た。そしてそれを撮った。
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 別に私は、9000系の並びを狙って通勤しているわけではない。9000系がその日どの運用に入るかはわからないし、私自身も最近は毎朝ちょっとずつ、乗る電車が違う。それなのに、今週は三度もその場面を目にすることができた。

 ただ、週に三度も見せられると、最初は「珍しい風景」のような気がして撮っていたこの車両の並びも、今はまだ別に「ごく当たり前の風景」なんだということを改めて思い知らされた気がする。

 そして、私にとっては、この風景が珍しいとか当たり前だとかいったことは関係がなく、単に自分の好きな風景だったのかもしれないということにも気付いた。それでこうやって熱心に眺めているのだろう。

 とは言え、この風景が早晩消えていくことは、やはり確かなことである。東横線が副都心線とつながれば、この青空の下のホームに電車が入って来ることはない。仮に副都心線との直通運転後もこの9000系が東横線に残ったとしてもである。駅自体が地下へもぐってしまうからである。

 それを考えると、やはりこの風景を記録に留めておくことは、決して無駄ではないと思う。いよいよ渋谷駅が地下へもぐるという間近になって同じ風景を捉えようとしても、うまく9000系が並ばないかもしれない。 

 ごく当たり前のものであっても、風景はやがて変わっていく。その風景が気に入っていて、記憶にも記録にも留めておきたいと思うのなら、当たり前であるうちから意識して、目に焼き付けたり写真に撮ったりしておくべきだ。最近は、そんなことを強く感じる。
 

東急9000系電車(9011F・9012F) 東急東横線渋谷駅にて 2011.1.28


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by railwaylife | 2011-01-28 22:42 | 東急9000系 | Comments(0)

富嶽三十六景をめぐって 1

 上野の東京国立博物館では年明けから、本館のリニューアルを記念して「本館リニューアル記念 特別公開」が行われていた。

 これは、平成館で行われるようないわゆる「特別展」ではないのだが、そのキャッチコピーで博物館自らが「これは特別展か?!」とツっこんでいるように、とんでもなく「いいもの」が展示されていた。年末年始の東京国立博物館は「特別展」と「特別展」の狭間にあたり比較的ひっそりとしているが、そんな時期を狙って本館でさらっとこれだけのものを並べるとは、やはり「東博恐るべし」である。

 その中でも私が「見たい!」と思ったのが、重要文化財の「風神雷神図屏風」である。あの、風神と雷神の表情が、私は好きだ。

 その「二人」の表情が見たくて、私はこの前の三連休中に、用事の合間を縫って東京国立博物館へ行ってきた。

 短い時間であったが、お目当ての「風神雷神図屏風」はもちろん、私は多くの作品を堪能した。特に雪舟筆の国宝「秋冬山水図」に出会えたことは、大きな歓びであった。二枚の水墨画のうち、私は冬の画にものすごく惹かれる。冬の厳しさが、ひしひしと伝わってくるような画である。

 また、室町時代に描かれた「融通念仏縁起」を目にできたのも嬉しかった。私の大好きな中世の風景を、久々に目の当たりにしたような気がして、本当にわくわくしてきたものである。



 ただ、そうした数々の「名品」の展示の中で、私が一番気に入って熱心に見たのは、葛飾北斎筆の「富嶽三十六景」であった。さまざまな風景の中の富士山を描いたこれらの画もまた、私のお気に入りである。旅先や車窓の「風景」をいつも「表現したい!」と思っている私にとって、この「富嶽三十六景」のような浮世絵の風景画は、とても興味深いものだからである。風景をどう表現するか、ということにおいて、学ぶことは多い。

 そんな「富嶽三十六景」のうち、今回は二十枚が展示されていた。私はその一枚一枚を、時間の許す限りじっくりと眺めた。

 一般に「富嶽三十六景」というと「神奈川沖浪裏」とか「駿州江尻」といったところが有名である。これらは特に躍動感のある画であり、まさに「富嶽三十六景」を代表するにふさわしい画であるが、実は「富嶽三十六景」には江戸から見た富士山を描いたものも多い。今回の二十枚のうち、八枚がその江戸およびその近郊からの富士山という画であった。

 その八枚の画を見ながら私は改めて、江戸の人にとっても富士山のある風景というものが当たり前のものだったのだろうなということを感じた。富士山のある風景の中で、江戸の日常が営まれていたということである。現代のように遮るものが多くないから、江戸からはきっともっと良く富士山の姿が見えただろう。そんな「江戸の街越しの富士山」という構図が「富嶽三十六景」の中では特に強く印象に残った。

 この「江戸の街越しの富士山」のように、何かの風景の向こうに富士山を仰ぐという構図が「富嶽三十六景」の楽しさであると言って良い。江戸の画の場合でも、単に街並の向こうという眺めだけでなく、富士の手前の風景にいろいろな小道具が用いられる。たくさんの舟の向こうに富士山のある「武陽佃島」や、凧の舞う向こうに富士山のある「江都駿河町三井見世略図」や「東都浅草本願寺」など、その小道具が印象的なものばかりである。

