カテゴリ:旅( 103 )

二十年前の横手駅

 今からちょうど二十年前、1998年10月24日に秋田県の横手駅で撮った写真である。
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 写っているのは北上線のキハ100系と、奥羽本線の485系特急「こまくさ」である。

 この日は「ウィークエンドフリーきっぷ」という切符を手に、東京駅から東北新幹線「Maxやまびこ」で北上へ出て、北上から北上線に初めて乗った。そしてこの横手駅で奥羽本線の特急「こまくさ」に乗り換え新庄へ、新庄からは陸羽西線で余目に出て羽越本線に乗り換え、鶴岡で宿泊した。

 そんな遠回りが気軽にできたのも「ウィークエンドフリーきっぷ」があればこそであった。JR東日本の全線が乗り放題で、特急・急行も自由席なら特急券なしで乗れた。それでたしか16000円くらいだったから、今の「週末パス」より自由度もお得感もあった。

 季節は晩秋であった。北上線のゆだ錦秋湖あたりでは、文字通り錦秋というほどではなかったけれど、色とりどりに染まる紅葉を目にした。そして、その上に広がる薄青い空がやけに高く感じられたのを憶えている。

 特急「こまくさ」の車窓はススキの穂にあふれていた。白い穂が西日に照らされぼうっと見え、夢心地になった。まだ山形新幹線が山形までしか来ていなかった時代、かつての在来線特急「つばさ」の系譜を引く「こまくさ」が、秋の奥羽本線を疾走していた。

 いまや、遠い遠い昔の秋の思い出である。

by railwaylife | 2018-10-24 23:30 | | Comments(0)

渡道三十年

 私が初めて北海道へ渡ったのは、今からちょうど三十年前の1988年(昭和六十三)夏のことである。

 1988年(昭和六十三)と言えば、その年の三月に青函トンネルが開通している。これにより、青森-函館間の移動の主役はそれまでの航路から鉄路に移り、上野発札幌行きの寝台特急「北斗星」も走り始めた。

 だが、その年の夏に私が初めて渡道するときに利用したのは、青函連絡船であった。

 すでに青函トンネル開通前日に定期運航は終えていたものの、この年の夏は「青函博」というイベントがあり、その一環で青函連絡船は動いていた。いわばテーマパークのアトラクションの一つに過ぎなかったとも言えるのだが、私は初めての渡道にぎりぎりで青函連絡船が利用できたことを何とも嬉しく思った。

 それは、宮脇俊三氏の「はじめて北海道へ行く人は、片道だけでも青函連絡船に乗ってほしい」とか「北海道は遠いところなのだ。その遠さを実感させてくれるのが青函連絡船である。飛行機では不可」とか「青函連絡船は北海道というオペラの序曲である。そして、函館から札幌までの函館本線が第一幕だ。しかるに、飛行機で一気に千歳空港へ着くとは何事であるか。第二幕からオペラを見るようなものではないか」というような青函連絡船への賛辞に触れていたからであろう。北海道の遠さ、また津軽海峡という海を渡った向こうにあるということを実感するためには鉄道と青函航路を利用してまず渡道すべきであると信じていた。

 そして、北海道自体への憧れを膨らませてくれたのもまた、宮脇俊三氏の著書であったと言える。名作「時刻表2万キロ」や「最長片道切符の旅」には、北海道のローカル線に乗車したときの紀行文が出てくる。それを何度も読みながら、北海道の鉄道のイメージを膨らませたものであった。特に、北海道のローカル線に対する憧れは強くなった。いつか乗ってみたい。そんな想いがあった。しかし、北海道のローカル線の多くは、私が北海道へ行く以前、国鉄がJRになる前に多くが廃止となってしまっていた。もう少し早く生まれていたら多くのローカル線に乗れたのになあ、なんて思ったこともあった。

 そんな心残りもあったけれど、この年に北海道へ行くことができたのは本当に嬉しいことであった。

 その最初の北海道は、家族旅行として出かけたものであった。私は先発隊として北海道へ渡る前々日、父と二人で上野駅から夜行急行「津軽」に乗り込んだ。奥羽本線経由、青森行きの座席急行列車である。憧れの夜行急行列車への初乗車であった。また、米沢以北の奥羽本線に乗車するのも初めてのことであったので、大興奮であった。翌日、弘前を見物し、その日の東北新幹線と特急「はつかり」を乗り継いで青森入りした母と弟と合流し、浅虫温泉に一泊した。

