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寝台特急あさかぜの思い出

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 寝台特急「あさかぜ」が廃止されてはや四年が経つ。時の流れは早いものだ。

 物心付くか付かない頃から、すべてのブルートレインに憧れを抱いていたけれども、中でも寝台特急「あさかぜ」は一番のお気に入りだった。当時、下関にいた祖母が、上京の度に寝台特急「あさかぜ」を利用していたからである。下関のおばあちゃんの乗ってくる列車として、寝台特急「あさかぜ」は特別な存在だった。朝の瀬戸内海沿いを行く「あさかぜ」の姿を描いたジグソーパズルがお気に入りで、ピースが擦り切れるまで、何度もパズルを組み立てていた。

 そんな「あさかぜ」がさらに特別な存在になったのは、昭和61年(1986)のことである。グレードアップされた食堂車や個室車両を連結するようになり、外観も金帯をまとった姿に変更されたからである。寝台特急「あさかぜ」は、さらに格調の高い列車となり、この列車に対する憧れはさらに増した。

 その憧れの寝台特急「あさかぜ」に初めて乗る機会がやって来たのは、高校を卒業するときのことだった。平成5年(1993)のことである。長く病気で入院していた下関の祖母を見舞うためであった。ただ、残念ながらこの時期から「あさかぜ」の食堂車は営業を休止するようになっていた。考えてみれば、この辺りから九州行き寝台特急の凋落が一気に始まった気がする。それでも、一夜を明かした寝台特急から見る瀬戸内海の景色は、まさに幼い頃大事にしていたジグソーパズルの景色そのままで、大いに感動した。

 しかし、この旅は祖母を見舞う最初で最後の旅となってしまった。翌年に祖母が亡くなってしまったからである。そして後を追うように、豪華な編成を取り揃えた「あさかぜ」も同じ年に廃止となってしまう。幸いもう一往復の下関行きの「あさかぜ」が残ったため、列車名が消滅することはなかったが、寝台特急「あさかぜ」の格は一気に下がってしまった。

 その後、寝台特急「あさかぜ」に乗ったのは、平成14年(2002)のことである。東京から広島まで乗車した。私が「あさかぜ」に乗車したのは、後にも先にもこの二回だけである。幼い頃から憧れた列車だっただけに、今思えばもっと乗りたかった。そして何より、豪華な食堂車で食事をとってみたかった。

 それから三年後の平成17年(2005)2月28日に、寝台特急「あさかぜ」は廃止された。この時期は仕事が忙しいときで、惜別も何もあったものではなかった。何となく、廃止を迎えてしまった感がある。でも、後になってみると、その喪失感は大きなものであった。

 さらに四年後の今、東京から九州へ向かう寝台特急自体の終焉を迎えようとしている。その喪失感は「あさかぜ」以上のものがある。そして今、寝台特急「あさかぜ」が駆け抜けた日々も、完全に歴史の一ページの中に刻まれようとしている。


寝台特急「あさかぜ」 山陽本線広島駅にて 2002.2.10



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by railwaylife | 2009-02-28 22:55 | 寝台特急 | Comments(0)

制定80周年 トレインマークの誕生

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 旧新橋停車場の鉄道歴史展示室で開かれている「制定80周年 トレインマークの誕生」展に行ってきた。これは、トレインマークが誕生して今年で八十年になるのを記念して、トレインマークの誕生から今日に至るまでの軌跡を紹介するものである。展示では、トレインマークの歴史が編年順に説明されていた。

 最初にトレインマークが誕生したのは、昭和4年(1929)のことであるという。特急「富士」と「櫻」の最後尾客車に付けられたものだ。これは等級の違いを色で表したものでもあったそうだ。すなわち「富士」は白の一等と青の二等を連結している列車、そして「櫻」は赤の三等を連結している列車というわけである。山型をした「富士」のマークは、今も寝台特急「富士」の九州内で使用されているヘッドマークと同じデザインだ。その「富士」が、誕生からちょうど八十年で廃止になるとは、感慨深いものがある。

