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国鉄消滅二十年

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 今日で日本国有鉄道が消滅して二十年になる。

 国鉄が消えるその日、鉄道少年の私は友達と都内を駆けずり回っていた。何でもいいから国鉄の列車を撮っていた。通勤電車にも「さようなら国鉄」のヘッドマークが掲げられ、汐留駅跡には蒸気機関車C56が展示され汽笛を鳴らしていた。
 また、翌日から誕生するJR各社の主要駅へ向かう特別列車が、夕刻から次々と東京駅や上野駅を発っていった。私の古い写真にも、それらの列車を撮ったものはあるにはあったが、ひどい混みようの中で撮ったので、ろくな写真ではなかった。東京駅や上野駅はとにかくすごい人出だった。テレビ各局も特番を組み、国鉄の最後を伝えていた。それで我が家では、ビデオデッキがフル回転していた。

 写真は国鉄最後の日にヘッドマークを付けていた中央線電車と山手線電車である。黄緑色の山手線電車は、JR化して三年余りで同線上から姿を消した。オレンジ色の中央線電車は二十年経った今なお同線で現役だが、昨年末登場した新型電車に押されて、もはや風前の灯となっている。

 私は子供心に、国鉄の分割民営化には反対であった。全国につながっていた鉄路が、物理的には結ばれていても、気分的には分断されてしまうような感覚があったからである。線路がどこまでもどこまでも続いているというところに、鉄道への憧れはあった。また、合理化によって多くのローカル線が廃止されたことも残念であった。鉄道少年としては少しでも多くの国鉄路線に乗りたかったからである。

 ただ、国鉄がJRになったことで乗客へのサービスは向上し、地域性を重視するようにもなった。また各社が独自の車両を導入し、乗り心地やスピードがどんどん改良された。そんなJRのサービス改善に、私もだいぶ恩恵を預かってきた。
 しかし、会社間を跨ぐような長距離列車は次第に姿を消し、利便性が損なわれた部分もある。しかも分割民営化の最大の目的であった国鉄債務の返済は未だできず、むしろ膨らんでいると言われている。

 国鉄の分割民営化は、国にとっても、鉄道少年にとっても、良いことだったのだろうか。

国鉄山手線103系電車 浜松町駅にて 1987.3.31
国鉄中央線201系電車 東京駅にて 1987.3.31
by railwaylife | 2007-03-31 22:53 | 昔の写真 | Comments(0)

白い空に溶ける花

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 ようやく週末になった。花も咲き揃った。それで意気揚々と桜の名所に行ったが、空は白く覆われており、暗かった。花は赤みを失い、白い空に溶け込みそうだった。

 写真を撮っても、いまいちだった。明日はもう少し晴れるだろうか。

東急池上線 洗足池駅~石川台駅にて 2007.3.31
by railwaylife | 2007-03-31 21:33 | 東急 | Comments(0)

花咲く頃を迎えても

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 昨日、今日と、出勤前に桜を観に行った。

 今年は花の咲くのがあまり待ち遠しくなかった。例年であれば桜の開花情報を丁寧にチェックし、どこの桜を観に行こうかなどとひそかに企てるものだが、それもなかった。東京の桜は何となく咲き、あっという間に咲き揃った感がある。

 花の咲くのを嬉しく思えないのは、暖冬のせいだろうか。それとも自分の心持ちのせいだろうか。この春は、自分の意のままにならぬ自分に虚しさを覚え、そんな自分に悔しさや憤りさえも感じる。こんなはずじゃない、と思う。

 それでも私は、花を愛でている。嫁と歩く夜桜の道は楽しかったし、朝はこうして桜にカメラを向けている。できるだけ、良い景色を見たいと思うからだ。人生の価値を高めようとしているからだ。

 そして私は、新しいことに挑もうともしている。意のままにならぬ自分がどこまでできるかわからないが、頑張って生きてみたい。その先で、たくさんの良い景色を見るために、生きてみたい。

1枚目 東急東横線都立大学駅 2007.3.28
2枚目 東急東横線自由が丘駅 2007.3.29
3枚目 東急大井町線緑が丘駅~自由が丘駅 2007.3.29
by railwaylife | 2007-03-29 22:33 | 東急 | Comments(0)

