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妙高号の旅

 直江津駅や谷浜駅を楽しんだ私は、直江津駅から信越本線上りで、長野方面へ抜けることにしていた。

 信越本線直江津-長野間は、なかなか魅力的な区間である。急勾配の続く、いわば山岳路線だからである。それで、この区間にあまり乗ったことのない私は、今回の直江津からの旅程に、ぜひともここを通るようにしたいと考えた。

 そして、この直江津-長野間に乗るなら、どうしても利用したい列車があった。それがこの、普通「妙高」号である。
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 普通「妙高」号は、普通列車であるにも関わらず愛称が付いている上に、使用されている車両が元特急車両という、ある意味「贅沢」な列車である。

 それもこれも、長野新幹線の「リレー列車」という役割を負っているからであるが、特急券も何もなしに特急車両へ乗れるというのは、得した気分になれるし、嬉しいことである。だから私は、この列車を選んだ。

 とは言え、この「妙高」号に使用されているのは、かつて上野-長野・直江津を結んでいた在来線特急「あさま」で活躍していた189系であり、いくら特急車両という設備の良さを持ってはいても、老朽化した印象はぬぐえない。外観も、特急「あさま」時代のままである。

 しかし、私にとってはそれが憧れの対象である。というのも、私は在来線時代の特急「あさま」に、上野-長野間しか乗ったことがないからである。だから、この普通「妙高」号の直江津-長野間乗車は、乗ることの叶わなかった特急「あさま」の直江津-長野間の旅路をたどることでもある。
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 さて、この日早朝から活動していた私であるが、朝食はきちんととれていなかったので、普通「妙高」号の車内で駅弁を食べることにした。要衝直江津駅では、駅弁もいろいろな種類を売っている。その一つを買い込んで、列車に乗り込んだ。特急車両だから、車内で堂々と駅弁が食べられる。いや、堂々も何も、私が乗った1号車には、誰も乗っていなかった。
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 車窓のことを考えて、どの席に就こうか迷ったが、とりあえず左窓際席をとって落ち着く。

 さて、私は列車が動き出したら、忙しくなる予定であった。というのも、こんな本を持ってきてしまったからである。
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 この本には、各路線の勾配や曲線が細かに掲載されている。それを見ながら、車窓を楽しもうと考えて持ってきたわけだが、さすがに曲線の半径までをいちいち体感するのは大変なので、勾配だけを見ていくことにしようとは思っている。とはいえ、勾配をチェックするだけでも忙しくなりそうだ。ちなみにこの本は、国鉄時代の1986年に刊行されたものであるが、信越本線のこの区間はそんなに線形が変わったとも思えないので、本に掲載されている情報でも十分楽しめるはずである。

 というわけで、発車したら勾配のチェックに勤しむつもりなので、私は発車までに駅弁を食べてしまおうと思った。しかし、そんなに急ぐ必要はなかった。本によれば、途中の新井駅までは、さほど勾配がないからである。それで、駅弁はゆっくり食べることにした。

 私が買った駅弁は、この「かにずし」である。
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 もう気分はすっかり山国の信州に向いていて、海の幸を食べることに違和感さえあったが、せっかくの越後に来たのだから、その味も楽しんでおきたいところであった。
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 酢めしに載ったかにを、生姜とともに口に入れると、すっぱさが一層増した。そんな味は、もう少し若い頃ならあまり好まなかったが、今はけっこう好きである。考えてみれば、たまに回転寿司屋に行くと、最近はガリを食べる量が多い。味覚だけはいっちょまえに大人のものになっているなと思う。

 食べているうちに普通「妙高」号は直江津駅を発つ。しばらくは上越市内を行くが、車窓には次第に青々しい稲が広がってきた。畦道にはまだ元気なあじさいもあって、私は嬉しくなってきた。

 最初の駅は春日山で、上杉謙信の春日山城が近い。私も一度登ったことがある。その城がある右窓を見遣る。

 やがて建物が増えてくると、高田・南高田の両駅に停車する。上越市の中心部であり、けっこう乗客があった。
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 この頃までに私は弁当を食べ終わり、ようやく車窓に集中できる体勢になっていたが、次の脇野田駅辺りまで来ると、嫌なものが見えてきた。建設中の北陸新幹線高架橋である。

 工事中の白くくすんだコンクリートの高架橋を、在来線の車窓に眺めるという図は、決していいものではない。二年前に乗った寝台特急「はやぶさ」の車窓、この春に乗った寝台特急「北陸」でも、似たような景色を見たが、うんざりするものであった。地形も何も無視して一直線に連なる高架橋は、在来線の車窓にあっては目障りなものでしかないからである。そしてまた、来るべき「旅情のない車窓」を暗示するものでもある。しかし、国家がそれを希求しているのだから、もはやどうこう言っても仕方ない。この国には「旅情」など必要のないということだ。
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 それにしても、北陸新幹線が開通したら、きっとこの「妙高」号は真っ先にお払い箱だろう。それはかわいそうなことだ。そんな私の想いを示すかのように、暗い空から雨が降ってきた。

 高田駅を発ってから一旦まばらになっていた家並がまた増えて、新井駅に着く。ここで一気に乗客が増える。

 持参した本によれば、ここから先がいよいよ上りの急勾配区間となっている。それで、新井駅を列車が発車すると、私はいよいよだという気になってきた。するとにわかに、車窓が山めいてきて、くすんだ緑に染まる。そして、列車の走りが重々しくなってきた。上り坂に差し掛かったからである。本によれば、この区間の勾配には「25.0」という表記がある。これは、1000メートル進む間に25メートル上るという、25パーミルを表している。鉄道の勾配としてはかなりきつい方だ。

 やがて列車は、檻の中のようなスノーセットに入ると、ぱたりと停まった。そして、恐る恐る引き返す。スイッチバックの二本木駅に進入するためである。
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 かつての特急電車が、バックしながらスイッチバックの小駅に入って行くというのは、ある意味「屈辱」ではないだろうか。そもそもこの「妙高」号は、新幹線の「リレー列車」なのに、なぜ普通列車扱いで各駅に停車するのだろうか。快速でも良いような気がする。

 そんな想いを巡らしていて、スイッチバック駅をあまり楽しめないうちに二本木駅を発車してしまった。

 スノーセットを抜けた列車は、尚も25パーミルの勾配を上って行く。楽しみな区間であるが、私はここに来てウトウトとしてきてしまった。そして、気が付くと次の関山駅を過ぎていた。

 気を取り直して本を見てみると、この辺りもまだ25パーミルの上りであった。車窓には、いつしか深い谷の向こうに高い山並が続くようになっている。脇野田駅の辺りで降っていた雨も止み、何となく空が明るい。薄日というほどでもないけれど、曇りというにも明るくて、深い緑が輝く。

 私は、座席の下から来る重厚な走りを感じ、これが25パーミルなんだなと実感していた。そして、こうやって25パーミルの勾配を上り下りするのが、この189系の日常なんだなと改めて知った。先日私は、この189系が特急「あやめ」に用いられるために都内へ出てきたところを目にしたが、おそらく189系にとっては、平坦な関東平野を往く特急「あやめ」の運用など「ちょちょいのちょい」だったに違いない。

 列車は緑深き妙高高原駅に到着した。すでに長野県に入っている。その名の通りここは高原で、手にした本によれば標高は510mとなっている。勾配にかかる前の新井駅が標高60mだというから、約450mも上ってきたことになる。ただ、空はどんよりとしたままで、高原の爽やかさはない。空が晴れて澄み渡っていたらもっと高原らしかったのかもしれない。高原を気取ったのか、ピンク色に塗られた建物が色褪せて、余計にわびしい。

 そんな妙高高原駅を後にして、尚も上れば、いよいよ頂点の黒姫駅である。標高は671mに達した。
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 そしてここからは、下る一方となる。ただ、その勾配はやはり25パーミルで、列車は重々しく下って行く。決して気を抜かないぞという走り方だ。そんな緊張感が漂っているのに、私はまた眠くなってしまった。