 そしてその翌日、いよいよ青函連絡船に乗り込んだ。
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 連絡船は賑わっていた。演歌に出てくるような哀愁はなく、何とも明るい雰囲気であった。それと、3時間50分の乗船時間はちょっと長く感じられ、途中で退屈に思ったことを覚えている。

 無事北海道に着いてからは函館の街を見物した。石川啄木一族の墓や土方歳三最期の地を訪れたりしたが、とにかく暑い日だった。その翌日は函館駅から特急「北斗」に乗り、洞爺へ向かった。洞爺湖温泉で一泊し、さらにその翌日はバスで中山峠を越えて札幌に至った。そして、最後に立ち寄ったのがこの小樽であった。
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 帰路は札幌駅から寝台特急「北斗星」82号であった。開放B寝台ではあったものの、走り始めて間もない「北斗星」に乗れたのは幸いなことであった。ただ、帰路のことだったので、東京に戻らなければいけないという寂しさが何よりも強かった。



 そんな「はじめての北海道」以来、私は今までに何度か北海道へ渡っている。

 特に、四年前の春から昨年の春までは弟の一家が仕事の関係で札幌市内に住んでいて、その間に何度か遊びに行くことができた。

 そしてここ数年は、北海道の文化や、グルメや、美味しいお店や、農業や、風習や、方言などにすっかり詳しくなってしまった。それは、中央のキー局が作るバラエティ番組はほとんど見ないのに、北海道のローカル局が作るバラエティ番組や旅番組や農業番組ばかり熱心に見ている所為である。

 でも、おかげで北海道がとても身近に感じられるようになったし、また北海道に行きたいと常に思うようになっている。

 そしてもちろん、北海道の鉄道にももっともっと乗ってみたいと思っている。

 今やすっかり骨だけみたいになってしまった北海道の鉄道だけれど、子供の頃に宮脇さんの作品を読んで憧れた気持ちのままに、いつか自由に乗り回してみたい。

by railwaylife | 2018-08-27 23:20 | | Comments(0)

早春京急の旅

 建国記念日の祝日だった先月の11日、早朝に京急線沿線で用事があった。

 用事の後、時間があったのでどこかをぶらぶらしようと思いつつ、とりあえず京急線で品川まで戻った。

 その途中、窓外の風景をずっと眺めていると、行ってみたい場所がいくつも出てきた。

 そこで、品川駅まで戻るとまた京急沿線を下り、思い付くままにぶらりと途中下車しながらさまざまな風景を眺めることとなった。

 題して「早春京急の旅」の始まりである。

 その旅で見た風景を、これから続けて載せていきたい。
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by railwaylife | 2018-03-28 23:40 | | Comments(0)

バスという選択肢

 通勤のとき、ちょっとだけ明治通り沿いを歩くことがある。

 そのとき良く目にするのが、長距離バスである。

 前面に表示された行先やバスの会社を見ると、それらは北関東から東北、上信越方面へと向かうバスであることがわかる。遠くは金沢まで行くバスも目にする。行先だけ見れば、さながら新幹線開業前の上野駅から発車していた在来線特急列車群のようである。

 どうやらそれらのバスは、バスタ新宿を発着する長距離バスで、明治通りを経由して東北自動車道や関越自動車道へと向かっているようだ。

 そういうバスを日常の只中で目にすると、思わず「あぁ、あのバスに乗ってどこかへ行きたいなあ」と心の中で呟いてしまう。特に、最近良く目にして気になっているのが「会津若松・喜多方」と行先に書かれたJRバスである。

 でも、そんなふうに「バスに乗りたい」なんて思うのは不覚である。

 バスは好きか嫌いかと聞かれればあまり好きではない。せっかく長距離の移動をするのであったら、その機会をバスや飛行機に委ねるなんて、実にもったいないことだと思っている。何より、子供の頃より慣れ親しんだ列車で移動するのが良い。もちろん、それぞれの交通機関に一長一短はある。でも、列車の揺れに身を任せて車窓の風景をゆったりと眺めて移動するのが私には一番心地の良いことである。その機会を他の交通機関に譲ることは、なるべくしたくない。

