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山手貨物線の貨物列車3 8086列車

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 私は隔週土曜日午後の決まった時間に用事があり、最近はその行き帰りによく山手貨物線沿線でE259系特急「成田エクスプレス」を眺めている。

 するとあるとき、渋谷駅付近の山手貨物線を単行で南へ向かう機関車に行き会った。EF64形1000番台である。時刻は15時を少し回ったくらいのことであった。

 臨時の回送なのかなと思って、そのときはあまり気にも留めなかったが、何週間か後の土曜日の同じ時刻にまたそのEF64形1000番台の単機を見かけた。

 また、ある日曜日に新宿のタイムズスクエアへ買い物に行き、帰りに代々木駅まで歩いていたときも、目の前の山手貨物線にEF64形1000番台の単機がやって来た。時計を見ると、やはり15時過ぎであった。

 それでこの単行のことが気になって、いろいろ調べてみると、なんとこれはれっきとした貨物列車であることがわかった。山手貨物線の日中の貨物列車といえば、2077列車と3086列車の二列車しかないと思い込んでいた私としては、このことはある意味で大きな衝撃であった。

 8086列車と名付けられたこの貨物列車は、隅田川貨物発東京貨物ターミナル行きで、まさに2077列車の裏返しと言える。そのうちの14時49分発の田端操駅から15時29分着の新鶴見信号場の間を、愛知機関区高崎組のEF64形1000番台が担当しているようだ。

 それにしても、この貨物列車はいつも機関車の単行なのだろうか。私が目にする週末だけ荷がなくて単行なのだろうか。平日にこの列車を目にしたことがないから何とも言えないところはある。だが、せっかくの貨物列車なのだから、ぜひ貨車が連なっているところを見てみたいものである。

 そういえば以前、早朝に見に行った山手貨物線の5585列車も、EF64形1000番台の単行であった。山手貨物線で、EF64形1000番台が貨車を牽く姿というのは見られないものなのだろうか。ぜひ見てみたいものだ。

 ただ、この昼下がりのEF64形1000番台単機が貨物列車と知った私は、今まで何となく見送っていた機関車を、あるときから貨物列車として待ち構えるようになった。だが、そうやって待ってみると現われなかったりもした。ちょうどお盆休みの頃であっただろうか。時期的に運休だったのかもしれない。

 その後も時間が合わなかったりして、なかなかこの貨物列車を目にする機会はなかったが、ようやく先月、その姿を捉えることができた。

 15時過ぎ、新宿駅から渋谷駅に向けて山手貨物線をゆったりと進む機関車を、私はじっと見送った。その姿が渋谷の街並に紛れて見えなくなるまで、眼差しを向けた。

 機関車が見えなくなった頃、物悲しいホイッスルが秋空に響き渡った。たまたま私の近くを通りかかった何人かの女子高生のうちの一人が、その音を口真似してふざけていた。しかし私には、そのEF64形1000番台の警笛が、貨車を牽けない単行の悲哀のようにも聞こえた。


山手貨物線8086列車
山手貨物線渋谷駅~新宿駅にて 2010.9.18


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by railwaylife | 2010-10-31 07:29 | 貨物列車 | Comments(4)

山手貨物線の貨物列車2 3086列車

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 長距離列車、すなわち遠くへ行く列車、遠くから来る列車には憧れる。遠くへ行く列車なら、それに乗って遠くへ行ってしまいたいと思うし、遠くから来た列車なら、それが旅立った彼方の地を想う。しかし、最近はそんな長距離列車がめっきり少なくなってしまった。

 いや、もちろん新幹線という長距離列車がいくらでもある。けれども、その広軌の敷かれた範囲は狭い。この冬から来春にかけては、いよいよ東京から九州、そして青森へも線路がつながるというが、それでも行先は限られている。

 そんな広軌に比して、在来線の狭軌はもっと世界が広がっている。しかし、今や在来線の長距離列車は、本当に数えるほどになった。

 いや、それは旅客列車だけを見ているからで、貨物列車に目を向ければ、在来線でも長距離列車はざらにある。まだまだ遠くを想うことはできなくもない。

 そうやって貨物列車も含めた長距離列車において、今の私にとって最も身近なのが、山手貨物線を往く3086列車である。この列車は、2077列車と並び、私が注目して止まない山手貨物線の貨物列車である。ただ、その運転区間は2077列車と比べ物にならないほど、長い。

 3086列車の始発駅は、北海道の札幌貨物ターミナル駅である。そこから千歳線、室蘭本線、函館本線、津軽海峡線、東北本線を経由して、都内へ入ってくる。ここまではだいたい寝台特急「北斗星」や「カシオペア」の経路と同じだが、都内に入ってからが違ってくる。東北貨物線から山手貨物線に入り、私の日常である新宿、渋谷、大崎あたりを駆け抜け、品鶴線で新鶴見信号場に至るからである。その新鶴見信号場で小休止の後、列車は列車番号を変え、東海道貨物線、東海道本線を経由して名古屋貨物ターミナル駅まで行く。そこが終着である。全行程約1600kmに及ぶ、文字通り長距離列車だ。

 そんな3086列車を私は、身近な新宿や渋谷、そして多摩川あたりで何度も見送っている。それはまさに、遠くへ想いを馳せるためである。

 とは言え、この長距離列車に乗ることはできない。貨物列車だからである。冒頭にも書いたように私は、長距離列車を見送るときには、その列車に乗って遠くへ行ってしまいたいという想いがある。それがこの列車では叶わないのが残念である。

 しかし私は昔、貨物列車にも乗れないものだろうかと本気で考えたことがある。それは、国鉄末期にコンテナ車のコンテナが売り出されたときのことだから、私がまだ小学生くらいの頃だろう。

 売り出されたコンテナは、もちろん倉庫として活用するためのものであった。今でも地方へ行くと、ときどき民家の庭先などに「国鉄コンテナ」とか「戸口から戸口へ」と書かれた古びた箱が置いてあるのを目にすることができ、懐かしく感じるが、それがそのとき売られたコンテナの成れの果てである。

 そんなコンテナを、当時の私も欲しいと思っていた。しかしそれは、家の庭先に置いて倉庫にするためではない。

 まず、コンテナを改造して、窓を付ける。そして、中で人が居住できるようにする。それをそのまま、コンテナ列車に乗せてもらう。そこに乗り込めば、貨物列車で旅ができるわけである。

 そんな妄想を、幼い私は思い描いていたわけであるが、コキと呼ばれるコンテナ車は、旅客用の車両と違ってものすごく乗り心地が悪いのだということを知った。

 また、貨物列車が専用で通るような貨物線の線路も、旅客線ほど乗り心地が考慮されて敷設されているわけではなく、揺れがひどいのだという話もあった。それに何より、コンテナの居住性が問題だ。夏は暑くて冬は寒いだろう。それならエアコンも付けなきゃならない、などと考えると、何だか手間ひまもかかるし、乗り心地のことも含めて断念せざるを得なかった。だいたい、そんな改造コンテナの搭載を当時の国鉄が認めてくれるはずもなかった。

 というわけで、間もなくして私の「貨物列車乗車計画」は立ち消えになったわけだが、いま3086列車を見ながら遠くを想っている私は、そんな子供のときの壮大な計画を思い出して、おかしくなったりもする。