 こうして誕生したトレインマークも、昭和19年(1944)には戦時体制により「富士」が廃止されたことで一旦消滅してしまう。再びトレインマークが復活するのは戦後のことである。

 戦後のトレインマークの復活に当たって尽力したのが黒岩保美氏という人だそうだ。黒岩氏は多くのトレインマークのデザインを手がけている。そんな中で、黒岩氏自身が認めるお気に入りが「ゆうづる」や「出雲」のマークだそうだ。今ではいずれも廃止されてしまったことが残念である。黒岩氏のお気に入りの中で残っている「日本海」には、まだまだ活躍してほしいものである。

 戦後のトレインマークの復活は特急から始まったが、やがて急行や準急にもトレインマークが広まるようになる。そんな中で、何といってもトレインマークが広く一般化したのは、昭和53年(1978)に40種類の昼行特急、昭和54年(1979)に16種類の寝台特急に絵入りマークが用いられるようになったときからである。ちょうど私が物心付いた頃のことで、この絵入りマークの採用があったからこそ、私は特急列車というものに憧れを持つようになったと言える。

 絵入りマークが広く普及した背景には、巻取式のトレインマーク表示装置が広く用いられていたことが大きな要素として挙げられるだろう。上野駅などの特急の折り返し駅で、巻取式のマークがぐるぐる回り次々とトレインマークが出てくるのを見るのは楽しいものであった。

 しかし、現在では巻取式表示装置は減り、トレインマークはLED式のものになったり、あるいは車体そのものに大きくトレインマークを描くようになったりしている。いわゆるヘッドマークが減ってしまったことは、寂しい限りである。また、ヘッドマークでもLED式のものは、機械的で何となく味気ない気がする。

 それでも最近は、LEDがフルカラー表示になってきている。だからまた、色鮮やかなトレインマークが復活するのではないかと、ひそかに期待しているところである。また、一部では液晶式のトレインマークも採用されているという。今後もトレインマークというものが、列車に彩りを与えてくれる存在であることを期待したいと思った。

 展示には、実際のトレインマークも多く掲出されていたが、中には珍しいものもあった。赤富士といわれる寝台特急「富士」用の赤い富士山のヘッドマークや、EF65535号機が引退するときの「惜別」ヘッドマークなどである。貴重なヘッドマークを見られたことは良かったが、これらは実際に機関車に付いているところを見る方が良いなと思った。

 鉄道歴史展示室は、小さいながらもなかなか見応えのある展示室であった。また面白いテーマの展示会があったら、訪れてみようと思う。



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by railwaylife | 2009-02-23 21:46 | その他 | Comments(0)

昼の寝台特急

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 昼の寝台特急は、静かに体を休めている。

 夜通し駆け抜けるために、静かに体を休めている。

 そんな寝台特急の姿を、品川駅から見届けた。

 子供の頃は、この品川に来るのが楽しみだった。どんな寝台特急が停まっているかと、ワクワクしながら駆け付けたからである。

 でも、今見られる寝台特急は、ごく限られたものだ。そしてもう間もなく、ここに青き車体が停まることもなくなってしまう。品川に、青き車体が見られるのも、あとわずかな間である。
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寝台特急「富士」「はやぶさ」 東海道本線品川駅にて 2009.2.22



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by railwaylife | 2009-02-22 17:11 | 寝台特急 | Comments(0)

夕暮れ相模湾

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 東海道本線の早川駅から熱海駅までの車窓風景が好きだ。私の一番のお気に入りである。それは、車窓に雄大な相模湾の眺めが広がるからである。特に早川駅から根府川駅にかけて、トンネルを抜けるたびに海原の広くなっていく感じが良い。心がスッとなっていく。