 このうち「江都駿河町三井見世略図」では、手前に描かれた店の屋根の上で職人たちの作業をするさまも印象的である。まさに江戸の人々の暮らしの向こうに富士山がある、という眺めだ。

 人の動きの向こうにある富士山を描いたものとして「隅田川関屋の里」という画もあったが、これは非常に躍動感があった。旅姿の武士が跨った馬が、手前の道を駆けて行く。馬上の武士が身を低くしているところから、馬の疾走感が伝わってくる。何か急なことがあったのだろうか、と思わせる。そんな緊迫した場面の遠景に富士山がデンと描かれている。馬の「動」と、山の「静」の対比が、実に見事だと思う。仮に富士山の姿がなかったとしたら、馬の躍動感がさほど伝わって来なかっただろう。富士山のおかげで、馬の動きが際立っていると言える。巧い構図だなあと思う。

 構図の妙と言えば「深川万年橋下」が秀逸だ。太鼓状になった万年橋の弧の下、そして橋脚のすぐ左に富士山が描かれる。まさに「橋越しの富士山」を印象付ける画だ。私なら、万年橋の上から富士山を見て「万年橋遠景」などと言うだろう。頑張ってもせいぜい橋の上に富士山が見えるところを捉えるぐらいで、それを「橋越しの富士」とか言って喜ぶのが精一杯である。だが北斎は、橋の下に富士山を配するのだから、感心せざるを得ない。風景というのは、こうやって表すものなんだなあと思う。これほどに「深川の富士山」というものを表現している作品はないだろう。

 こうした江戸及びその周辺の画の中でも、私が最も目を奪われたのが「下目黒」であった。これは、今の私の日常に一番近い場所で描かれた画だからである。

 この「富嶽三十六景」に限らず、浮世絵に描かれる富士山というのは、その存在を誇張するために大きく表されがちであるが、私が注目した「下目黒」に描かれた富士山はわりと小さく、まさにこの下目黒から見た大きさに違いないなと私は思った。普段私が東急東横線の車窓に見ている富士山の大きさと同じくらいに感じられたからである。それだけに私は、江戸時代の下目黒の風景というものを実感できたように思えて、非常に嬉しかった。



 こんなふうに熱心に「富嶽三十六景」を眺めたことで私は、自分なりに「何かの向こうに見える富士山」という風景を見つけてみようと思い、日常の中でそれを探した。

 そして見つけたのが、これである。
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 中央緩行線の阿佐ヶ谷駅ホームから望む富士山である。これを撮るために私は、職場の最寄駅の一つ手前にあるこの駅のホームに、朝の通勤の途中で何回も何回も降り立った。冷えて澄んだ最近の青空の下でも、なかなか富士山がくっきりと見える日が少なかったからである。そんな中で比較的良く見えたのがこの日であった。

 北斎の「富嶽三十六景」のように、構図の妙も何もないが、アンテナとかマンションとかの向こうに見る富士山というのが何とも現代らしいなと思いながら、この写真を撮っていた。

 さて、こうやって何かの向こうにある遠くの山を眺め、遠くを想うのも良いが、やっぱりもうちょっと山そのものへと近付き、遮るものも何もないところで、思うままに眺めてみたいんだよなあ、なんてちょっと考えたりもしている。

by railwaylife | 2011-01-28 07:40 | その他 | Comments(0)

最後の485系

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 新宿駅と東武日光駅・鬼怒川温泉駅を結ぶ特急「日光」「きぬがわ」の一部には485系電車が用いられているが、この車両が2011年4月16日から253系1000番台に置き換えられることになっている。これにより、485系電車は特急「日光」「きぬがわ」の運用から引退することになる。

 この車両交代劇については、485系もだいぶくたびれてきたし、また交代する253系も、特急「成田エクスプレス」の運用から追われたもののまだまだ働けるだろうから廃車にするにはもったいないし、ちょうどいいんだろうなというくらいに思っていた。

 しかし、今回の交代により、長く続いたある伝統がついに終焉を迎えるのだということに私は気付き、はっとなったものである。

 それは、東北本線という長大で偉大な幹線上から、485系の定期特急列車がついに消えるということである。

 1982年(昭和57年)に東北・上越新幹線が開業するまで、東北本線には実に多くの特急列車が行き交っていた。仙台行きの「ひばり」に、盛岡行きの「やまびこ」に、秋田行きの「つばさ」に、山形行きの「やまばと」に、会津若松行きの「あいづ」に、青森行きの「はつかり」と、東北地方各地へ向かう特急列車があったわけであるが、これらの列車のほとんど全部が、485系によって運転されていた。まさに東北本線のエースと言って良かっただろう。

 東北・上越新幹線の開業後、この特急列車群は新幹線の列車に取って代わられていったが、485系は盛岡以北の新幹線連絡特急としてさらに東北本線を走り続けていた。2002年(平成14年)には東北新幹線が八戸まで延伸されたことにより、その範囲も狭められてしまったものの、それでも485系は東北本線の特急列車として活躍してきた。この間、車両は改造を加えられて3000番台を名乗るようになり、外観もだいぶ様変わりしてしまったけれども、東北本線における485系の伝統が続いてきたことには変わりなかった。