 しかし、この3086列車は、遠い地を想うのに最適な列車である。北海道という、その始発駅もさることながら、牽引する機関車が北海道内から都内まで同じというところも魅力だ。山手貨物線を往く3086列車の先頭に立つEH500形電気機関車は、函館の近くの五稜郭から新鶴見までの長丁場を担当している。そんなEH500形の勇姿を日常風景の中で目にすると、遠く北海道の風が感じられるようにも私は思っている。

 北海道から都内まで直通してくる旅客列車は、寝台特急「北斗星」にせよ「カシオペア」にせよ、青森で牽引機が替わってしまう。それに対してこの3086列車は機関車を替えることなく、北海道の五稜郭から駆けて来る。

 それを想うと、やはり私は、3086列車に乗ってみたくなってしまう。北海道から、力強いEH500形に牽かれて、東北を縦貫してみたくなる。札幌貨物ターミナルの発車は17時51分で、ダイヤとしては寝台特急「北斗星」や「カシオペア」の後を追うことになり、都内への到達時刻で見れば両列車より2時間以上後のことになっているから、寝台特急より北にいるうちから車窓が明るくなるだろう。朝の東北の車窓を存分に楽しんで、都内へ入ってくることになる。そして、ちょうど新宿を通過するのが正午頃だ。列車は、お昼休みのスタジオアルタをかすめて行く。北海道から一夜をかけて都心にたどり着いたとき、日常見慣れた風景は、どんなふうに私の目に映るだろうか。

 都内を駆け抜けた列車は、さらに旅を続ける。東海道で名古屋までの道のりだ。3075列車と名を変えたこの列車の先頭に立つのは、EF66形電気機関車である。かつて九州行き寝台特急を牽いていた機関車と同型である。東海道でまたEF66形の牽く列車に乗れるとしたなら、嬉しいことである。そして、終着の名古屋貨物ターミナルには、21時33分に到着する。約27時間30分の旅である。いや、私はすっかりこの列車に乗る気になって「車窓」などとも書いていたが、それはやっぱり叶わぬことである。

 それにしても、3086列車の経路には疑問がある。というのは、東北方面から東海道方面へ直通する貨物列車は、そのほとんどが都心を敬遠して武蔵野線を経由して行く。そんな中で、この3086列車は、真昼間の都心に堂々と乗り入れて来る。そこが不思議だ。

 しかし、それが私にとっては、この長距離の貨物列車を身近なところで眺められる貴重な機会ともなっている。また、都心でEH500形を目にするというのも、なかなかできないことである。

 だから、3086列車がどういう理由で山手貨物線を経由しているのかは知らないけれども、私としては今後もこの3086列車が今の経路をずっとずっと維持して欲しいものだと思っている。


山手貨物線3086列車
1枚目 山手貨物線恵比寿駅~渋谷駅にて 2010.1.30 
2枚目 山手貨物線大崎駅~恵比寿駅にて 2010.4.10
3枚目 山手貨物線渋谷駅~新宿駅にて 2010.4.29
4枚目 山手貨物線大崎駅~恵比寿駅にて 2010.5.7
5枚目 品鶴線西大井駅~武蔵小杉駅にて 2010.5.31
6枚目 山手貨物線蛇窪支線大崎駅~西大井駅にて 2010.8.10
7枚目 山手貨物線新宿駅~池袋駅にて 2010.9.6




さて、私はこの2077列車と3086列車という二つの貨物列車への想いを込めた記事に添えようと、これまでいろいろな表情の両列車を捉えることに躍起になってきた。しかし、ようやくここにその想いを綴ることができたので、これからはもっと気楽に、二つの身近な貨物列車を見送れると思う。それはそれでまた、楽しみである。


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by railwaylife | 2010-10-30 08:51 | 貨物列車 | Comments(6)

山手貨物線の貨物列車1 2077列車

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 貨物列車、というものには、あまり興味がなかった。

 なぜならそれは、私自身が貨物列車に乗れないからではないかと思う。人間は、逆立ちしたって貨物列車では運んでもらえない。

 鉄道の魅力の一つは、自分が目にした列車に乗ってみたい、そしてどこかへ行ってしまいたいという憧れであると思う。あるいは、自分が以前に乗った列車を目にしたなら、乗車したときの思い出を振り返って、その憧れを新たにすることもできる。しかし、貨物列車ではそれができない。そういう意味で、その列車に乗れるか乗れないかは、大きな違いがあると思う。

 だから私は、今まで貨物列車を追っかけようという気があまりなかった。例えば数年前まで首都圏の貨物列車では、かつてブルートレインの牽引機として華々しく活躍していたEF65-535号機が先頭に立ったりして注目を浴びていたが、私はそれにまったく興味がなかった。私の家から比較的近い新鶴見辺りまで出向けばその機関車は頻繁に目にすることもできたわけであるが、結局EF65-535号機を見に行くことはただの一度もなかった。

 それはそれで別に後悔していないけれども、このように貨物列車には、貨車を牽く機関車に魅力があると言うことはできる。

 かつて旅客列車にも、機関車の牽引するいわゆる客車列車というものが多く存在したわけだが、今やそれは風前の灯で、定期列車ではわずかに寝台特急の一部に見られるだけである。

 それに比して貨物列車は、M250系の「スーパレールカーゴ」の数編成を除いては、すべて機関車の牽引する列車である。そしてその分、機関車のレパートリーが豊富である。国鉄時代の機関車から、JR貨物の新製した最新式まで、さまざまな形式を見ることができる。だから、機関車の魅力に触れたいと思うなら、今や貨物列車を追いかける方が良い。

 そんな魅力に私も惹かれ始めたのか、最近は貨物列車のことが結構気になるようになってきた。それはやはり、乗れるとか乗れないの問題ではなく、牽引する機関車に対する憧れではないかと思う。もはや旅客列車だけ眺めていても、機関車を目にする機会は実に少ない。

 また、貨物列車というのは、その運転経路が面白かったりする。旅客列車では考えられないようなルートを通ったりしているからだ。そんなことを調べてみても、貨物列車って奥が深いんだなあと思ったりしている。

 そんな中で、私の注目している貨物列車がある。それは私にとって、最も身近な貨物線である山手貨物線を通る列車である。旅客列車にせよ貨物列車にせよ、初めはやはり自分の日常に近いところにあるものに興味を奪われるものである。



 さて、その山手貨物線を走る列車の中でも、私が最初に興味を持ったのは、2077列車という貨物列車である。

 以前にも書いたように、山手「貨物線」というのは、もはや名ばかりであって、日中は埼京線や湘南新宿ラインの旅客列車がひしめき合っていて、貨物列車の通る余地などない。しかし、この2077列車は、昼近い午前中の山手貨物線を悠々と走り往く列車である。

 そんなふうに、山手貨物線の本来の姿を見せてくれるところが魅力でもあるが、この列車の一番の注目点は、その運転経路である。これがなかなか面白い。

 2077列車の始発駅は東京貨物ターミナル駅で、朝9時36分に発車する。一方、終着駅は隅田川貨物駅で、11時51分に到着する。どちらも都区内の駅であるが、その両駅間のルートはとんでもなく遠回りである。

 始発駅の東京貨物ターミナル駅というのは、大田区八潮にある。東京モノレールの大井競馬場前駅の近くだ。一方、終着駅の隅田川貨物駅は文字通り隅田川の近くで、足立区南千住にある。