 せっかくの急勾配区間なのだから、眠ってしまうのは惜しいと思って、私は眠気に抗したが、そのうちに眠ってしまったようだ。そして、目が覚めたときには下り勾配の区間がほとんど終わっていた。私は悔やんだけれども、やはり夜行明けだから無理もないことだと思った。こういうときは、眠ることを恐れてはいけない。むしろ、25パーミルの上り下りを体感しながら眠るなどというのは「贅沢」なことであると思いたい。

 さて、気を取り直して車窓を見る。列車はすっかり平地に下り立っていて、程なく豊野駅に着く。飯山線の分岐駅だ。考えてみると、飯山線にはもう十五年も乗っていない。久しぶりに、千曲川から信濃川の流れに沿った車窓を楽しんでみたいものだと思った。

 豊野駅を発ち、見通しの利く田園地帯を行くと、また新幹線の高架橋が見えてくる。長野新幹線の営業区間はこの先の長野駅までだが、ここ豊野駅辺りまで高架橋が続いているのは、車両基地があるためだ。今は車両基地への回送線だが、北陸新幹線が開業すればやがて営業線となるのだろう。

 その高架橋が近付いてくるのを見るうちに、長野車両センターが見えてくる。ここには廃車になった車両が解体されるところで、いわば車両の墓場でもある。そんな解体を待つ車両が、車窓に現れる。それを見た私は、何だか急に日常へ引き戻されるような気がしてきた。それは、私が毎日のように利用している車両を目にしたからである。

 すでに引退した京浜東北線の209系や「成田エクスプレス」の253系はもう過去の車両だからいいとしても、問題は山手線E231系500番台の6扉車や、中央緩行線のE231系である。ウグイス色の6扉車は、ホームドア問題で「邪魔者」になり、ここで最期を迎えるのだろう。黄色いE231系は、その6扉車を引き連れて来たのだろうか。何にしても、この両者は私の日常そのもののような気がして、げんなりしてしまった。何もこの「妙高」号の車窓に現れなくてもいいのにと思った。

 そんなふうにして私は、日常を感じながら、終着の長野駅を迎えることになってしまった。

 だが、降り立った長野駅では、特急「しなの」が出迎えてくれた。信州に来たなあと改めて思う瞬間であった。
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 こうして、普通「妙高」号の旅は終わった。本当はこのままかつての特急「あさま」の旅路をたどり、189系で上野駅まで帰りたいくらいの気分であったが、ヨコカルで線路が物理的に途切れている以上、それは絶対に叶わぬことだ。だから、ここから先は、昔乗った「あさま」の旅の思い出をたどるしかなかった。

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by railwaylife | 2010-07-31 23:50 | JR東日本 | Comments(0)

食パン電車との再会

 北陸本線谷浜駅で、直江津駅の普通列車を待っていると、やって来たのはこの列車であった。
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 419系の「食パン電車」である。谷浜駅へ来るときに乗った「デカメロン」と同じく、この車両に出会うこともまた、この旅での目的であった。

 この「食パン電車」も「デカメロン」も、北陸本線の普通列車に使用されていることはわかっていたから、私は谷浜駅の往復で二つの車両に乗れればいいなとは考えていた。しかし、これほどうまく両方に乗れるとは、正直思っていなかった。だから、谷浜駅に「食パン電車」が現れたときには、嬉しさの余り思わず「おっ!」と声を上げてしまった。

 私は興奮気味に「食パン電車」へ乗り込んだ。寝台電車の面影を色濃く残す車内へ入ると、気分はさらに高まった。早朝に急行「きたぐに」を眺め、寝台電車への想いを新たにしたばかりでもあったから、余計に気分が高揚したのかもしれない。

 行きの「デカメロン」よりは乗客が多かったが、幸い、海側のボックスシートがあいていたので、そこに座った。寝台車のときのままのシートに身を置けば、気分はすっかり583系の旅である。私はそこで確かに、日本海の眺めを車窓越しに楽しんだ。

 とは言え、その眺めはほんのわずかで、また長い湯殿トンネルに吸い込まれてしまう。それで車窓から離れた私の視線は、車内の天井に及んだ。天井が高い。そういえば、それがこの「食パン電車」の特徴だったなと思う。

 やがてトンネルを抜けてしまえば、終着の直江津駅はもう目の前である。583系気分の旅は、もう終わりである。でも、わずかながらもこうして寝台電車に乗った気になれたことは、嬉しいことであった。

 列車は直江津駅の6番線に到着した。終着だから、慌てて降りることはない。私は、独特の車内に名残を惜しみつつ、ゆっくりと下車した。

 さて、ホームに降りたらじっくり外観を眺めようと思っていたが、そんな私に残念なお知らせが待っていた。

 以前にも書いたように、この「食パン電車」は両端の先頭車が違う顔をしているのが通常である。片方は寝台電車の当時のままの「特急顔」で、もう片方が急造の「食パン顔」のはずである。谷浜駅で私が乗車するときに見た先頭の顔は「食パン顔」だったので、当然反対側は「特急顔」だと思っていた。ところが、列車の最後尾に回り込んでみると、そちら側も「食パン顔」であった。つまりこの編成は、どちらも「食パン顔」ということである。
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 これにはがっくりした。どちらかと言えば「特急顔」が好きな私にとっては、残念なことであった。そして、もしかしたら今の419系にはもう「特急顔」が残っていないのではないかと思ったが、そんなことはなかった。この後、直江津駅を後にするときに、側線に停まっている「特急顔」の419系を目にすることになったからである。

 それは後のことなので、このときはまだはっきりわからなかったが、それでも私は、とにかく「食パン電車」に会えただけでもよしとしようと思った。

 さて、この列車は折り返し上り列車となるようであったが、発車までにはだいぶ時間があったので、車内はまだからっぽであった。それをいいことに私は、車内の写真もちょっと撮っておいた。

 高い天井と、上中段の寝台を格納していた大きなカバーが特徴的である。
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 そして、この「食パン電車」の致命傷とでもいうべき、狭いドアも撮っておく。
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 これだけじっくり「食パン電車」を見られれば、私にとってはもう「宿願」を叶えられたと言って良い。それは、先に見た「デカメロン」についても同じ想いだ。どちらもわずかな乗車だったけれども、幼い頃から思い入れのあった車両を、この今の歳になって実際に見ることができただけでも、本当に良かったと思う。

 おそらくそう遠くない未来に「デカメロン」も「食パン電車」も姿を消すことになるだろう。きっと「国鉄型車両」の消滅ということで、引退間際となれば沿線もファンで賑わうに違いない。でも、私はもう、今回の乗車で思い残すことはない。だから、わざわざ「デカメロン」や「食パン電車」を見るために北陸へ足を運ぶことはないだろう。ただ、もし何か別のの目的があって、近いうちにまた北陸へ来ることができて、この二つの車両に遭う機会があったら幸いである。

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by railwaylife | 2010-07-31 23:47 | JR西日本 | Comments(0)

北陸本線谷浜駅

 私が「デカメロン」を降りたのは、この駅である。
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 実は、ここを訪れることも今回の旅の大きな目的であった。というのも、私はこの駅を描いた絵葉書に魅せられていたからである。この前「鉄道情景を描く」という記事で紹介した、松本忠さんの描いた絵葉書である。私は、その絵の情景を、どうしてもこの目で実際に見てみたいと思っていた。

 なぜこの絵葉書の情景が気に入ったかと言えば、それはやはり、駅から海が見えるというところだろう。根府川駅に代表されるように、私は海の見える駅が好きである。別に駅から海が見えたからといってどうということはないが、列車が駅に着いて停まった状態で車窓から海が眺められるというところが良い。

 動いている車窓だとその眺めは一瞬で、海の眺めがいいなと思っても、すぐに車窓の後ろに流れて行ってしまう。それに比べれば、駅からの海は、列車が停まっている間、ゆっくりと見ることができる。とは言え、海沿いの駅は小さくて、そんなに長くは停まらない。交換や待避でもすれば別だが、なかなかそううまくはいかない。だから、降りてゆっくり見てみたいということになる。