二十年前 熊本駅

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 「二十年前」と聞くと、竿竹屋の口上を思い浮かべる。何年経っても「二十年前のお値段です」と言っている。

 今からちょうど二十年前、私は小学校卒業を迎えていた。その記念に、友達同士4人で憧れの寝台特急に乗せてもらえることになった。行き先は熊本である。
 特に熊本へ行きたい理由があったわけではない。往復に違う寝台特急に乗れる区間として、東京-熊本間が選ばれただけの話である。行きは「はやぶさ」、帰りは「みずほ」であった。当時、「さくら」と「みずほ」の走っていた東京-長崎間も、往復に違う寝台特急が乗れるわけであったが、東京-熊本間の方が鉄道少年にとっては魅力的であった。というのも、「はやぶさ」には24系、「みずほ」「さくら」には14系という車種が使用されており、熊本という行き先を選べば往復で異なる車種に乗ることもできたからである。

 夕刻に東京を発ち、翌朝熊本に着いたらその夕方に熊本を発ち翌朝東京に戻るという旅程ながら、初めての子供だけでの遠出ということもあり、それはそれは興奮した。私の父が「この子達は家出ではありません」という証明書を作ってくれ、それをリュックに大事に忍ばせていた。
 寝台特急の夜はなかなか眠れなかった。深夜に停車した大阪駅で友達とデッキに出たら、ホームにいた酔っ払いのおじさんが握手を求めてきて「気ぃつけてな」と言ってくれた。ようやく寝付いたものの夜明け前に目が覚めると、瀬戸内に並ぶコンビナートの赤い光が妖しく、怖かった。夜が明けて初めて九州に上陸したときは大興奮であった。

 熊本に着いた私たちは、熊本城や水前寺公園などを回りそれなりに観光をした。夕刻、上りの寝台特急「みずほ」に乗るため熊本駅に戻った。そのとき、駅に発着する列車を片っ端から撮った写真が残っている。九州では、見る列車が全て新鮮であった。今となっては貴重な、国鉄末期の列車たちだ。

 ここに写っている列車の姿は、もはや熊本駅では見られない。だが、東京-熊本間の寝台特急「はやぶさ」は未だ走り続けている。そして、私の寝台特急に対する憧れも変わらない。このときの小さな思い出を胸に抱きながら、今も寝台特急を追い求めている。

1枚目 宮崎へ向かう急行「えびの」
2枚目 「マイタウン電車」のマークを掲げた普通電車
3枚目 懐かしいボンネット姿の特急「有明」

いずれも熊本駅にて 1987.3.27
by railwaylife | 2007-03-27 23:59 | 昔の写真 | Comments(2)

東急電車時刻表

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 東急線の各駅で電車時刻表が配布され始めた。私は職場の最寄り駅ですかさず入手した。B5サイズで厚さは8ミリあった。立派な冊子だが、無料である。
 昔、といっても二十年くらい前のことだが、東急線の時刻表は駅の売店で売っていて、300円くらいした。縦長のサイズで、今のものより小さかったのに、その値段であった。幼い私は、その冊子がボロボロになるくらい時刻表を眺めていた。追い抜きをする急行の列と、追い抜かれる各駅停車の列が、待ち合わせの駅でたすきがけに入れ替わり、列車が時系列的に並ぶよう工夫されていたのが斬新で印象的であった。
 今の時刻表はどうなっているのかと見てみると、列車はたすきがけになっていなかった。それでも、表の字体が見慣れているJTBの時刻表に酷似していたので見易かった。

 さて今回時刻表が配布されたのは、田園都市線の時刻が来る4月5日で改正となるからである。準急という種別が登場するという。朝ラッシュ時の上り急行電車が、この準急という種別に変わることになっている。
 これは、混雑の激しい二子玉川駅-渋谷駅間で従来の急行を各駅停車とし、ダイヤ通りの運転を確保するためである。ラッシュ時は、人々が少しでも早く目的地にたどり着きたいと思う余り、急行電車に乗客が集中してしまう。そのため電車の運行に遅延が発生し、結果的には目的地のたどり着くのが遅くなっている。
 この慢性的な遅延を改善すべく、東急電鉄は優等列車を区間的に廃止し、乗客を均等に分散させる措置を取ったわけである。区間的とはいえ、優等列車を各駅停車にするとは思い切った施策だ。ただ、これで本当に遅れが解消できるのか、今後注目したい。