 そうは思っているのだが、何度か見かけた「会津若松・喜多方」行きのバスのことがけっこう気にかかるようになってきた。いったいこのバスは、どのくらいの時間がかかるのだろう。そして、運賃はいくらくらいなのだろう。それが気になり、JRバスのホームページを見てみた。

 すると、驚くべきことがあった。それは早割の運賃である。乗車の五日前までに購入すれば、新宿から会津若松まで片道2,500円であるという。その上、ネットで購入すればさらにいくらか引かれる。これは安い、と思った。

 また、時刻表によると新宿から会津若松までの所要時間は約4時間30分であった。かつての在来線特急「あいづ」が上野と会津若松を4時間弱で結んでいたことを考えると、このバスに対して「時間がかかるなあ」という感じはしなかった。この運賃でこの所要時間で会津若松まで行ける。それは「悪くない」という気がしてきた。

 もし、会津へ行く機会があるとしたら、東北新幹線と磐越西線を乗り継ぐか、昨年登場した東武特急「リバティ」と会津鉄道を利用してみたいとは思っている。でも、たとえ時間がかかっても片道2,500円で行けるとしたなら、JRバスという手段も選択肢に入って来ていいと思えてきた。

 今や鉄道を利用して長距離移動をするには、好むと好まざるとに関わらず新幹線や有料特急を使わざるを得ないという状況になっている。その分、どうしても料金がかさんでしまう。それなら長距離バスで安く行くという手もありなのかな、と思う。

 もちろん、バスを使ってしまったら列車で移動する楽しみは奪われてしまうけれど、だったらバスで着いた先で列車の旅を楽しめばいい。会津若松から会津鉄道に乗るも良し、只見線に乗るも良し、SL「ばんえつ物語」号に乗るも良し、撮るも良しである。そんな旅を、これからはしても良いのかもしれない。

 ちょうど、東北地方はこれからが春本番である。
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by railwaylife | 2018-03-11 20:25 | | Comments(0)

巾着田と西武池袋線

 昨日、埼玉県日高市の巾着田というところへ出かけて来た。

 巾着田というのは彼岸花の名所として知られているところで、五百万本もの彼岸花が群生しているという。だいぶ以前から奥さんが一度行きたいと言っていて、ようやく昨日、二人で出かけることができた。
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 私も、彼岸花は四季の花々の中でも好きな花の三指に入る花だから、巾着田の存在は知っていたし、毎年のように開花状況をホームページでチェックしたりしていた。ただ、五百万本も咲いているような場所は何だか畏れ多い気がして、今まで訪れたことはなかった。

 そう思っていた場所を実際に訪れて、咲き乱れる花を前にしてみると、こんなにいっぺんにたくさんの花を目にしてしまっては「もったいない」という気がずっとしていた。何だか一生の間に目にする彼岸花を一度に目にしてしまったような心地であった。
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 それでも、この場所を訪れることのできた幸いを感じていたし、奥さんもすっかり満足したようであった。



 ところで、この巾着田の最寄り駅は西武秩父線の高麗駅である。西武池袋線の終点飯能から二駅先である。

 このあたりへは、私の住むところからわりと行きやすい。地元の東急東横線から地下鉄副都心線・西武池袋線直通の電車に乗れば、飯能まで乗り換えなしに行くことができる。これは、東横線が副都心線と直通運転をするようになったことの恩恵の一つであると言える。

 その直通電車を利用し、今回初めて東横線から乗り換えなしで西武池袋線まで向かった。

 直通運転が始まってから四年半、日常の中で目にする電車の行先として掲げられている石神井公園・保谷・清瀬・所沢・小手指・飯能といった駅々を、途中次々と通った。そして「そうか、この駅はこんな雰囲気なんだな」というふうに思いながら、各駅の名に実体が伴うようになった。

 そうなると、もっとこの西武池袋線の沿線を旅してみたいと思えてきた。

 ただ電車に乗って通り過ぎるだけではない。途中の駅で気ままに下車し、電車が往く風景を眺めたり、史跡を巡ったり、花を探したりしてみたい。今回の旅は、そんなふうに想うきっかけとなった。まさに西武池袋線の旅の始まりである。

 いつかまた直通電車で西武池袋線沿線へ出かけ、ぶらりと旅をしてみたい。
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by railwaylife | 2017-09-25 23:55 | | Comments(0)