 そんな「海の見える駅」の一つである谷浜駅に、私は降り立った。ただ、この駅は、それほど海が良く見えるわけではない。ホームと海の間には国道8号線が通っていて、道沿いには建物もある。そして、根府川駅のように海面を見下ろすわけではないから、道路を行く車や建物によって、海の眺めは遮られてしまう。
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 それでも私は良かった。少しでも海が見えるだけでホッとする。しかもその海は、普段なかなか見ることのできない日本海である。日本海を見られただけでも、来た甲斐があるというものだ。

 さて、せっかくだから絵葉書と同じ眺めを探してみようと思った。その場所はすぐにわかった。駅舎のある1番線の糸魚川寄りから、2・3番線にある駅名標を望めば良い。
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 こんな感じで、絵葉書の眺めと同じになっただろうか。
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 それにしても、目の前の景色は暗い。私は、絵葉書の青い海と青い空、黄色い花に魅せられたわけであるが、こんな梅雨時に、澄んだ空も海もあるはずがない。そして花のあるはずのところも、今は何だかぐしゃぐしゃっとなっている。 

 いや、こんな景色であることは、だいたい予想がついていた。絵葉書にはちゃんと「海べりの四月」という題名がついていて、その風景が春先のものであることもわかっていた。しかし、五月に初めてこの絵葉書の風景を見て以来私は、もはや季節など関係なく、この場所へ来てみたいと強く強く思うようになっていった。だから、この日ここへ来て、松本忠さんが絵葉書を描いた場所と同じ場所に立てたことは、本当に本当に嬉しかった。

 しばらく絵葉書の風景に見とれていると、下り普通列車がやって来た。またしても「デカメロン」である。
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 そして「デカメロン」は、絵葉書の風景の中に入り込んだ。列車が停まっている状態で、絵葉書と同じアングルで撮れば良かったが、あいにくホーム先端で列車を待ち構えていたので、遠くから絵葉書の中に入る列車を見送ることになった。
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 駅に降りたついでに、少し駅の外へ出てみることにした。山側に面した小さな駅舎を出ても何もないが、跨線橋を渡ってホームと国道を越えれば、階段を下りたすぐ先が砂浜で、海水浴場の入口になっている。海をよりじっくりと見たいと思っていた私は、その砂浜へと歩を進めた。
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 それにしても、こうして日本海を間近でしっかりと眺めるのはいつ以来であろうか。
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 朝の砂浜は人影もまばらで、波音をも打ち消すような静寂だけがあった。曇り空の下の薄青い海は暗く、遠くの景色は白く霞んでいた。海越しにその白い霞を見ていると、何だか目の前の海に吸い込まれそうな気分になってきた。
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 ハッと我に返ると、遠くの山並の手前に黄色いヘッドライトがちらっと見えた。車ではない。列車のものだ。そう思った私は、すぐに来た道を引き返し、砂浜に足を取られながらも急ぎ足で駅の方へと向かった。そして、跨線橋のところまで来ると、案の定EF81形牽引の貨物列車がやって来た。
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 私は何とか、貨物列車が谷浜駅をかすめて行くさまに行き会うことができた。

 さて、そろそろ谷浜駅を後にする時間である。駅に戻って、直江津駅から折り返してきたさっきの「デカメロン」の上り普通列車を見送った私は、3番線で次の下り普通列車直江津行きを待った。

 わずかな時間だったけれど、行ってみたいと思い続けていた場所に立つことができ、本当に良かった。天気は良くなかったが、ホーム越しの海を見られたことは、何よりのことであった。でも、今度はぜひ、谷浜駅の「海べりの四月」を見てみたい。

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by railwaylife | 2010-07-30 23:53 | | Comments(0)

デカメロンとの再会

 急行「能登」で直江津駅に着いたときから、私は1番ホームに「デカメロン」がいることに気付いていた。しかもそれは、あずき色にクリーム色という配色の、昔懐かしい国鉄急行型塗装であった。
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 今回の旅は、実はこの「デカメロン」に会うことも、目的の一つであった。その「デカメロン」に、東京から最も近い場所で出会えるのが直江津駅であり、それもあって「能登」を降り立ったわけであるが、着いて早々に「デカメロン」に会えるとは思っておらず、本当に嬉しかった。

 だから私は、急行「きたぐに」や寝台特急「トワイライトエクスプレス」などを眺めつつも、ずっとこの「デカメロン」のことが気になっていた。
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 そして、急行「きたぐに」を眺める隙には「デカメロン」の詳細を見ておいた。
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 久しぶりに実物を目にしたが、やはり「デカメロン」の目はでかい。特に、シールドビーム化された小さな目の顔ばかり見ていると、余計にそう感じる。参考までに、同じ直江津駅にいた、シールドビーム顔の115系をここに掲げておきたい。
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 こうして比較して見てみると、やはり「デカメロン」は、顔のデザインと目の大きさが、何ともアンバランスな感じがある。しかし、この「デカメロン」こそが、湘南型の顔のオリジナルであるということを、忘れてはいけない。

 さて、私は寝台特急「トワイライトエクスプレス」を見送った後、6時53分発の北陸本線上り一番列車に一駅だけ乗る予定にしていたが、どうやらこの「デカメロン」がその一番列車となるようであった。眠っていた「デカメロン」に灯が入って、大きな前照灯も淡くほんのりと光り始めたからである。
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 期せずして私は「デカメロン」に乗車できることになった。もっとも「デカメロン」は外観上のことであって、この車両も乗ってしまえばどうということはない。客室中央に急行型のボックスシートが並び、車端部にはロングシートが備えられているという、ごくふつうの近郊型電車の車内である。しかし、急行型電車の面影を色濃く残すその車内に入ると、独特の「匂い」が漂ってきた。その「匂い」は、とても文章では表すことの難しいものであるが、たぶんそれは、昔の国鉄の「急行電車」の「匂い」なんだろうなと私は思った。

 そんな車内は、日曜の早朝のことゆえ無人で、私が一番乗りであった。それでも発車までには、もう一人乗客が増えた。私はもちろんボックスシートに陣取って、わずかながらの車窓風景に備えた。

 6時53分、冴えない曇り空の下で「デカメロン」は直江津駅を発った。輻輳する線路群を抜けると、上越市内の市街地に出る。私は、線路際にあじさいを見つけたり、公園に保存されたD51蒸気機関車に目を奪われたりしながら、車窓を楽しみ始めた。しかし、そんな眺めは程なくトンネルによって覆い隠されてしまった。長い長い湯殿トンネルである。

 車窓が闇に包まれると緊張が解け、私はたちまちに眠気に襲われた。夜行列車明けで寝不足なのだから、仕方のないことである。

 だが、トンネルを抜けた途端に、私の眠気はぶっ飛んだ。右窓に日本海が見えてきたからである。もとより冴えない曇り空であったから、海の色は青ともグレーともつかない沈んだものになっていたが、日本海を見るのが久しぶりの私にとっては何色でもいいことであった。私はその海原に見入った。

 しかし、あっという間に最初の駅である。私はここで降りなくてはならない。海の車窓も「デカメロン」の旅も、もう少し楽しみたかったけれども、こうして「デカメロン」に乗ることができて、日本海まで見られたのだから、それだけでもずいぶんと嬉しいことであった。

 ホームで去り行く列車を見送り、私の短い「デカメロン」の旅は終わった。

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by railwaylife | 2010-07-30 23:40 | JR西日本 | Comments(0)

夜明けの夜行列車

 夜明け前の直江津駅に急行「能登」から降り立った私は、とりあえず改札の外に出てみた。しかし、さすがに朝4時台では開いている店もなく、私は駅の待合室やホームのベンチで暇を潰した。