 もし旅客がこの区間を乗車するとすれば、東京モノレールで浜松町駅に出て、山手線か京浜東北線で日暮里駅まで行き、常磐線に乗り換えて南千住駅に出るというルートになるだろう。あるいは、浜松町駅から大門駅まで歩き、都営浅草線から東銀座駅もしくは人形町駅で東京メトロ日比谷線に乗り換えて、南千住駅に出るという行き方もある。

 しかし、貨物列車である2077列車は、この区間をかなり変わったルートで結んでいる。それが注目に値する。

 9時36分に東京貨物ターミナル駅を発った列車はまず、目的地に背を向けて、南へと下る。走っているのは東海道貨物線だ。この線路は地下にもぐり、多摩川をくぐって羽田空港をかすめ、川崎の臨海地帯で地上に顔を出す。そこからゴミゴミした工業地帯を抜け、鶴見川を渡り、横浜市に至る。たどり着くのは旅客線の鶴見駅の横だ。

 ここで一旦方向転換した列車は品鶴線に入り、新鶴見信号場で小休止となる。この先は湘南新宿ラインの列車と同じルートである。武蔵小杉駅を過ぎ、多摩川を渡り、西大井駅を過ぎ、蛇窪支線という恐ろしい名の支線を通って大崎駅に出る。

 ここからは山手貨物線だ。山手線の五反田・目黒駅を横目に、恵比寿・渋谷・新宿の各駅を通過して行く。山手貨物線の旅客列車の隙間を縫って往くことになるから、ダイヤ乱れの影響を受けることもあると思う。湘南新宿ラインが通る関係から東海道本線や東北本線や高崎線が遅れると、この列車も影響を受けることになる。午前中だから、ラッシュ時の遅れの煽りも受けることもあるかもしれない。

 そういう中、都心を走る貨物列車の姿は、いかにも窮屈そうだ。私がこの2077列車を見送るのは、たいてい大崎駅から新宿駅の間くらいであるが、いつも恐る恐る走っている印象がある。

 そんな2077列車も、駒込の先でようやく山手線との併走から逃れ、田端の操車場へと入る。しかし、操車場へ進入するには、方向転換しなければならない。それで、今までの最高尾に新たな機関車がくっ付く。ここには機回しをする側線などないからだ。列車は、王子駅南側にある細い引込線に押し込められ、そこで後ろ向きに走り出す。鶴見駅に続いて、二度目の方向転換である。

 そうやってようやくの思いで田端操車場に入り、そこからさらに下町の中の狭い線路を抜け、やっと隅田川貨物駅に到着する。

 実に複雑な経路をたどっている列車だ。東京貨物ターミナル駅から品川へ抜け、東京・上野を経由して常磐線で南千住へ抜ければどんなにか楽だろうと思う。しかし、東京貨物ターミナル駅から品川まで線路がつながっているのかいないのかよくわからないし、そもそも東京駅や上野駅を貨物列車が通過することはできないだろう。やはり現状の経路を採らざるを得ない。

 それにしても、ずいぶんと時間のかかる列車だ。東京貨物ターミナル駅から隅田川貨物駅まで、2時間以上もかかっている。

 試みにこの区間を旅客が移動するとして、その最速ルートを乗換案内で検索してみると、次のような結果が出てくる。

 まず、東京貨物ターミナル駅から徒歩で大井競馬場前駅へ向かう。ヤフーの地図によれば、東京貨物ターミナル駅から大井競馬場前駅までは徒歩17分となっているから、9時36分に東京貨物ターミナル駅を発ったとして、10時01分発の区間快速浜松町行きには十分間に合うだろう。

 この列車を起点として検索すると、10時10分着の浜松町駅で10時14分発の京浜東北線北行電車赤羽行きに乗り継ぐことになる。この電車で10時31分着の日暮里駅まで行き、10時36分発の常磐線土浦行きに乗る。すると二駅目が南千住駅で、10時41分に到着する。駅の東口を降りた目の前が隅田川貨物駅であるから、11時51分着の2077列車より1時間以上も早く着くことができる。

 しかし、そんなことを競ってもまるで意味がない。鉄道の貨物輸送は、より速くということではなく、決められた時間に確実にものを運ぶということが第一の使命であると思う。この2077列車も、都区内の両駅の間を、毎日同じ時間にきちんと走り、着実に荷を運んでいるということが肝心である。

 ただ、この列車は何も、単に八潮から南千住への荷物を運んでいるわけではないと思う。推測ではあるが、おそらく東海道貨物線で西から来た貨物を東京貨物ターミナル駅で整理し、その中からさらに東北本線経由等で北へ運ぶものを隅田川貨物駅へ届けているのではないだろうか。そんな中継的な列車ではないかと思う。

 幹線の華やかな高速貨物列車とは違って、何とも地味な存在であるが、そんなところが私はまた気に入っていて、何度も見送っている。

 また、かつて寝台特急の牽引機として活躍したEF65PF形が先頭に立っているというのも、大きな魅力である。塗装も違うし、寝台特急を牽いていた機関車そのものが任に当たっているわけではないのだが、EF65PF形という形式はいつでも憧れの的である。それは、もしかしたらEF65-535号機よりも魅力的な存在であるかもしれない。

 こんなふうにして、私にとって最も身近で、最も興味のある2077列車であるが、今や旅客線としての役割が主になっている品鶴線や山手貨物線を経由する列車だけに、邪魔者扱いされないとも限らない。しかし、私としては、身近な場所を走る数少ない貨物列車の一本として、末永く走り続けてもらいたいと思っている。


山手貨物線2077列車
1枚目 山手貨物線大崎駅~恵比寿駅にて 2010.4.10
2枚目 山手貨物線恵比寿駅~渋谷駅にて 2010.6.5 
3枚目 山手貨物線恵比寿駅~渋谷駅にて 2010.6.20
4枚目 品鶴線西大井駅~武蔵小杉駅にて 2010.6.28
5枚目 山手貨物線渋谷駅~新宿駅にて 2010.7.16
6枚目 山手貨物線池袋駅~田端操車場にて 2010.8.10
7枚目 山手貨物線新宿駅にて 2010.9.6



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by railwaylife | 2010-10-29 08:12 | 貨物列車 | Comments(1)

富士は見えたか1

 突如として北から寒気が押し寄せてきて、北日本は軒並雪景色となったようだ。私が押し籠められている東京も、昨日から急に冷え込んだ。

 冬型の気圧配置になり明日も冷え込んで晴れるでしょう、という予報を聞いた昨夜、私はある眺めを期待した。

 それは、富士山の眺めである。冬晴れのように雲一つなく晴れ上がって、遠くまで透き通るように見えるだろうと思ったからである。そうなれば、東京からも富士山がきれいに見えるはずだ。

 東京に居ながらにして、静岡や山梨にある山が見える。それは何だか、日常にいても遠くへ行った気にさえなれる。それで私は、富士山が現れてくれることを期待していた。

 ところが、朝起きてみるとやけに雲が多かった。時間ごとの予報では、午前3時から晴れることになっていたのに、雲の去るのが遅いようであった。これでは、山など見えるはずもない。