 それにしても、東急線に準急が登場するとは思わなかった。東急沿線で育った私にとって、準急は馴染みの薄い列車種別である。小田急には昔から準急があったがあまり見る機会がなかったし、国鉄にもかつて準急があったが、私が物心付いたときにはもう存在しなくなっていた。それがこの時代になって東急に登場するとは驚きである。
 これで東急には、全線合わせると「各停」「準急」「急行」「通勤特急」「特急」という種別が存在することになる。最近は各鉄道会社とも列車種別が増え、わかりにくくなった。各社は「各駅停車」「快速」「特別快速」「準急」「急行」「快速急行」「準特急」「特急」「快速特急」などの種別を導入し、乗客の需要に応えようとしている。
 少しでも速く、しかも時刻通りに、というのは難しい課題である。
by railwaylife | 2007-03-26 23:30 | 東急 | Comments(0)

むかしの東横線

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 子供の頃、十年とか二十年という歳月がどのくらいの長さのものなのか、よくわからなかった。今の年齢になって、実際にその年月を過ごしてみると、あっという間だということがわかった。


 デジタル化した昔の写真を初めて載せたいと思う。写真を年代別に載せていく気はなく、その日の気分で選んでいくつもりである。最初はやはり、地元の東横線の写真が目に付いた。今から二十年ちょっと前に、元住吉検車区を撮った写真である。

 東横線の車庫である元住吉検車区は、渋谷駅方から乗ると元住吉駅を過ぎたところにある。両側の車窓に何本もの側線が広がり、何編成もの車両が停まっている。どれも見慣れた車両だが、どんな車両が停まっているのか、いつも楽しみであった。私にとって元住吉検車区は、子供の頃から横浜方面へ出かけるときの最大の見所であった。

 この写真は、そんな元住吉検車区を撮ったものである。元住吉駅で降りて、日吉駅方面へ少し歩くと東横線を跨いでいる道路がある。これを木月陸橋という。この橋の上から、写真のように検車区を見下ろすことができた。鉄道少年にとってはたまらない場所であった。

 手前に見える2編成が7000系という車両である。今はもう存在しない。日比谷線直通用の車両であったが、急行にも使われていたことがある。私はあまり好きな車両ではなかった。真ん中に停まっている赤帯の2編成が当時最新鋭の8090系(8000系第16次車)で、この頃は急行専用だった。最寄りの駅が急行通過駅だったこともあり、私にとっては乗るより見る車両であったという気がする。その奥に見えているのが8000系である。当時は東横線の最大勢力で、当たり前のように見られた。ここに写っている車両で、今東横線に残っているのは8000系だけだ。その8000系も今、東横線ではもはや風前の灯である。この写真に見られる車両のすべてが、東横線の「過去の車両」になろうとしている。

 そして、この写真を撮った木月陸橋も今はない。昨年、東横線が高架化されたからだ。それまで線路を跨いでいた道路は地上に下り、現在は立体交差が逆さまになっている。線路が高架化されたため、車窓から検車区を眺めることも前より難しくなっただろう。私にとっての東横線最大の見所は、魅力が減ってしまったように思う。

東急7000系・8000系・8090系 1986.5.13 元住吉検車区にて
by railwaylife | 2007-03-24 23:59 | 昔の写真 | Comments(0)

古い写真

 私は物心付いた頃から鉄道に憧れていた。幼い頃は父に連れられ、よく列車を見に行った。多摩川に東横線や新幹線や貨物列車やブルートレインを見に行き、東京駅や上野駅にいろいろな特急列車を見に連れて行ってもらった。
 小学校中学年になると、父と泊まりがけで遠くの列車に乗りに行くようにもなった。その頃から、自分で撮った列車の写真が残っている。1980年代中盤からのものである。小学校高学年になると、友達同士で都内を巡り、特急列車を追いかけたりするようにもなった。そのとき撮った列車の写真もある。ちょうど国鉄末期の頃のことだ。