 その間に、何本もの貨物列車が行き交った。普段見慣れない交直流電気機関車に牽かれた貨物列車を見られたのは、ある意味貴重なことであった。

 さて、すっかり辺りが明るくなり6時が近くなると、お待ち兼ねの時間となる。それは、上下の夜行列車がこの直江津駅にやって来るからだ。

 まずは5時56分、2番ホームに大阪発新潟行きの寝台急行「きたぐに」が到着する。
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 急行「きたぐに」は、583系が、本来の役割の寝台電車で運行されている唯一の列車だ。塗装がオリジナルではないのが惜しいが、やはり寝台電車の「風格」は感じられる。
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 そして、この列車はここで二十一分も停車するので、その583系をじっくりと眺めることができた。長距離列車が大きな駅で長時間停車するのは、機関車の付け替えなどがあった昔の名残だろうが、私はそんなところにも、勝手に「風格」を感じていた。

 ところで、急行「きたぐに」には、さまざまなタイプの席種が用意されている。B寝台にA寝台、座席車のグリーン車に、普通車がある。それもまた、雑多な客車をつないでいた昔の客車列車の名残のように感じられる。それにしても、まだ乗ったことのない583系A寝台で過ごす一夜はどんな感覚なのだろうと思った。
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 しっかりとこの伝統の夜行列車を眺めたところで、発車の6時17分を迎える。私はそれを、向かいの3番ホームから眺めた。
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 この後、急行「きたぐに」にはまだ、終着新潟までの二時間余りの旅が残っている。それを、羨望の眼差しで見送った。

 さて、3番線にそのまま留まっていれば、待つほどもなく次の夜行列車がやって来る。6時25分着の札幌発大阪行き寝台特急「トワイライトエクスプレス」だ。
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 こちらは停車時間が二分しかない。その間に慌しく乗務員交代が行われるので、邪魔にならないようにしながら、まずは機関車をじっくり見る。
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 今までに何度か「トワイライトエクスプレス」を見たことはあったけれども、これほど間近で目にするのは、初めてのことであった。私は、この列車の濃い緑色がこれほど深い色だったのかと改めて気付かされ、その色に見とれた。

 すると、あっという間に発車時刻となってしまった。残念ながら、客車を見ている時間はなかった。それで、発車していく列車をじっと見送った。

 一両一両、特徴的な客車が目の前を過ぎて行く。まだ客室は眠りの中だったけれども、唯一人影が見えたのは、食堂車「ダイナープレヤデス」の厨房であった。スタッフの方が朝食の準備に追われていた。そんな食堂車にまた羨望の眼差しを送りつつ、過ぎて行く深緑の車体を、ただただ憧れの想いだけで、見送った。終着の大阪駅までは、まだここから六時間以上の旅路である。

 寝台特急「トワイライトエクスプレス」は、その外観からすれば、私の憧れるブルートレインではない。しかし、その種車はブルートレインであるし、何よりこの列車の運転経路とその豪華な設備には、ただならぬ憧れがある。だから言うまでもなく、寝台特急「トワイライトエクスプレス」は、いつかいつか乗ってみたい列車である。

 さて、お楽しみの夜行列車の見送りは終わってしまった。しかし、普段なかなか見られない夜行列車を目にすることができて、十分に楽しめた。そして、朝に見る夜行列車には、独特の雰囲気があった。それは、一夜を駆け抜けてきたという「誇り」のようなものである。そんな姿に、私はますます夜行列車への憧れを強くしていた。


1枚目~4枚目 急行「きたぐに」 信越本線直江津駅にて 2010.7.11
5枚目~6枚目 寝台特急「トワイライトエクスプレス」 信越本線直江津駅にて 2010.7.11

by railwaylife | 2010-07-29 23:45 | 寝台特急 | Comments(0)

急行能登の旅

 すっかり夏本番になって久しいが、梅雨明け前に出かけた直江津・長野の旅の想いがようやくまとまってきたので、順番に載せていきたいと思う。題して「信越の旅」である。



 2010年7月10日、私は上野駅から23時33分発の夜行急行「能登」金沢行きに乗車した。
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 夜行列車の旅は、闇との対峙だ。一晩中、車窓の闇を見つめることになるからである。夜行列車に乗るために、日が暮れてから家を発つとき、そんな闇を目にすると、緊張感が漂ってくる。それは、この闇の中を駆けて行くんだという期待と、この闇が明けるまで列車に乗り続けなければいけないのかという不安で成り立っている。今回は、そんな緊張感を久々に味わうことになった。

 その緊張感に浸りながらたどり着いた旅立ちの上野駅には、すでに夜の静寂があった。この上野発の最終優等列車、急行「能登」に乗る人が、まばらだったためである。

 かつて私の憧れた上野駅地平ホームの深夜は、喧騒の中にあっただろう。多くの列車、多くの乗客で賑わっていたはずだからだ。いまの上野駅は、そんな賑わいからは程遠いけれども、私は静かにゆったりと旅立ちを迎えられることに、むしろ歓びを感じていた。じっくりと、自分の想いを巡らすことができるような気がしたからである。もちろん、往時の賑わいに比べれば寂しい限りだが、今や上野駅から夜行列車で旅立てるだけでも幸いだと思わなければならない。

 さて、急行「能登」は全席指定であり、私は事前に指定券を購入済みであった。購入にあたっては、信越本線に入ってから海が眺められるようにと、海側の座席を指定すべく、いろいろと調べながら席を選んだ。しかし、上野駅の16番線で列車に乗り込み、いざ自分の指定された席に行ってみると、なんと海側とは逆の窓際席であった。十分調べたはずなのに、おかしいなと思いつつも、まあいいやという気もしてきた。おっちょこちょいの私には良くあることし、どうせそんなに混まないだろうから、海が見えてきたら席を移れば良い。それに今は、席のことなどよりも旅立ちを楽しもうと思った。

 23時33分、急行「能登」は発車した。車窓の地平ホームが動き出し、後ろへ後ろへと流れていく。そしてそれがついに見えなくなったとき、私の憧れの瞬間が来た。まさに旅立ちのときだ。いつも駅で列車の出発を見送るだけのときは、ここから心だけが旅立つものであるが、今回はようやく心も体も旅立った。

 ただ、上野駅からの旅立ちは無粋である。地平ホームの谷を抜け出たときの右窓の第一景が、鶯谷辺りのラブホテルのネオンサインだったからである。これには唖然とした。今まで夜の上野駅地平ホームから旅立つときは、山手線や京浜東北線の走る左窓ばかり気にしていたせいかもしれないが、右窓にこんな景色があるとは思わなかった。

 例えば東京駅から旅立つときなら、赤レンガ駅舎が見えて、整然としたオフィスビルが見えて、その合間に皇居の緑が見えて、東京タワーも見えて、まさに東京を象徴する眺めが続くわけであるが、それに比して上野駅からの旅立ちは、何ともわびしいものである。でも、実はこの眺めが、私が幼い頃から憧れていた旅立ちの風景なのかと思うと、ひどくおかしかった。

 とはいえ、日暮里駅を過ぎた辺りからは、闇夜に白い街灯りがきらめき、旅立ちを彩り始めた。ようやく景色が落ち着いたなという感じであった。

 やがて尾久駅を通過する。少ない夜行列車もすでに全部旅立ち、もぬけの殻となった尾久車両センターを、列車はかすめて行く。

 そして、側線が尽き、王子第二踏切の警報機が闇の車窓を紅く染めたとき、私は夜行列車の旅が始まったんだなという実感を、強く得ていた。

 程なく列車は、赤羽駅をゆっくりと通過し、荒川の橋梁に躍り出る。この橋梁には、白い蛍光灯が付いている。若い頃、まだあまり贅沢はできなくて、青春18きっぷで普通列車を乗り継いで東北地方を旅していたときなどは、帰途にようやくの想いでこの荒川橋梁の蛍光灯を目にすることが多かった。その瞬間私は、いつかこの蛍光灯を、下り寝台特急の旅立ちのときに見てやると誓ったものである。その想いは、すでに何度か叶ったけれども、今こうしてまた、夜行列車の旅立ちの車窓に蛍光灯を見ることができ、嬉しく感じられた。そしてその橋梁を渡る響きが車体の底から沸き起こってきたとき、私は、肩から力が抜けていくのを感じた。それは、旅立ちの緊張感が解き放たれた瞬間でもあった。