 がっかりしながら冴えない空の下を出勤したが、私は諦めていなかった。月曜日のように、昼休みには晴れ渡るかもしれないと思ったからである。

 期待に違わず、昼休みの空は青かった。しかし、雲はまだまだ残っていた。秋を通り越した寒風がこの身に吹き付けてきたので、雲も吹き飛ばしてくれ、と私は風に祈った。

 昼休みに行けるような近間で富士山が見えるところといえば、月曜日にコスモスを眺めた「あんさんぶる荻窪」の屋上庭園である。五月のことだったか、くっきりとした富士の容姿を見たことがある。それで、朝からそこへ行こうと決めていたのだが、雲の具合を見ていると、とても富士山は眺められそうになかった。

 でも私は、念のため屋上庭園へ行ってみた。この前は食べ物を持たずに行ってのんびりできなかったので、今度はコンビニでパンと温かいコーヒーを買い込んで、屋上庭園への階段を駆け上がった。

 一昨日同様、秋桜越しの青空を見ながら屋上にたどり着く。すぐに富士のあるべき方向を見たが、やはりあいにく雲がかかっていた。
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 空の青さは澄んで冬のようなのに、雲は秋である。いや、季節もまだ秋だ。秋であってほしい。このまま冬になっては困る。
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 空を見ながらそんな想いを胸に、ベンチに座ってパンを食べる。ベンチに置いたコーヒーが風で倒れて大慌てしたが、実にのんびりとした昼食であった。

 食べ終わってからiphoneをおもむろに取り出し、ipodを聴く。昨日発売になったばかりのCDアルバムを朝大急ぎでipodに詰め込んできたが、それを初めて耳にする。こんな透き通る空の下で、待ちに待ったお気に入りアーティストのニューアルバムを聴けるとは、何とも幸せだ。手にした歌詞カードを見ながら新曲を聴いていくと、思わずはっとさせられる詞があって、不意に空を見上げた。

 しかし、時間的には三、四曲聴けるのが限度であった。続きは帰りの電車の中に取っておくとして、屋上にいる間に何本も通り過ぎた中央快速線の電車をしばし眺める。
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 電車の向こうには山影があった。方角的には、奥多摩から秩父の方だろうか。富士山ほど距離はないけれど、私は確かに遠くの山を見て、遠くへ想いを馳せることができた。

 そんな贅沢な、昼休みであった。

by railwaylife | 2010-10-27 23:44 | 中央本線 | Comments(0)

近くの秋桜

 月曜の朝、私が特急「あずさ」9号を見に行ったのは、荻窪駅近くにある「あんさんぶる荻窪」の屋上庭園であったが、そこに至る階段沿いに秋桜が咲いていた。

 都会ではなかなか見られない花である。私も今年の秋はまだ、この花をじっくりと見ていなかった。それで、こんなにも私の日常の近くに秋桜があったのかと嬉しくなったが、あいにく朝は時間がなく、じっくりと眺めることができなかった。

 そこで、昼休みにこの秋桜をまた見に来ようと心に決めながら、職場へと向かった。

 珍しく月曜の朝から集中して仕事をしていると、知らないうちに白い空が青い空に変わっていた。

 昼休みになってオフィスを飛び出すと、気持ちの良い空があった。しかし私は、悔しい思いがあった。こんな空が、朝から広がっていたらもっと良かったのに、と感じたからである。
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 それでもお目当ての場所へ行くと、露草色の秋空の下で秋桜が輝いていて、そんな悔しさはどうでも良くなった。目の前にある空と花に、私は見とれた。
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 屋上庭園へ向かう階段の途中にある花を眺めながら屋上へたどり着く。そこにも秋桜はある。
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 朝は誰もいなかった屋上だが、この時間は弁当を広げるサラリーマンや、ベビーカーを押す若い女性が思い思いに青空を楽しんでいた。私も何か食べるものを持ってくればよかったなと思いながらそこにしばし佇み、花と空を眺めた。
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 ふと秋桜を見遣ると、その先に線路があった。フェンス越しではあるが、秋桜の向こうに、日常見慣れたE233系が往く。
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 中央本線に秋桜なんていう眺めは、甲州・信州まで出向かなければ見られないと思っていた。しかし、ほんの身近なところに、その眺めはあった。

 季節を感じるためには遠くへ行かなければならないのだと、ついつい思いがちである。しかし、ちゃんと日常にも秋はある。私は、そんな近くの秋をもっと探してみたいと思った。

by railwaylife | 2010-10-27 07:38 | 中央本線 | Comments(0)

Monday Morning

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 月曜の朝は、重い。休みが終わってしまったという虚しさと、仕事が始まるという虚しさが交錯して、重い。

 そんな朝に雨など降ったら最悪だ。電車が混んで遅れる。傘を突く雨が心をさらに湿らす。

 じゃあ、よく晴れたらいいかと言うと、それも困る。なんでこんな天気のいい日に朝から晩まで室内に籠って、無味乾燥な設計書を眺めなきゃいけないのかと、自分の身を憐れみながら、日常の景色の上に広がる青空を、通勤電車の窓越しに見遣ることになる。

 要するに天気に関係なく気が重いわけだが、それは他の曜日以上に仕事がたまっていることがわかっているからでもある。

 金曜の午後ともなると、一週間の疲れも出て、気持ちもすっかり休日の方に行っているから、仕事のやり方もいつも以上に投げやりになってくる。それで、打ち合わせで課題が出たとしても「いやあ、これは週明けですね!」とか言いながら、お互い妙に納得し合って、仕事を先送りにするものである。

 そんな仕事が、月曜朝には一気に襲ってくる。幸い、休みの間はそんなことがあるのもすっかり忘れているが、不思議なもので職場へ向かううちに記憶が鮮明に蘇ってくる。あ、今日はあれもやらなきゃいけないんだ、なんてことを思い出すと、余計に足取りは重くなってくる。

 特に先週の金曜は、旧い友人と飲む約束があって、逃げ帰るように職場を出た覚えがあるから、そのツケも大きいはずであった。




 そんな大きな重さにまともに向かって行ったら、とてもやっていられない。だから今朝の私は、月曜朝の職場への途次に、重い気持ちをすっ飛ばすことにした。

 体は職場へ向かわなくてはいけなくても、心だけはどこへでも行ける。自由だ。大切なことは、目の前にある世界だけに捉われて、小さくならないことである。いつでも世界は広がっていると、感じることである。その広い世界へ心を旅立たせるために私はまた、遠くへ行く列車を見送る。松本行きの特急「あずさ」9号だ。

 白い特急列車は、数分遅れでやって来た。通勤電車の遅れに巻き込まれたのか、いつも以上に鈍足だ。その、のっそりとした走りのおかげで私は、しっかりと狙いを定めて、白き列車に自分の旅心を飛ばした。私の心は確かに車体にしがみつき、列車とともに西へと消え去ったように見えた。

 現実の私は、職場へ向かう。それでも、寄り道をしないで職場へ向かっていたより、ずっと心が軽くなった気がした。

 そのおかげか、今週のスタートは、いつもより気楽に仕事と向き合うことができたように感じられたものである。


E257系特急「あずさ」9号 中央本線荻窪駅~西荻窪駅にて 2010.10.25

by railwaylife | 2010-10-25 23:50 | 中央本線 | Comments(0)