 そんな北の485系特急列車も、ついに先月の東北新幹線全通により、完全に東北本線上から姿を消してしまった。そしてその485系が最後まで走っていた八戸-青森間は、東北本線でもなくなってしまった。

 これで東北本線の485系の伝統もついに途絶えたかに見えたが、まだ485系は、定期の特急列車として東北本線上を走っていた。それが特急「日光」「きぬがわ」に用いられている485系である。一編成しかない特急「日光」「きぬがわ」用の485系は、まさに「東北本線最後の485系特急列車」と言えるだろう。

 とは言え、この車両が走る東北本線の区間は非常に限られており、何とも中途半端である。新宿駅を発った485系は、山手貨物線・東北貨物線を伝って北へ向かい始める。それが正式に東北本線に入るのは、大宮駅からである。そして列車は、東武線へ入るために、栗橋駅の先で東北本線を離脱してしまう。その間、わずかに30km足らずである。

 また、外観も東武特急「スペーシア」の塗色を真似ていて、およそJRの車両らしくない。もちろん国鉄型らしくもない。かつてあった前面のヘッドーマークやエンブレムもないからである。

 そんな特急「日光」「きぬがわ」の485系を、仰々しく「東北本線最後の485系特急列車」と言って良いのかどうかはわからないが、今後もう、485系が東北本線の定期の特急列車として走るようになるなんてことがあるとは思えない。そういう意味で、やはり「最後の485系特急」なんだと言いたい。

 もちろん今後また、リバイバル特急などで485系が東北本線上を走ることがあるだろう。それは昔懐かしい国鉄色の車両かもしれない。だが、そんなものはいつ走るとも知れないし、いつが最後になるかもわからない。

 だから私は、この485系らしくない特急「日光」「きぬがわ」の485系に、かつて憧れた東北本線の特急列車群に想いを馳せながら、乗ったり撮ったりしてその姿を心に刻んでおこうかな、とちょっと考えたりもしている。まあ、乗るにしても、東北本線上を往く区間はわずかになってしまうけれども、昔の「ひばり」とか「はつかり」の雰囲気を少しは味わえるんじゃないかな、なんて思っている。


485系特急「きぬがわ」4号 山手貨物線新宿駅~池袋駅にて 2010.11.27

by railwaylife | 2011-01-26 22:56 | JR東日本 | Comments(2)

9000系並び 2

 今朝も渋谷駅で、9000系が並んでいた。
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 こうして気にしてみると、けっこう並びの場面なんてあるものである。

 だから、私がこうしていちいち取り上げるのもどうかという気がしてきた。こんなありふれた場面をありがたがって撮って、私は朝っぱらから何をやっているのだろうという気もしてきた。

 しかし、自分が二十年以上日常の中で見続けてきたこの風景を、いつか懐かしいと感じるときが来るだろう。そのときのために私は、こうして記録を残している。


東急9000系電車(9011F・9013F) 東急東横線渋谷駅にて 2011.1.26


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by railwaylife | 2011-01-26 22:49 | 東急9000系 | Comments(0)

300系初め

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 今年になってから、東海道新幹線の300系をまだちゃんと見に行っていなかったので、この前東京駅に用事があったついでに、見に行ってみた。今年初めて300系を眺める機会、つまり300系初めである。

 去年からその存在が急に気になり始め、追いかけ出した300系であるが、今年もその数を徐々に減らしていくのだろう。時刻表を見ても、来月初めから700系に取って代わられる列車のあることがわかる。

 そういう状況の中で、私がどれだけ300系を見られるかはわからないが、日常の隙を利用して、できるだけいろいろな風景の中でこの車両を眺め、私自身の記録や記憶にしっかりと留めていきたいと思う。


新幹線300系電車
1枚目 「ひかり」479号 東海道新幹線東京駅にて 2011.1.23
2枚目 「こだま」656号 東海道新幹線東京駅にて 2011.1.23

by railwaylife | 2011-01-25 23:18 | 300系 | Comments(2)

9000系並び 1

 今朝、東急東横線で渋谷駅の2番線ホームに到着したら、3番線と4番線に9000系が並んでいた。私はすかさず、そのさまを捉えておいた。
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 こんな風景は、今はまだ珍しくないかもしれない。しかし、東横線の9000系は、少しずつ花びらを散らすように数を減らしている。だからこういう並びも、そのうちになかなか見られなくなるだろう。

 先日からまた、新たな5050系が運用に就き始めたそうである。それが直ちに9000系を減らすことになるのかどうかは知らないが、今後も東横線では、5050系が増えて9000系が減るという動きが続きそうだ。

 そんな変化を、ただただぼうっと眺めていて、後になってから「9000系が多いうちに、その並んだ姿を捉えておくべきであった」とかまた言いそうなので、こうやってこまめに記録しておくことにしている。


東急9000系電車(9005F・9015F) 東急東横線渋谷駅にて 2011.1.24

by railwaylife | 2011-01-24 22:50 | 東急9000系 | Comments(0)