 河を渡り切った列車は、ゆっくりと北へ向かい、大宮駅に至る。そして、この駅の停車中に日付を跨ぎ、いよいよ高崎線へと進む。
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 大宮駅を出ると、少しずつ車窓の灯火が減っていくのを感じたが、そのうちに私はまどろんできた。もう少し車窓を見ていたい気もして、それに抗したが、やがて眠ってしまった。次に気付くと熊谷駅を発車したところで、おやすみ放送が始まっていた。寝台特急だったら、おやすみ放送を寝転んで聴けるのにな、と思う。

 放送の最後を車掌は「それでは、ゆっくりとお休みください」と締めたが、正直なところ「うーん、どうかな」と思った。座席夜行では、あまり眠れる気がしないからである。

 それでも私はまたすぐに眠り、次に目覚めると高崎駅に停まっているところであった。時刻は1時過ぎである。ふと車内を見渡すと、わずかな乗客の何人かが、二人掛けのシート両方を使って横になっていた。私もそうしようと思う。どうせとなりの席には、誰も乗ってきたりしやしないだろう。いや、となりどころか、私の席の「向こう三軒両どなり」には誰もいない。やはり、上野駅からの夜行列車での旅立ちは、危ういものとなってきている気がする。しかし今は、この「ガラガラ」というにも寂しい状況を、ゆったりできる「贅沢」として楽しむほかない。

 高崎駅を発つ。ここからは上越線の旅であるが、考えてみると最近は暗いうちばかり上越線を通っているような気がする。前回上越線に乗ったのは、3月の寝台特急「北陸」でのことだ。そのときも、夜明け前に上越線を駆け抜けてしまった。今度は明るいときに乗りに来たいものだと思う。

 また少し車窓を見ていたい気もしたが、すぐに眠くなってきてしまったので、本格的に寝ることにする。窓側の肘掛を枕にして横になり、となりの座席へ足を伸ばす。ただ、完全に伸ばすと足先が通路まではみ出してしまうので、体を曲げて小さくなる。それで何とか、二つの座席にすっぽりと収まった。

 そんな体勢で寝付いたが、また停車しているときに目が覚めた。窓外を見るために起き上がろうとすると、背中が痛かった。無理な体勢で寝ていたからであろう。これを「座席夜行痛」というが、久々に味わう痛みであった。

 窓外に目を遣ると「水上」という駅名標が白く浮かび上がっていた。
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 停車駅ではないから運転停車だろう。時刻は午前2時少し前である。水上ということは、これから上越国境を越えていくんだなあと思いながら、また横になる。

 やがて再び動き出した列車は、間もなく長い新清水トンネルに入ったようであった。ぼんやりとした中、隧道を切り裂く轟音が、私の眠りを妨げる。思わず耳を覆いたくなるが、その音もいつしか消え、トンネルを抜けたような感覚があった。ああ、越後に入ったなと感じた私は、程なくまた眠りに就くことができた。

 三たび停車の気配で目が覚めた。今度は長岡駅で、時刻は3時20分になっていた。ここも運転停車である。
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 上越線を走ってきた列車は、ここから信越本線に入る。そのために進行方向が変わる。それに合わせて乗客は座席を回転するかなと思っていたが、車内にそういう動きはなかった。むしろ、回転させて大きな音を立てたらまずいような雰囲気があったので、私も座席をそのままにしておいた。

 さて、相変わらず「座席夜行痛」がひどいので、もう起き上がることにした。だいたい、私が下車するのは、到着がもう一時間後に迫った直江津駅であるので、これからまた寝て、寝過ごしてしまってもまずい。

 それで起き上がったまま長岡発車を迎える。列車が逆向きに動き出す。私は車窓に見入り始めた。

 窓外の空は、まだ黒一色である。そして、街並もまだすっかり眠っている。そんな午前3時の風景を、私はただ独り起きて見つめていることが、何だか不思議にさえ思えてきた。しかし、これが憧れた夜行列車の闇の車窓だなと、改めて思う。

 その闇も、3時50分くらいになると異変が起きてきた。黒色だけだったはずの空が、わずかに藍色を帯び始めたからである。

 張り詰めた闇が解き放たれていくように、その色は次第に薄くなっていく。折しも通過していく駅は、海辺の青海川だ。それで慌てて反対側の窓に現れるべきホーム越しの海に目を遣ったが、残念ながらそちらはまだ黒一色で良く見えなかった。結局、海側の座席を取っていたとしても、私が下車するまでには暗くて海を眺めることができなかったのではないかと思う。だから、海と反対側の席でも良かった。

 やがて空は、藍色から青色を帯びてくる。海側の車窓も明るくなってきたが、すでに列車は犀潟駅に差し掛かっていて、海岸からは離れていた。やはり残念ながら、この列車から海原の眺めを楽しむことはできなかった。

 そして列車は、関川をしずしずと渡り、夜明け前の直江津駅に到着した。4時16分着である。
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 ホームに降り立つと、少しひんやりと感じられた。朝のピリッとした感触もあった。そんな薄明のホームで、さっそくヘッドマークを見に行く。
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 そして、JR東日本からJR西日本への乗務員交代を眺め、五分間の停車の後に出発する列車を見送る。
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 もう少し乗っていれば、明るい空の下で海の眺めも楽しめただろうが、今回手にした切符がJR東日本のウィークエンドパスであり、この直江津駅以西に行くことができないため、あえなくここでの下車となった。でも、わずか五時間弱の乗車であったとはいえ、夜行列車の旅は楽しめたかなと思った。

 ところで私は当日、この列車の指定券を定期入れにしまっていた。車掌が検札に来たときにすぐ出せるようにするためと、切符が折れ曲がらないようにするためであった。

 乗車が終わったら指定券は不要になるので、すぐに定期入れから出せば良かったものを、不精な私はそれを入れっ放しにして平日も持ち歩いていた。

 すると、毎日の通勤の途中で、私はこの指定券を目にすることになった。乗換駅で、ふと定期券を取り出した瞬間に「上野」「直江津」「能登」という文字が飛び込んでくる。そのとき私は、この「能登」で旅した時間を、鮮明に思い出すことができた。闇の車窓や、あの「座席夜行痛」の痛みさえ蘇ってきた。それは、イライラするばかりの通勤に、ほんのいっときの安らぎさえもたらしてくれた。

 別にこの「能登」の指定券は、珍しくも何ともない切符である。当日あんなにガラガラだったのだから、誰だって手に入れることができただろう。それでも、私とってには大事な大事な切符である。それは、この水色の紙片とともに実際に旅をして、思い出を染み込ませたからであろう。本当に大切な切符とは、限定何枚とかいうレアな記念切符などではなく、こういうものだと私は思う。

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by railwaylife | 2010-07-29 23:36 | JR東日本 | Comments(0)

時刻表の楽しみ

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 毎月20日を過ぎると、鉄道雑誌の最新号が書店に並ぶようになる。最近の私は昔ほど熱心に鉄道雑誌を見ていないけれども、やはり新刊が出れば何となく気になるものである。それで先週のある日、仕事帰りに地元の書店にふらっと立ち寄ってみた。

 鉄道書籍のあるコーナーに行ってみると、まず目に付いたのが夜行列車を特集した月刊誌の最新号であった。夜行列車にただならぬ憧れを抱く私は自然と手が伸びて、中身をぱらぱらとめくってみた。しかし、残念ながらあまり興味が持てなかった。

 夜行列車の特集というのは必ず年に一度はあるもので、年によっていろいろな視点から夜行列車の現況をまとめている。けれども、あまり変わり映えがしないなというのが、最近の印象である。それに何より、夜行列車のラインナップがどんどんと減っているのが寂しい限りである。

 そんな中で今回は、EF510形500番台の営業運転開始というビッグニュースがあったわけだが、そのEF510形500番台の写真も、このところネット上でさんざん見た所為か、ちょっと食傷気味である。

 それで夜行列車特集の雑誌はすぐに戻して、他に何か面白い特集の雑誌はないかと書棚を見てみた。すると目に付いたのは、117系と185系を特集した雑誌である。最近私が気にしている185系が特集なので気になったのであるが、その雑誌は毎号お堅い内容で、今まで私は買ったこともなく、あまり読んだこともないので、私の手は伸びず、今月の鉄道雑誌チェックはそれで終わりとなった。