空港アクセス問題

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 10月21日、羽田空港の新国際線ターミナルの供用が開始され、この空港の存在意義はさらに増してきている。特に都内に住む私などからすれば、成田空港まで行かなくても、羽田空港から国際線に乗れるようになるということは非常に魅力的に感じる。お金と時間のことはさておき、よし、ボクも羽田から海外へ行っちゃおうかな、という気にもなる。

 この新国際線ターミナルのオープンに合わせて、東京モノレールには羽田空港国際線ビル駅、京浜急行には羽田空港国際線ターミナル駅ができ、国際化が本格的に始まった空港へのアクセスも万全と言ったところである。

 しかし、私の住む東京23区南西部からこの羽田空港へのアクセスは、意外と不便である。



1.私の空港アクセス

 私の家から鉄道を利用して羽田空港へ向かう場合、一番の近道と言えば、まず東急東横線から多摩川駅で東急多摩川線に乗り、蒲田へ出ることである。そこで京急の空港線に乗り継ぐ。あとは空港まで六駅約十分である。

 だが、同じ蒲田と言っても、東急多摩川線の蒲田駅と、京急空港線の京急蒲田駅は意外と離れている。もちろん十分程で歩ける距離ではあるが、これから飛行機に乗ってどこか遠くへ行こうというときであれば、当然キャリーケースやスーツケースを引っ張っているわけだから、極力歩きは避けたいものである。特に両駅の間は繁華街でごちゃごちゃしていることもある。

 それに、徒歩での駅間の乗り継ぎとなると、電車の時間が読みにくいということもある。そうそう頻繁に乗り継ぐところでもないから、両駅間の移動に正確には何分かかるのかということは忘れがちで、いざ利用するとなると毎回乗り換え時間をどのくらい取ったらいいのかということに悩む。結局、余裕をもって家を出ることになり、近道とはいえけっこう時間がかかってしまうものである。

 どうせ時間がかかるのなら、途中で歩いたりせず、乗り換えの便利な駅での乗り継ぎを選べばいいということになる。そうすると、東急東横線で渋谷駅に出て、JR山手線で品川駅、そこから京浜急行ということになる。品川駅からなら、京急のエアポート快特に乗ることもでき、今やノンストップで羽田空港まで行ける。

 この経路でだいたい空港まで一時間というところであり、時間に余裕を持たせた蒲田経由と比べてもそんなに変わらないことになる。インターネットの乗り換え案内で最初に出てくる経路もこれで、一般的なルートと言えるだろう。

 とは言え、その経路を地図上で見てみると、なんで自分の家から見て南東にある空港へ向かうのに、一旦北へ向かわなければならないのかと思ってしまう。しかも都心へ片足を突っ込んで行くことになり、混み合う渋谷駅や品川駅での乗り換えはけっこう難儀である。両駅とも、キャリーケースを引いて歩くのに楽な構造ではない。だから、この経路はそれほど便利とは思えないところがある。



2.空港での煩わしさ

 さて、私は何故こんなにも空港アクセスのことをぐだぐだ言っているのかというと、空港というところは早く行くに越したことはないところだからである。それだけに、なるべく空港までは短時間で楽に到達したいと切に思う。

 今年の二月であったが、私と妻は朝早くの便で羽田から妻の実家のある福岡へ向かったことがあった。夜明け前に家を出て、品川経由で空港に着いた。そのとき、搭乗予定の便の離陸まで四、五十分はあったと思うが、カウンターへキャリーケースを預けに行くと、何でも搭乗口が急に変わったとかで、ターミナルからバスで飛行機に向かわなければならないと言われた。

 それで係員に「急いでください」と怒られ、私たちは大急ぎで朝食を買い込み、手荷物検査場へと向かった。祝日の朝のことゆえ検査場は混み合っていたが、何とかそこを短時間でパスし、バス乗り場へ急ぎ足で行った。

 すると、私たちが乗る便へ向かうバスはまだ準備が整っておらず、そこで待たされた。ようやくバスが来て乗り込むと、これでもかというほど空港の敷地内を連れ回され、やっとの思いで搭乗機にたどり着いた。どうにか離陸時間に間に合ったかと思うと、機内アナウンスが「まだバスにご乗車になっていないお客様がいらっしゃいます!」と告げ、結局離陸時間を過ぎても飛び立たなかった。

 もう何分遅れて離陸したのかも覚えていないが、福岡空港に一時間遅れで到着したことだけは覚えている。

 福岡空港で私たちを出迎えてくれた義父が「これなら新幹線で来るのと時間的にあまり変わらないな」と冗談交じりに言っていたが、私はその意見に大いに賛同した。何度乗っても、飛行機は苦手だからである。しかし、東京と福岡を何度となく往復している妻は、断然飛行機派である。いや、東京と福岡なら、それがふつうの感覚だろう。

 そのことはさておき、この二月のときのように、空港では何が起こるかわからないから、やはりできるだけ早く楽に行きたいものである。それゆえに、空港までの所要時間というのが大事になってくる。



3.別ルート

 では、品川経由以外の経路はないものか。乗換案内の検索結果を見ていくと、何番目かに出てくるのが横浜乗り換えという経路である。横浜までの東横線には東横特急があり、横浜からの京急線には空港行きの直通特急があるから、確かに所要時間は短いだろう。家から北の方角へ行かなくても済むし、都心も通らない。だが、南へ行き過ぎだろとつっこみたくなるような経路である。しかも、横浜駅の乗り継ぎだって楽ではない。だいだい、都内にある空港へ行くのになんで一回神奈川県に行かなければならないのかという疑問がある。

 そもそも何故、京急に乗り換えるというと、品川とか横浜とか、極端なところが出てくるのか。それはその間において、京急線とその他の路線の駅がみな、蒲田駅と京急蒲田駅のように離れているからである。東急大井町線の大井町駅と青物横丁駅、JR南武線の川崎駅と京急川崎駅も然りである。内陸から海側へ向かって行った路線が、大井町・蒲田・川崎という東海道本線の駅でみな行き止まりとなってしまう。

 これらの路線のうち、どれか一つでも東海道本線という「壁」をすり抜け、海側の京急線の駅につながっていたら、私の空港アクセスもどんなに楽かと思う。



4.新たなルート

 このような東海道本線の「壁」問題に対する対策を、本気で考えている自治体がある。それは大田区である。大田区は、東急の蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ鉄道の実現に向けて「大田区東西鉄道蒲蒲線」計画なるものをホームページに掲げている。

 そんな鉄道が本当にあったら、私の空港アクセス問題も一気に解消されるであろう。

 しかしこの計画は、思うように進んでいないようである。そもそも蒲田という街を東西に突き抜けるわけだから地下化をせねばならず、建設費はかさむ。また、ようやく両者を結んだとしても、東急線と京急線では軌道の幅が異なるのだから、直通列車は走れない。結局は乗り継ぎが必要ということである。空港から東急多摩川線、東横線、副都心線を経由して池袋さらには埼玉県方面への直通列車を走らせる構想もあるようだが、そんな直通列車も空港までは直接行き来できないということである。だいたい、間に多摩川線というローカル線が挟まっていることも、輸送力には問題がありそうだ。

 そんなわけで、この蒲蒲線はいつできるのかもわからず、それを待つわけにもいかないなと思う。それに蒲田の街や大田区は今、京急線のエアポート快特が京急蒲田駅を通過することになったという騒ぎで、蒲蒲線どころではないだろう。