 このたび、そんな写真をデジタル化してみた。最初はネガフィルムをスキャナーで取り込んでみたのだが、色褪せがひどく、とんでもない色になってしまった。プリントしたものの方が状態がよかったので、それを写真屋に頼んでDVDに入れてもらうことにした。
 DVD化は100枚まで7,350円ということで、まずは年代の古い方から100枚の写真を厳選して写真屋へ出した。ただ、厳選といっても、何せ子供の撮った写真である。ひどいものだ。車両の前面を撮ったものは上端が切れていたり、床下が入っていなかったりしている。走行している列車を写したものはほとんどぶれていて、お話にならない。
 それでも、写っている車両は今や見ることのできないものが多い。貴重な記録だ。デジタル化したいと思ったのも、写真を記録として残しておきたいと思ったからである。
 その結果、1983年から1988年までのものが100枚に選出された。ちょうど国鉄末期からJR誕生の頃にかけての写真である。DVDは約一週間で出来上がった。

 このデジタル化された古い鉄道写真を、ブログにも少しずつ載せていきたいと思う。だが、写真としては拙いものなので、ただ画像を貼るだけでは意味がない。そこで、当時の幼い私の想いを込めた文章も付けて、写真を掲載していきたいと思う。
 なお、この古い写真のカテゴリは「昔の鉄道」としたい。それに伴い、今までの「鉄道」のカテゴリは「今の鉄道」に名称変更し、引き続き最近の鉄道に関する話題を書いていきたいと思う。両者を併せ「鉄道少年のままの三十代が書き綴る日記」と題し、この拙いブログのテーマとしていきたい。

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by railwaylife | 2007-03-24 00:30 | 昔の写真 | Comments(0)

車窓の花2

 通勤の車窓に菜の花の群れを見つけた。今日はそこへ歩いて行ってみた。
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 高架橋の上に花は咲かない。地下区間では花が見えない。地上を走る区間しか、車窓近くに花を眺めることはできない。しかし、この東急東横線では、地下でもなく高架でもない区間がだいぶ減ってしまった。車窓の彩りは貴重になってきた。

東急東横線 都立大学駅~自由が丘駅にて 2007.3.22
by railwaylife | 2007-03-22 23:38 | 東急 | Comments(0)

山手貨物線

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 埼京線・湘南新宿ラインの池袋駅~大崎駅間は、本来山手貨物線という名称である。東北方面と東海道方面をつなぐ大事な貨物線だ。昔は蒸気機関車D51が煙をモクモク吐き出しながら、長大な貨物列車を牽いて走っていたというから驚きだ。渋谷にも貨物駅があったという。今の埼京線・湘南新宿ラインのホームのある辺りである。そういえば、子供の頃はまだゴチャゴチャとした側線や貨物用のホームがあったような気もするが、はっきりとは記憶していない。よく覚えているのは、その駅跡に住宅展示場のあったことである。
 現在は武蔵野線というバイパスができたので、貨物列車はみなその路線を通って首都圏を走り抜けて行く。それでも日に何本か、山手貨物線を通る貨物列車がある。渋谷に用事があったこの日、恵比寿に立ち寄ってそんな一本を見に行った。
 コンテナ車を牽いて来たのは、仙台からやって来たEH500という屈強な機関車である。金太郎という愛称が付いている。これはファンが名付けたものでなく、正式な愛称であって、車体の側面にはそのロゴが入っている。
 長く連なるコンテナ車を眺めているうち、この列車は遠くから来たんだなあという実感が強くわいてきた。最近は在来線の長距離列車がめっきり減ってしまった。だから、無骨な貨物列車でも旅情が感じられた。

「金太郎」の牽くコンテナ列車 山手貨物線 恵比寿駅にて 2007.3.21
by railwaylife | 2007-03-22 00:01 | JR東日本 | Comments(0)

奥沢富士見橋

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 東急目黒線奥沢駅から少し大岡山駅寄りへ行ったところに、奥沢富士見橋という跨線橋があり、線路を跨いでいる。本当に富士山が見えるのかと思って上ってみたが、西の方向には薄い雲がかかっていて山影は何も見えなかった。
 しかし眼下には、奥沢検車区の線路が一望できた。昼間はガランとしているが、夜には電車が帰ってくるだろう。闇の中で、この奥沢富士見橋から奥沢検車区を眺めてみたい。

奥沢検車区 東急目黒線 大岡山駅~奥沢駅にて 2007.3.20
by railwaylife | 2007-03-21 19:15 | 東急目黒線 | Comments(0)