 結局、鉄道書籍コーナーでの滞在時間はわずかなものとなってしまい、何となく満たされない気分であったが、私は書店の出口へ向かううちにあることを思い出して、旅行ガイドのコーナーへと足を進めた。そして、発売されたばかりで高く平積みになっている時刻表8月号をさっと取り上げると、そのままレジに向かってそれを購入し、書店を出た。

 私がなぜ急に思い立って時刻表8月号を買ったかといえば、それは8月号が、一年の中でも一番楽しい号だからである。

 数字の羅列された時刻表に、楽しいも楽しくないもあるものかと思われるかもしれないが、お盆と夏休みのあるこの時期は、年末年始と並んで一年で最も時刻表の誌面が華やぐときである。帰省ラッシュなどに向けた臨時列車が数多く運転されるからである。

 別に私は、それらの臨時列車に乗ってどこかへ行こうというわけではないけれども、いつもより本数が多くなった幹線のページなどを見るだけでも楽しくなってくるものである。 

 そんな楽しみを持ちながら帰宅し、時刻表を初めて見るときには、私なりの「流儀」がある。

 まず巻頭のカラーページからざっと眺めて、水色の新幹線のページを飛ばし、在来線の先頭に立つ、栄えある東海道本線のページからじっくりと見る。

 東海道本線のページは、夏になると伊豆方面への臨時列車が増える。海水浴客を見込んでのことだろう。特急「踊り子」の本数が多くなり、ページが華やぐ。もっとも昔は、特急のほかにも快速「伊豆マリン」号などがあって、さらに賑やかだったものである。

 東海道本線で賑やかといえば、以前は星のマークが賑やかに並ぶのも楽しみであった。すなわち、東京駅から西へ向かう寝台特急である。夏になれば、その寝台特急にも臨時列車があった。最近であれば「サンライズゆめ」があり、昔だと「あさかぜ」51号なんていうのがあった。ところが今は、臨時列車などなく、定期の寝台特急も「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」の一本のみである。それでも、東海道本線のページに星のマークがあるだけ、まだましである。西への寝台特急の旅路を、その一筋の星に思い描くことができる。

 さて、そんな東海道本線のチェックが終わると、次は一気にページを飛ばし、真ん中辺りの中央本線を見る。

 夏の中央本線はなかなか華やかである。もともと本数の多い特急列車がさらに増える。また、ホリデー快速などの臨時列車も花を添える。そして、夜行の快速「ムーンライト信州」まである。かつての急行「アルプス」を髣髴とさせる列車だ。その「ムーンライト信州」に乗り、夜中の山線を駆け抜けてみたいとも思う。いや、どうせ景色の良い山線に乗るなら、やっぱり明るいうちがいいかなと考えたりもする。

 そうやって中央本線を楽しんだ後は、すぐ後ろの高崎線・上越線のページを眺める。ここにも臨時列車が何本か載っている。その中で、臨時快速「マリンブルーくじらなみ」などを見ると、夏が来たなあと思うものである。だが、この高崎線・上越線のページも、だいぶ華やかさが薄らいでしまったものである。この春には、寝台特急「北陸」も消えてしまった。とは言え、寝台特急「あけぼの」に、急行「能登」に、快速「ムーンライトえちご」と、三種の夜行列車が揃っているのは、まだ救いがある。

 そんな高崎線・上越線に比して、次に見る東北本線は、もはや惨憺たる状況である。わずかに寝台特急「カシオペア」と「北斗星」の二本が気を吐くだけである。そのうちの一本の「北斗星」も、以前なら日に三本もあり、このページに彩りを添えていたのに、いまや一本だけである。列車名の「北斗星」の後に「○号」と付かない表記がいまだに見慣れない。思えば昔は、この「北斗星」のほかに「エルム」という臨時寝台特急まであったものである。

 そしてもっと悲しいのが、東北本線の終わりの方のページである。かつては夜遅くまで夜行列車が並んでいたというのに、今や最終の夜行は上野発19時03分の「北斗星」で、それ以降の下りには優等列車さえない。この8月号でいうと、下りは最後の見開き2ページに、急行や特急を表す太字の列車がないという状況だ。東北へ向かう急行「津軽」や「八甲田」や、寝台特急「はくつる」が並んでいた時代が懐かしい。それでも、上野発の東北本線のページに「札幌」という行き先が表記されているのは、やっぱり憧れの的である。だから、東北本線のページのチェックは欠かせない。

 もう一つ、常磐線のページもチェックの対象であるが、最近はあまり見ない。それはもう、夜行列車がないからであろう。昔は寝台特急「ゆうづる」や、急行「十和田」などがあって、常磐線のページにも「青森」という行き先が見られたものである。そういえば、特急「みちのく」も、青森行きであった。そんな列車のないいま、常磐線のページを見る楽しみといえば、臨時急行の「仙台七夕」号くらいだろうか。これも夏の風物詩である。佐貫という中途半端な始発駅も、この列車の魅力である。

 こんな感じで臨時列車チェックは終わりであるが、こうして見てみると、繁忙期の時刻表も、だいぶ寂しくなってしまったものである。それでも私は、これだけでずいぶんと「旅心」を満たされる。

 ただこれは、あくまでも誌上の旅なので、その後は実際の旅の計画に入る。現実の自分の都合に合わせた旅程の検討である。もちろん、それさえも実行できるかどうかはわからないが、計画することそのものが楽しみでもあると言える。

 自分の「行きたいところリスト」から、乗りたい線、行きたい場所を引っ張り出して来て、そこまでどの列車に乗ろうかと考えながら、旅程ができあがっていく。その過程が何より楽しい。そして、時刻表のページをあちこち行ったり来たりするのも面白いし、薄っぺらな一ページ一ページをめくっていくときの感触も好きだ。
最近はインターネットでも列車の時刻を詳しく調べられる。そのページをコピペすれば、自分の必要な列車の時刻だけが取り出せて、旅程表も簡単に作れる。それでもやっぱり、旅の計画を企てるときは、紙の時刻表がいいなと思う。ページをめくりながら、列車の接続を調べ、旅程を組み立てていくうちに、いろいろな路線の時刻が目に飛び込んでくる。それらは不必要な情報かもしれないが、何だか旅の世界が無限に広がっていくように感じられる。それが紙の時刻表の良いところだ。

 だから、私はこれからも、紙の時刻表での「旅」を大事にしていきたいと思う。

by railwaylife | 2010-07-28 08:08 | その他 | Comments(0)

惜別300系

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 一部報道によると、東海道新幹線の300系が、2012年3月までに引退するという。JR東海からの正式発表はまだないそうだが、引退は時間の問題のような気もする。

 300系が東海道新幹線にデビューしたのが1992年3月だというから、再来年で引退となれば、ちょうど二十年で姿を消すことになる。これは、昨今の鉄道車両のサイクルの速さからすれば、別に驚くべきことではない。そしてそのサイクルの速さは、技術革新の速さに拠るものでもあると言える。東海道新幹線の最新鋭N700系と見比べれば、300系にはもはや「古めかしい」という印象さえある。

 そんな300系も現在は、まだまだ「ひかり」や「こだま」で元気に活躍している姿が頻繁に見られる。しかし、これから徐々にその数を減らし、見られる機会が減っていくのだろう。時刻表の最新号にも、300系「こだま」の注記に「8月1日から700系車両で運転」といった文言が躍っていたりする。

 そうやってこの車両の「レア度」が次第に増していき、残り数編成ということにでもなれば、いよいよ「惜別」と称した人々による300系の追っかけが始まるに違いない。

 そして、カメラを片手に「いやぁ、この撮影場所は、今の300系のスジだとかげっちゃって困るんだよねぇ」とか真剣に語るのだろう。そんなことをいくら真面目な顔で言われたとしても、残念ながら「愚の骨頂」というやつだ。きっと、その撮影場所では今まで、日のかげるときも、日のかげらないときも、そして日が暮れてからも、300系が幾度となく往来して来たはずだからである。