 便利でないとはいえ、空港アクセスに蒲田乗り換えという選択肢も入っている私としても、この通過問題は他人事とは思えないところがある。文句を言う蒲田の人は、空港まで自転車で行けばいいと言った政治家がいたが、別に飛行機を見に行くだけならそれもありだろう。しかし、飛行機に乗って出かけるとなったら、話は別である。キャリーケースやスーツケースを持って、どうやって自転車に乗れというのだろうか。政治家は、もう少し状況を考えて発言した方がいい。

 このエアポート快特通過問題もそうだが、結局羽田空港のアクセスというのは、都心との関係しか重視してないように感じられる。京急と東京モノレールの熾烈な争いも、都心といかに速く結ぶかが焦点である。

 昨年末だったか、自称「撮り鉄」の国土交通大臣が、東海道新幹線の車両基地までの回送線を空港アクセスに転用できないかという提案をしていた。確かに回送線はモノレールに沿う形で敷かれているから、転用できなくはなさそうだ。なかなか面白い視点だと思ったが、結局JR東海に冷たくあしらわれ、話は終わってしまった。しかし、これとても都心とのアクセスだけを考えてのことである。

 たしかに羽田の空港アクセスというのは、やはり都心と結んでなんぼだと思う。空港の国際化で、その需要はさらに高まるだろう。地方から東京へ出てきて、羽田から海外へ飛び立つ人も増えてくることが考えられるからである。

 しかし、東京に住む私としては、羽田が国際空港である前に、もっと言えば首都の玄関口である前に、最も身近な地方空港であると思っている。その地方空港としての羽田へのアクセスは、やっぱり脆いのではないかなと感じる。もっと、周辺各地へのアクセスを充実させてほしいものである。そうでなければ、本当の意味でのハブ空港にはなれないんじゃないか、という気もする。

 まあこれは、都会の片隅に住む者の勝手な言い分であって、大きな目で見れば、羽田が都心、さらには成田といかに一体化できるかというところが、これからの大きな課題なのだろうと思う。



5.ベストルート

 ところで私は、空港アクセスと言いながら鉄道でのアクセスばかりを論じてきてしまった。空港へ行くには、もちろんバスやタクシーもある。実を言うと、私の家からの最速のアクセスはタクシーである。環七通りや環八通りを行ってもらえば、驚くほどの短時間で空港と行き来できる。それは、直線ルートを選んでいるからである。このタクシーという手は、何度か使ったことがある。

 しかしタクシーでも、湾岸に出てから空港に着くまでの距離がけっこうある。しかも、空港近くのトンネルに入るとタクシーがかなりすっ飛ばすから、面白いようにメーターが上がっていく。それが気が気ではない。

 結局、タクシーだと片道5,000円から6,000円はかかり、せっかく早割などで航空券を安く入手しても、それが無意味になってしまう。だからタクシーはどうしても時間がないときの最終手段である。

 空港行きのバスというのもある。近いところでは渋谷駅から出ている。渋谷からなら、実質乗り換え一回となるから楽は楽だが、問題は時間が読めないことだ。運行する東急バスのホームページによると、その所要時間は約50~80分となっていて、さすがに渋谷から80分もかかるのは御免だ。しかし、道路状況に運を任せるしかない。

 そんな各交通機関の諸事情を考えると、やはり確実なのは品川経由なのかなと思う。まあ、たしかに乗り継ぎは面倒だし、経路も見た目は遠回りだが、本数も多いので、空港アクセスとしては恵まれている方なのかもしれない。

 だから、しばらくは都心とのアクセスに躍起になっている世の中の流れを利用して、品川経由で我慢することにしよう。 


京浜急行エアポート快特 京急空港線京急蒲田駅~糀谷駅にて 2010.2.21

by railwaylife | 2010-10-25 07:35 | その他 | Comments(0)

旅心を忘れまい

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 自分自身の中に常にある「どこか遠くへ行ってしまいたい」という想いを、私は「旅心」と呼んでいる。この「遠くへ行く」ということは、私にとって「旅」であるからだ。

 こうした私の尽きせぬ「旅心」は、どこから来るのであろうか。もちろん、誰にでも「どこか行きたいな」という漠然とした気持ちや「旅行に行きたいね」という思いは多かれ少なかれあるだろう。しかし、私はそんな想いがふつうの人より異常に強く、尋常ではないのではないかと思ったりする。

 私は片時も、旅する日々を夢見ないことがない。私の行きたいところは、数え上げられないほどある。いや、一遍書き上げて、忘れないようにリストにしておきたいくらいだが、いったいどのくらいになるだろうか。

 そしてそんな強い「旅心」は、私にとって良いものなのか、悪いものなのか、と悩んだりすることもある。

 旅とはすなわち、非日常だ。日常から脱することである。東京駅から、上野駅から、旅立つときの心持ちには、何にも代え難い歓びがある。それはもしかしたら、旅の中で最も自分の心が輝く瞬間かもしれない。そんなふうに思えるのも、日常から脱け出せるという解放感があるからだろう。

 でもそれは、つらい日常という現実から逃れているだけなのかもしれないとも言える。だから、私が常に「旅に出たい」と思っているということは、常に「日常から逃れたい」「現実から逃れたい」と思っていることになる。そしてそんな自分が弱い人間なんだと思うと情けなくもある。

 しかし、旅に出ることを日常や現実からの逸脱と捉え、後ろ向きに考えるのも愚かしい。旅とはそんなネガティブなものではないからだ。

 旅は、私にとって生きる糧である。旅する日々のために生きていると言っても過言ではない。旅に出る日のために生き、その旅を心の底から楽しみ、それが終わればまた次の旅のために生きていく。そんな繰り返しである。言い換えれば、旅があるから日常を生きていけるということである。だから、もし旅ができないということになるのなら、もう人生をやめた方がいいとさえ思う。

 ただ、そんなふうに旅は私にとっての楽しみであるだけではない。旅に出て得られる経験や知識は、私を大きく成長させてくれるものだと思う。そしてまた、自分自身の生き方や、進むべき道に気付く機会でもある。

 寝台特急で深夜、闇の車窓をじっと見つめていたとき、私は自分がどう生きたいのかということに気付いたことがある。そのとき、車窓に続く二条のレールは、まさに自分の往くべき道を指し示すものであるように見えた。

 人は、いつもと違う風景を見れば、いつもは気付かないことに気付く。そして、そんな違う風景の中で感じたり考えたりしたことは、自分にとってかけがえのないものになる。私が執拗に旅日記を書き記してきたのは、それを大切に残しておきたいと思うからである。

 だが、自分にとってそんなふうに大切な旅に出ることがもうできないのではないか、あるいは旅をしてはいけないのではないかと思い詰めたこともあった。日常にがんじがらめにされたときである。そして私はそのときもう、人生を諦めようと思いかけていた。

 そんな折に父がくれた言葉がある。それは次のようなものであった。


 人生とはどれだけいい車窓を見たかだ。寂しい車窓よりも、微かな灯火、希望が見える車窓の方がぬくみがあっていい。

 悪く思えば悪くなる。よく思えばよくなる。脳裏の車窓に希望の灯火を点し続けることだ。



 私は、はっと我に返った。まさにその言葉が、私の旅に対する憧れとつながった気がした。それは、旅に出てもいいんだ、旅に出てたくさんのいい車窓を見ればいいんだ、そして脳裏にいつも、いい車窓を描けばいいんだ、ということである。それで私は、また人生を続けることにした。