 そんな相模湾沿いの風景を、寝台特急から眺めるのが何よりの憧れであった。朝方、青い海面が朝日によって金色に染め上げられるのを見るのも良いが、夕方、暮れて行く海を眺めるのも良かっただろう。海面が次第に夜の闇を帯びていく。行く手の熱海の初島辺りが、ほんのりと夕焼け色に染まる。そして振り返れば、小田原市街の灯火がパーッと散らばり始めている。今の東京駅18時03分発の寝台特急「富士」「はやぶさ」では少し時間的に遅いが、かつての東京駅16時56分発の寝台特急「富士」では、そういう暮れて行く眺めも見られただろう。

 この夕暮れ時の相模湾は、絶対に車窓風景の売りになると思う。それは、日本海縦貫線を行く寝台特急「トワイライトエクスプレス」の日本海の夕暮れにも匹敵するのではないだろうか。だから、夕暮れ時に相模湾を通るような寝台特急がまたできないものかと、想像を膨らませてしまう。

 東京を発って一時間、列車が小田原駅に達する前あたりから、食堂車でディナータイムが始まる。乗客がテーブルに就いて、食前酒のワインが出る頃、列車は夕暮れの相模湾沿いに差し掛かる。グラスに注がれたワインを海辺に傾けながら、ディナーは始まる。そんな演出が良い。

 ブルートレインが相模湾沿いを駆け抜けるのはあとわずかな間だけれど、いつの日かまた、夕暮れ相模湾の車窓風景を売りにするような寝台特急が走り始めて欲しいものである。


夕暮れ相模湾を行く寝台特急「富士」 東海道本線早川駅~根府川駅にて 2000.7.1



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by railwaylife | 2009-02-21 21:31 | 寝台特急 | Comments(0)

寝台特急富士への想い

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 寝台特急「富士」「はやぶさ」の廃止まで、いよいよ一ヵ月余りとなった。私は昨年、最後の乗車のつもりで「富士」と「はやぶさ」にそれぞれ下りの全区間乗ったので、あとはもうこの列車を何度か見送るだけだと思っていた。

 しかし、いま一度乗っておきたいという想いが湧いてきた。とは言うものの、廃止間際になって、寝台券の入手も困難になっており、たやすいことではない。それでも、乗りたい想いは抑えきれず、ついに切符の争奪戦に参加することとした。

 下りの「富士」と「はやぶさ」そして上りの「富士」と「はやぶさ」がある中でどの列車が一番切符を取りやすいか、考えた。私は上りの「富士」に目を付けた。上りの「富士」が一番切符を取りやすいのではないか。勝手な予想である。

 それに下りの「富士」と「はやぶさ」は昨年、上りの「はやぶさ」は二年ほど前に乗っている。上りの「富士」に乗ったのは、もう十年も前のことだ。一番疎遠であるとも言える。そんなわけで、上りの「富士」に焦点を合わせた。

 切符発売日の当日、朝4時半に起きて、始発電車で出かけ、5時半前に渋谷駅のみどりの窓口に並んだ。10時から発売の切符の事前予約をするためである。順番は三番目であった。そこで一ヵ月後の上り「富士」B寝台禁煙車を申し込んだ。

 さらに当日の10時、もう一度みどりの窓口に行き、上りの「富士」を申し込んだ。しかしこのときは、10時を過ぎて数分と経たないうちに、上り「富士」は満席となってしまった。切符は取れなかった。残る望みは事前予約である。

 10時過ぎ、家に電話があって、喫煙車ながらもB寝台が取れたとの連絡があったという。妻が電話を受けてくれた。事前予約で何とか取れたようだ。午後に三たびみどりの窓口へ行き、その切符を受け取った。ついにもう一度寝台特急「富士」に乗ることができるようになった。

 寝台特急「富士」は一番憧れの列車である。その列車にいま一度乗ることができる。この上ない歓びだ。当日は飛行機で一気に九州入りし、夕方の大分から寝台特急「富士」で旅立つことになる。夕暮れの別府湾を、暮れて行く日豊本線を、闇の中の山陽路を、朝日の中の遠州路・駿河路を、きらめく富士山を、輝く相模湾を、そして、東京に着くときの気だるい虚脱感を、存分に味わいたい。



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by railwaylife | 2009-02-08 16:39 | 寝台特急 | Comments(0)