 元から絶対数の少ない500系ならいざ知らず、300系は大所帯である。いくらでも見る機会はあったはずだ。だから、そうやってにわかに「惜別」と称して湧いてくるであろう人々の「想い」には、同調することができない。

 そういうわけで私は、今のうちから「惜別300系」を始めておきたいと思う。


東海道新幹線300系電車 東海道新幹線品川駅~新横浜駅にて 2010.7.17

by railwaylife | 2010-07-25 21:56 | 300系 | Comments(0)

ソーチョーカクセー

 この何ヵ月か、私は朝早く起きるようになった。

 ちょっと前まででは、考えられないことである。以前は起きようと思っても起きられなくて、休みの日などは昼近くまで寝ていた。また、一度早くに起きたとしても、つらくてつらくて、また寝てしまうことも多かった。だから、例えば上り寝台特急「富士」「はやぶさ」を見に行こうと思っても、なかなか行けるものではなかった。いつも寝過ごしてしまい「また行けなかった」と悔やむばかりであった。

 それが最近は、早朝に目が覚めるとスッと起きられる。そして、早くから活動できる。そうすると、休みの日などは得した気分になれる。自分の自由な時間が増えるからだ。別に何をするわけでもないけれど、朝のニュースを見ながら、旅の計画を企てたり、歴史の調べものをしたりするだけでも、ずいぶんと充実した時間を過ごせるものである。

 しかし、朝早く目が覚めるのは「早朝覚醒」と言って、病気の前兆でもあるらしい。そこで念のため私はこの前、かかりつけの医者に「実は最近、ソーチョーカクセーでして」と言った。

 すると医者は、待ってましたとばかりに「では、睡眠薬を」と言って処方箋を出そうとした。睡眠薬によって、入眠時からの適切な時間の睡眠を確保しようというのだろう。しかし私はそのとき、思わず「また薬かよ」とツッコミを入れたくなる気分であった。

 折しも私は、今年の初めに、四年間飲み続けた精神科の薬を克服し、ようやく薬のない生活を手に入れたばかりである。それなのにまた、薬を常用する生活に戻るのは、絶対に嫌だった。

 だいたい、睡眠薬による入眠の仕方は異常である。私も以前、寝つきがものすごく悪くて睡眠薬を常用していたことがあるからわかるが、睡眠薬を飲んで寝ると、まさに「眠らされる」という感覚を味わうことになる。そして何より怖いのは、薬を飲んでから入眠するまでの記憶がないということである。私は、その間に妻と交わした会話をまったく覚えていなかったということがあり、それを知ったときには愕然としたものである。

 幸いにして今は、薬を飲まなくても、のび太くん並みに入眠は早いし、睡眠の質も状態も、問題がないことになっている。だから、睡眠薬を飲むのはイヤだ。

 それで私は医者に「いやぁ、睡眠薬は効きすぎて困るんですよね、はっはっは」と言って丁重にお断りした。薬が効きすぎるというのもまた事実であり、ウソではない。

 そんなわけで私は、薬も飲まずに「ソーチョーカクセー」を続けている。




 ところで私は、早起きができたら見てみたい列車があった。それは、早朝に山手貨物線を走る貨物列車である。

 山手「貨物」線と言っても、最近は埼京線や湘南新宿ラインの通勤電車がひしめき合っていて、貨物列車が走る余地はほとんどない。だから、日中はわずかに北行の2077レと南行の3086レが通るくらいである。

 この二列車は、私にとってはいわば最も身近な貨物列車で、実は相当に思い入れが強いのであるが、その想いはまた別の機会にじっくり綴るとして、ここで取り上げたいのは、通勤電車がうごめきだす前の朝早くに、人知れずひっそりと山手貨物線を通過して行く貨物列車たちである。

 そのいわば「早朝貨物」のうち、中でも見ものなのは、三本連続でやって来る北行の貨物列車である。これを是非とも見届けたいと思った。

 しかし、一本目の名古屋貨物ターミナル発宮城野行きの4085レは、家から最寄りの東急東横線の始発電車で駆け付けたとしても間に合わないことがわかった。一番近い渋谷駅でも、寸手のところで行ってしまう。

 そこで私は、二本目から見送ることにして、先々週の土曜日、東横線の渋谷行き始発電車に乗った。

 この電車を5時17分着の代官山駅で降り、東横線とJR線が交差するところまで歩いて行っても、二本目の通過時刻に十分間に合う。

 人気のない早朝に、オシャレな代官山の街を歩くのは気分がいいものだ。ただ、この辺りはちょうど東横線の地下化工事が真っ盛りで、道路を塞いでの夜間工事が明るくなってもまだ続いていた。それでも、辻々に立つガードマンがこの上なく丁寧に誘導してくれるので、何だか偉くなったみたいで気分が良かった。

 そうやってJR線沿いまでたどり着いた私は、跨線橋の階段で貨物列車を待ち構えることにした。

 すると、程なく三本のうちの二本目がやって来た。その列車がこれである。
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 笠寺発盛岡貨物ターミナル行きの4053レだ。モーダルシフトの旗手、トヨタロングパスエクスプレスである。恥ずかしながら、目にするのは初めてのことである。

 整然と並ぶ青いコンテナにも目を奪われるが、私が何より注目したいのは、その機関車だ。この桃太郎ことEF210形を渋谷で見るなんて、なかなかできないことだからである。EF210形を見られただけでも、早くからここへ来た価値があるというものだ。

 だが、その嬉しさの余韻に浸る間もなく、三本目がやって来る。川崎貨物発宇都宮貨物ターミナル行きの5585レだ。
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 残念ながらこの列車は、機関車の単機であった。週末で荷がなく、貨車をつないでいないということなのだろうか。もしかしたら良くあることなのかもしれない。

 貨車のない貨物列車では眺めても仕方ないかもしれないが、私は満足していた。それはやはり、この「列車」の機関車が、渋谷ではなかなか目にすることのできないEF64形1000番台だったからである。これも貴重なことだ。だから、重々しく往くこの単機をじっと見つめた。

 こうして私は、念願の「早朝貨物」見物を、存分に楽しむことができた。しかも朝日を浴びながら往く列車が見られた。ちょうど一年で一番日の長い時期であり、私が二本の貨物列車を見送ったときには、すでに日の出から一時間が経過していたからだ。そんな貨物列車を見ることができ、私はまさに「早起きは三文の得」という諺を実感することになった。

 その上私はこの後、渋谷から王子、東十条へと移動し、あじさい列車や寝台特急「あけぼの」に「北斗星」まで見ることができた。残念ながら、寝台特急「あけぼの」の撮影には失敗し、このブログに写真が載ることはないが、私は確かに、朝日を浴びる青い客車を見送った。そういう意味で、いつになく充実した朝であった。

 さて、これでも私は、睡眠薬を飲んで「ソーチョーカクセー」を予防すべきであろうか。


1枚目 4053レ EF210-118 山手貨物線恵比寿駅~渋谷駅にて 2010.7.10
2枚目 5585レ EF64-1038 山手貨物線恵比寿駅~渋谷駅にて 2010.7.10

by railwaylife | 2010-07-24 23:51 | 貨物列車 | Comments(0)

ラッキーカラー

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 最近の私の通勤路線は、一定していない。そのときの気分次第でいろいろな線に乗る。渋谷駅までの東急東横線経由は変わらないものの、そこからは日によってまちまちである。

 このところ多いのは、渋谷駅から新宿駅まで埼京線に乗るケースであるが、時間帯によっては湘南新宿ラインへの乗車になることもある。要は、新宿駅まで山手貨物線を経由することである。相変わらず私は、山手線がニガテらしい。

 それでも頑張って、山手線に乗ることもある。しかし、あまり良い目には遭わない。この前、久々に渋谷駅から山手線に乗り込んだ私は、車内に入ってすぐのドア際に立った。もちろん、後から乗ってくる人の邪魔にならぬよう、足を引っ込めて小さくなって立っていた。