 さて、ここまで私は旅の大切さを力説してきたが、その旅とは、何もただ遠くへ行けば良いというものではない。馬鹿みたいにお金と時間だけをかけ、何千キロ、何百キロも遠くへ行かなくても良い。何十キロ先だっていい。あるいは何キロ先だっていい。大事なのは、日常と違う風景の中に、自分を置いてみることである。そこで見えてくるものは、まるで違ってくる。

 だから、私が冒頭に書いた「遠くへ行ってしまいたい」という想いも、実は距離的に遠いということではなく、日常からどれだけ離れられるかということではないかと思う。よく「遠くへ行くばかりが旅ではない」と言うが、私は最近その言葉を強く実感するようになった。

 そしてそれをまさに実践しているのが父である。若い頃からよく旅に出ていた父も、最近は歳のせいかあまり遠いところへ行かなくなった。しかし、毎日のように近所を歩き、歩数計は常に5桁を記録するという。それは父にとって一種の旅なのではないかと思う。その中でさまざまな風景を見て、さまざまな発見をしている。そしてその発見を契機として、ときには本当に遠くへ出かけたりしている。そこで父はまた、たくさんの風景を見ている。

 私も父には及ばないとは思うが、これからもできるだけたくさんのいい車窓を眺めて、できるだけたくさんのいい風景の中に身を置いていきたいと思う。

 思えば、私の強い「旅心」は、血筋ではないかという気もする。父も「どこか違う風景の中に身を置きたい」という想いの強い人だと思う。そんな想いから、父は幼い私に「遠くへ行く列車」をたくさん見せてくれたのだと思う。そして、物心付くか付かないかのうちから東京駅や上野駅で見た「遠くへ行く列車」が、私の「旅心」を高めたことは言うまでもない。

 また、父の父、すなわち私の祖父は、私が生まれる二十年も前に亡くなってしまい、会うことも叶わなかったが、聞いた話によれば戦前に満州で商売をしていて、ほとんど人の行かないような奥地まで行き、そこに住む人たちと取引をしていたという。それは商売でのことだから「旅心」とは違うかもしれないが、未知なる風景を求めて止まない心は私も受け継いでいるのではないかと思ったりしている。

 もっとも私は、日本という狭い国の中でちまちまやっているだけで、そのスケールを祖父と比べれば申し訳ないほどであるが、それでも史跡を求めてほとんど人の行かないようなところに入り込んだり、道なき道を往くこともある。そのときの私にあるのは、ただただ自分が興味を持って止まない「歴史」に触れたいというその一事のみである。そして、そこにある情熱や熱意は、何にも代え難い強い強いものだ。そんな熱き想いを失わぬためにも、私は「旅心」をずっと持ち続けたい。



 考えてみれば現代の日本は、誰もが自由にそして安全に旅することのできる時代である。

 現代は、鎌倉時代のように、峠道に「異類異形ナルアリサマ、人倫ニ異ナリ」というような「悪党」なるものが待ち構えていて、身ぐるみ剥がされるということもない。そもそも今は、峠道を歩く必要がない。分水嶺を越えるディーゼルカーに身を任せておけばよい。唸り声を上げながらディーゼルカーが峠を上る。やがて峠のトンネルに吸い込まれる。暗い車窓に映る自分の顔を見ながらぼんやり手持ち無沙汰にしていると、やがて唸りが消える。そして心地良い走りに変わる。あとは車窓がぱっと明るくなるのを待つだけで、トンネルを抜けてから川の流れの向きが変わっているのを確認すれば、峠越えはおしまいである。

 また現代は、江戸時代のように関東への出入りに関所であれこれ詰問されることもない。その出入りは自由だ。東海道新幹線の「のぞみ」に乗れば、新横浜を出たら次は尾張名古屋である。途中、箱根近くの小田原を過ぎたあたりで車掌が検札に来るが、きっぷさえ見せれば「ご乗車ありがとうございます」と笑顔で応対されるだけだ。

 そして現代は、戦時中のように「不急不要の旅行はやめよう」というスローガンの下に移動が制限されることもない。今や政府は「観光立国推進基本計画」のもとに観光庁なるものを作り「日本人の国内観光旅行による1人当たりの宿泊数を増やす」とか「国内における観光旅行消費額を増やす」といった目標を掲げ、この国を観光立国、観光大国に仕立て上げようとしている。そのために自国の人々だけでは飽き足らず、国外からの観光客も盛んに誘致している。

 そんな時代のこの国に生まれた私は、思うまま旅ができることに感謝しなければならない。

 しかし、旅は贅沢なものだ。旅行会社に行けば、旅は商品ということになるが、その商品は贅沢品であり嗜好品である。だから、お金も時間もある年輩向けの商品が多くなる。団塊の世代が「セカンドライフ」に入ったこともあって、近年はそうした傾向が強まっているように感じる。JR東日本が中高年向けのコンテンツを充実させ、年齢に関係なく利用できる割引きっぷの縮小を図っているのは、その良い例だろう。

 しかし、旅は年齢を重ねてからだけするものではない。若いときも、老いてからも、旅をすべきであると私は思う。なぜなら、自分の積み重ねてきた経験や知識によって、旅先で目にする風景は違って見えてくるからである。

 若いときは「いいなぁ」と思った風景も、老いてから見ると落ち着かない思いになるかもしれない。若いときには何とも思わなかった風景も、老いてから見るとその深さに惹かれるかもしれない。自分の年齢によって、体調によって、気分によって、目の前の風景は変わってくる。だから、いい車窓を、いい風景を人生でたくさん見たいと思っている私は、年齢に関係なく、旅に出る。

 狂言「磁石」の冒頭で太郎冠者はこう言って旅立つ。


 いやまことに、皆人の仰せらるるは「若いとき旅を致さねば、年寄って物語がない」と仰せらるるによって、ふと思い立ってござる。


 私の旅は「ふと思い立った」ものではなく、周到に用意されたものがほとんどだが、太郎冠者の「若いとき旅を致さねば、年寄って物語がない」という思いと同じ気持ちを胸に、旅に出ている。

 もっとも、私はまだ「若い」のか、という疑問もある。別に若作りするつもりはないが、自分ではまだ若いと思っている。それは、何事につけ未熟だからである。年長の人から見れば「まだまだ青二才」ということになるだろう。そういう意味で私は、もっといろいろな経験を積まなければならない。だから、若き日の旅にも出る。そして、年寄ってからの物語を作るつもりである。

 そのためにも、私は「旅心」を忘れまい。



 冒頭の写真は新宿駅の中央本線特急列車の発車案内である。仕事の行き帰りに新宿駅を通ると私は、こんな案内板の行先をちらっと見ながら、甲州や信州の車窓を脳裏に描いて「旅心」を高めている。この上なくせわしない新宿駅の中に身を置きつつも、その一瞬は、日常の私にとってかげがえのないひとときである。

 もし私がまた日常に埋没し、この発車案内の行先を見遣る余裕さえなくなるようなことがあったら、それは私が私を失ったときである。

 もう、そうならないためにも私は、冥土の旅に出るそのときまで、決して決して「旅心」を忘れまい。

by railwaylife | 2010-10-23 16:56 | | Comments(3)

300系並び

 先々月、東京駅に300系を見に行ったことがあったが、そのときの記事で私は「今度は300系同士の並びを見てみたい」と書いていた。だが、今や東京駅で300系が並ぶ場面というのは、意外と少ないものであった。

 定期列車だけで調べてみると、その機会は一日一回限りであった。東京駅のホーム全体で見れば、同じ時間に二本以上の300系が停まっていることは何度もあるようだが、となり合った番線に二本が仲良く並ぶ光景というと、ただの一度しかない。

 その光景は、朝の10時過ぎにやって来る。10時10分、15番線にまず300系「ひかり」460号が到着する。この列車は折り返し10時26分発の「こだま」647号となる。次いでとなりの16番線には、10時17分に300系「こだま」632号が到着する。こちらは折り返し、10時33分発の「ひかり」509号となる。つまり、16番線に「こだま」632号が到着した10時17分から15番線の「こだま」647号が発車する10時26分までの九分間が、300系の並びを見られる時間となる。

 ところが、時刻表の10月号を見てみると、この10時26分発の「こだま」647号のところに注記があり、そこには「11月2日からは700系車両で運転」と書かれていた。一日一回の300系並びは、11月1日で終わりですよ、ということである。

 どんなことでもそうだが、最近は世の中の流れが早く、いつかそのうちに、なんて思っていることはあっと言う間に叶わぬこととなってしまう。

 この「300系の並びが見たい!」という私のつまらない願望も、日常に押し流されているうちに、叶わぬことになってしまうところであった。気付いたときにはもう、そんな光景は見られなくなっているということである。

 もちろん、臨時列車も含めれば、まだまだ東京駅では300系同士の並びが見られるのかもしれないが、この前もそうであったように、時刻表上では300系で運転されることになっていても、いざ見に行ってみると700系だったということも少なくない。そんな不確かな場面に賭けるほど、日常は暇ではない。

 だから私は、11月2日が来る前に、朝10時過ぎの東京駅新幹線ホームへ行ってやろうと思っていた。



 そして一昨日火曜日、それを実行に移した。この日は、午前中に病院に行かなければならないこともあって午前中休みを取り、午後から仕事へ行くことになっていた。それで私は、東京駅に寄ってから病院へ行くことにした。家から病院、病院から勤務先へという経路から見れば、東京駅はまるで明後日の方向にあったが、そんなことにはかまっていられなかった。行こうと思ったときに行かなければ、行きたいところには行けない。日常にかまけて行く機会を逃せば、どうせまたこのブログに「300系同士の並びを一度見たかったものである」とか湿っぽく書くだけであろう。そんなのは、いかにも愚かしい。だから私は、勇んで10時過ぎの東京駅へ出かけた。

 さて、私は10時17分から10時26分までの九分間が300系の並びが見られる時間であると書いた。だが、実はこの九分間は、確かに300系がとなり同士の番線に並んではいるけれども、その顔が並んでいるわけではない。と言うのは、16番線のホームの方が若干品川方に飛び出していて、そこに入線する列車の停止位置が前がかりになるからである。だから、九分間の両者の眺めはこんなふうである。
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 15番線側の300系が、16番線側の300系に隠れるように佇んでいる。もっと16番線ホームが長く、引いて見られれば良いのだが、あいにくこれがホーム一番端からの眺めである。

 だから、実際に300系二編成が顔を並べるのは、15番線の列車が「こだま」647号として16番線の列車の横へ飛び出てくる10時26分の一瞬ということになる。私は、その瞬間を静かに待った。幸いにして、こんなどうでも良い場面を見ようという物好きも他にいなかったから、のんびりと待つことができた。

 300系を含めた新幹線の各形式が並ぶ眺めをぼんやりと見やる。
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 この眺めからやがて200系が消え300系が消え、E5系なんて車両が現れたりする。そして、東京駅の周りにはにょきにょきとビルが生え、赤レンガ駅舎は創建当時の姿に復元されている。目の前にある風景は瞬く間に変わっていく。そんな変化の早さに、私はついていけない気がする。そう感じる私は、現代の落ちこぼれなのかもしれない。

 やがて、待ちわびた10時26分を迎える。発車メロディーが微かに聞こえたかと思うと、15番線の300系がのろのろと出てきた。それで、並びの一瞬はスローモーションのようにゆっくりと過ぎていって、何だか自分の想いを込めるタイミングが合わせられないままだったが、私はそれでも300系並びというその瞬間を脳裏に焼き付けていた。
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 あとは旅立つ300系をじっと見送る。次第に速度を上げていく白き車体に、毎度のことながら西への旅心を乗せる。
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 考えてみれば、この「こだま」649号は名古屋までしか行かない。想いは名古屋よりもっと遠くへ飛ばしたいところであるが、その先はもうどこでも良かった。大事なのは、今いる自分の日常ではない、どこか他の場所の風景を思い描くことである。そのために私は、心を旅立たせる。そしてそれができるこの場所に、130円の入場券だけで入り込むことができるのだから、安いものである。

 旅心を300系に乗せた私は、日常の中央快速線E233系が待つ1・2番ホームへと静かに歩を進めた。


東海道新幹線300系電車 東海道新幹線東京駅にて 2010.10.19

by railwaylife | 2010-10-21 07:38 | 300系 | Comments(2)

旅立ちの300系

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 有楽町駅前の東京交通会館3階テラスは、東海道新幹線の撮影地として良く知られたところだ。東京国際フォーラムの特異な形状を背景に新幹線を捉えられるこの場所では、始発駅東京を発ったばかりの列車を見送ることができる。

 都会のビルに埋もれて走る新幹線をこうやって撮れる場所はそうそうないから、ここは人気の撮影スポットとなっていて、今年の早春に500系が引退する間際などは、かなりの撮影者で賑わったようである。

 近い将来、この300系が引退するときにも、ここにはカメラの放列ができるのであろうか。しかし私は、決してその列に加わりたくないと思う。皆で同じときに同じ風景を撮ったって仕方ない。私はそのとき、私だけの風景を眺めたい。そしてそうやって混み合う前に私は、この場所で300系を眺める。今ならまだ、定期列車だけでも一日上下合わせて延べ50本以上の300系がここを往来している。



 ところで、ここの背景になっている東京国際フォーラムは、東京駅から西へ旅立つとき、最初に目に入ってくる大きな建物である。だから、東京からの旅立ちの象徴でもある。

 確かここは、夜になると色とりどりのイルミネーションが点るはずである。いつだったか、寝台特急で東京駅を発ったとき、私はその旅立ちの歓びに感極まり、馬鹿みたいに目を潤ませていたことがあった。寝台特急「出雲」に最後に乗ったときのことだったろうか。そのとき、この東京国際フォーラムのイルミネーションが滲んで見えたものである。

 もう東京国際フォーラムを青き列車の車窓に見ることはないけれど、いつかまた私は、東京駅からの旅立ちの歓びを、この建物にぶつけてやりたいと思っている。そんな想いを込めながら私は、旅立つ300系をじっと見送っていた。

 それにしても、この青い青い旅立ちの空は、羨ましい!


東海道新幹線300系 東海道新幹線東京駅~品川駅にて 2010.10.16

by railwaylife | 2010-10-20 07:44 | 300系 | Comments(0)