 ところが、発車間際にベビーカーを押した女性が大慌てで駆け込んできたかと思うと、私はベビーカーに足を轢かれた。しかし、ベビーカーの押し手の女性は、何も言わなかった。

 ベビーカーの車輪が足に触れたとかいう程度なら、仕方ないかなと思う。押している本人が気付かないこともあるだろう。しかしこのとき、ベビーカーの車輪は明らかに私の靴の上を踏んで行った。きっと、押し手にも何かを踏んだという感触があっただろう。にもかかわらず、その女性は何も言わなかった。私は、面倒になって何も言わなかったけれども、できれば轢き手からは「すいません」の一言くらいほしかった。

 そんなことがあったので、やっぱり山手線に乗るのが億劫になってしまった。別にベビーカーの件は、山手線が悪いわけでも何でもないけれど、その路線の印象というものはある。

 さて、話がだいぶ脱線してしまったが、通勤経路の話に戻ると、山手線経由あるいは山手貨物線経由で新宿駅まで行った私は、そこから先の荻窪駅までも、気分によって乗る路線を変えている。中央快速線か中央緩行線か、という選択肢である。

 気分的に急いでいるときは、中央快速線に乗る。のんびり行きたいときは、中央緩行線に乗る。大別するとそんな感じであるが、山手線で新宿駅に着いたときは、急いでいても快速線に乗り換えるのが面倒になって、目の前の同じホームに着く緩行線に乗ってしまうこともある。どうせ快速線より四分くらい余計にかかるだけだし、新宿駅で快速線に乗り換える手間を考えれば、そんなに変わらないだろうと思うからである。

 だが、そうやって緩行線に乗ったときに限って、中野駅の手前辺りで電車が詰まり、下車駅の荻窪までえらい時間がかかったりすることがある。そして、緩行線の電車が停止信号に引っ掛かっている間に、快速線の電車が二本くらい颯爽と駆け抜けて行くのを目にすることになる。

 そんなさまを見せ付けられると、やっぱり速いのは快速線だなと思い、新宿駅で山手線からわざわざ快速線に乗り換えるようになる。ところが、私が乗ると今度は快速線が詰まり、緩行線の黄色い電車が気持ち良さそうに駆けて行くのをイライラしながら車窓に見ることになる。そういうわけで私は、快速線にしろ、緩行線にしろ、中央本線の通勤電車があまり好きではなくなってきた。


 最近の私の通勤の様子を長々と書いてしまったが、ようやく本題に入りたいと思う。

 今朝起きて、テレビのニュースの占いコーナーをぼんやり見ていたら、私の星座である「いて座」のところで「今日のラッキーカラーはオレンジです!」とアナウンサーが言っていた。

 このところ運勢に敏感な私は、それを聞き逃さなかった。またベビーカーに足を轢かれたりしたら嫌だし、仕事で面倒な問題が降って湧いてくるのも御免だ。

 そこで家中を見回し、オレンジ色のものを探した。しかし、そんなものはなかった。オレンジ色のネクタイ、オレンジ色のワイシャツ、オレンジ色のベルトなんてものは持っていない。いっそオランダ代表のユニホームでも着て出勤したい気分であったが、それも持っていないし、だいたい通勤にサッカーのユニホームなど着ていけるわけがない。

 そこで仕方なく、オレンジ色のものも身に付けずに家を出ることになった。しかし、駅までの道すがらで、私は急に、中央快速線のE233系の姿を思い出した。そういえばあいつは、オレンジ色の帯を巻いていたなと思った。これで今日の通勤路線は決まった。新宿駅からは中央快速線に乗ることにしようと私は思った。

 渋谷駅に着いて中央口でJR線の発車案内を見ると、次の山手貨物線経由の電車には間に合いそうになかったので、頑張って山手線に乗ることにした。

 幸い何事もなく山手線で新宿駅に着いた私は、緩行線の電車に目もくれず、混み合う中央通路を抜け、中央快速線下り電車の発車する11・12番ホームへと向かった。

 階段下の発車案内を見ると、いつもお決まりの「遅れ5分」表示がなく、今日は優秀だなあと思いながらホームへ上がると、ちょうど8時58分発の809H豊田行きが12番ホームから出て行ったところであった。次の電車は9時02分発の807T武蔵小金井行きなので、それを11番ホームで待った。

 程なく電車が入って来てすぐに乗り込んだが、なかなか発車しない。するとホームの案内放送が、先行の特急列車の発車が遅れていると告げた。遅れているのは、9時00分発の59M特急「あずさ」9号で、ちょうどとなりの10番線に停車中である。武蔵小金井行きに乗り込んでドア際に立った私の目の前で、特急列車は今まさに発車しようというところだ。

 やがて、E257系「あずさ」の白い車体が動き出した。車内を見ていると、平日だけにビジネスマンの姿が多かったが、中には旅行者もいた。私も旅立つつもりで、去り行く列車に想いを乗せる。こんな良く晴れた夏の日の中央本線は、どんな車窓だろうか。そう考えた私の頭に、ふと甲府盆地を流れる笛吹川の水面が思い浮かんだ。

 中央本線の車窓の中では、笛吹川など別に大した眺めでもないのに、そのとき確かに私の脳裏には、車窓の笛吹川が在った。そして、きっと今日の川面はどんなにか青いんだろうなと、私は想った。

 それからもう一つ、私はこの「あずさ」9号の終着である松本の景色を思い描いた。松本といえば、やはり松本城である。駅から暑い中を城まで歩いて行けば、きっと深く青い堀の水の向こうから、黒光りする天守が出迎えてくれるんだろうなあと、私はそこにも想いを巡らせた。

 やがて、特急列車が視界から消え去り我に返った私は、ホームの「信号が変わり次第発車します」というアナウンスを聞いた。そして、武蔵小金井行きはようやく発車のときを迎えた。

 電車が動き出すと、となりの10番ホームには、またもE257系の白い車体が入って来た。9時04分着の3002M特急「かいじ」102号である。折り返し9時30分発の3001M特急「かいじ」101号となる列車である。

 さらに電車が進んで、中野駅に至ると、ここで三たびE257系と行き会った。5052M特急「あずさ」2号東京行きである。朝のラッシュが一段落した時間帯ということもあって、特急列車が次々とやって来る。

 そして極め付けは、荻窪駅に降り立ったときにやって来たE351系の4M特急「スーパーあずさ」4号新宿行きである。その列車が、夏の日差しに照らされてゆっくりと東へ向かうのを見届けてから、私は職場へと向かった。

 朝からこれだけの特急列車を見せられて、私の「旅心」が刺激されないわけがない。それで私は、すっかり旅への憧れに浸っていたけれども、その後待っていたのは、仕事という日常であった。その落差にはがっくり来たが、それでも私は、あの笛吹川の流れが思い浮かんだだけでも、いい思いができたなと感じられた。それもこれも、ラッキーカラーのオレンジをまとった中央快速線E233系のおかげなのだろう。中央快速線に乗らなければ、こんなに特急列車は見られなかった。

 それにしても、たまたまいつもより多くの特急列車を見られただけで「ラッキーだ」と思えるのは、ある意味オメデタイやつなのかもしれない。でも、確かに今朝の私は、ラッキーだった気がする。所詮、占いのお告げなんて、思い込みの世界である。どれだけ自分が、いいように捉えられるかであろう。

 さて、こんなふうにして始まった今日一日は、仕事上で特に問題も起きず、平穏に過ぎた。ただ、いつもより集中して仕事ができたのは、良かったかなと思う。それでも念のため私は、帰りがけにもオレンジのE233系に乗っておいた。

 これで来週あたり、朝のニュースのアナウンサーが「今日のいて座のラッキーカラーは黄緑です!」とか言ったら、私は嬉々として山手線のE231系500番台に乗り込むかもしれない。ただそのときは、どうかベビーカーが乗って来ないようにと祈りたい。


今日のラッキーカラーの中央本線E233系電車(撮影はおととい)
中央本線東中野駅~中野駅にて 2010.7.21

by railwaylife | 2010-07-23 23:59 | 中央本線 | Comments(0)