桜休暇の旅2017

 桜休暇、というものが必要だと以前から思ってきた。

 桜の花を見るための休暇である。

 しかし、そんな休暇は簡単に取れるものではない。

 何しろ桜の花が咲くのは世の中が忙しい年度替わりの時期である。ただでさえ休暇が取りにくいときだ。

 しかも花は、いつ見頃になるかは直前までわからない。特に、今年2017年の花など、開花宣言があってから二週間以上経って見頃を迎えることとなった。そのことを、事前に予想できただろうか。

 また、花の見頃と同様に、天気というのも直前になってみないとわからないものだ。せっかくなら良い天気のもとで花を眺めたいと思う。

 そういう不確定な要素もあるから、休暇を事前に申請しておくこともなかなか難しい。

 それでも今年、できる範囲の中で、自分なりの桜休暇を取った。

 そして、自分の思うままに、桜の花咲く風景を見て回った。

 題して「桜休暇の旅」である。

 そのとき見た風景を、これから続けて載せていきたい。

 いろいろあってちょっと間があいてしまったけれど、この暑い季節に、このブログを桜の花で埋め尽くしていきたい。
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2017年春の記録

by railwaylife | 2017-07-20 23:50 | | Comments(0)

JR発足10周年記念謝恩フリーきっぷの旅

 今からちょうど二十年前の1997年、JRが誕生十周年を迎えたとき、その記念で「JR発足10周年記念謝恩フリーきっぷ」というものが発売された。新幹線も含めたと特急列車から普通列車まで、JR全線の列車が三日間乗り放題という切符であった。但し、指定席に乗る場合は料金が別途かかったと思う。だが、今思えば夢のような切符である。

 その切符で、二十年前の私も三日間の旅に出ることができた。
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 そのとき私が出かけたのは、当時大学で学んでいた日本中世史に関わりの深い土地を巡るというものであった。旅程としては、全線三日間乗り放題という利点を活かせたのかどうかわからないが、私としては十分に楽しめたものであった。

 そんな日本中世史を求める旅で最初に向かったのは、紀伊半島にある熊野三山であった。中世に多くの信仰を集めた熊野であるが、そこへ向かうことは紀勢本線の旅を楽しむためでもあった。それで、名古屋から初めて特急「南紀」に乗車した。海の見える車窓が楽しめる列車のはずだが、残念ながら天気が悪くあまり良い眺めではなかった。

 熊野川を渡り人生で初めて和歌山県に進入し、新宮駅近くの熊野速玉大社に参拝した。三山と言うからには那智・本宮にも参詣したかったが、時間がかかってしまうのでこのときは速玉大社のみとした。三山すべてに詣でたのはこの七年後のことである。

 新宮からは特急「オーシャンアロー」に乗車した。この列車も初めて乗るものであったが、残念ながら大半は日が暮れてからの乗車となってしまった。

 夜の新大阪駅に着き、大阪駅へ移動した。大阪駅に降り立つのは初めてのことであった。人ごみが、ちょっと怖い気がした。

 大阪からは福知山線・山陰本線経由出雲市行きの急行「だいせん」に乗車した。ディーゼル機関車の牽く客車列車で、座席車と寝台車が連結されていた。ここはあらかじめ寝台券を取っておき、寝台車両に乗った。

 この「だいせん」で山陰へ向かう意味はそれほどなかったのであるが、こういう機会でもないとなかなか乗れない列車であった。また、乗り放題の切符だっただけに、夜中も移動しておきたいという気持ちがあったのだと思う。

 貴重な寝台急行での一夜を過ごし、早朝に出雲市に着いた。いま思えば、そのとき「だいせん」の写真を一枚でも撮っておけば良かったと後悔している。テールサインには絵入りのマークも付いていたはずである。

 出雲市駅の近くで出雲そばを食べてから、特急「やくも」で伯備線へ向かった。伯備線、というかいわゆる陰陽連絡線に乗るのは初めてだった。そのために「だいせん」での一夜を選択したのだとも言える。

 山陽側に出たところで新幹線に乗り換え、広島へ向かった。そして目指したのは宮島である。この日のメインの見学場所であった。熊野と並び、中世には多くの信仰を集めたところである。そもそもそれまで瀬戸内地方は通り過ぎるばかりであまり途中下車したことがなかったので、そういう意味でも良い機会であった。その後東へ戻り、倉敷で泊まった。倉敷に何か特別な思い入れがあったわけではなかったが、美しい街ということで当時の私には憧れがあったのかもしれない。

 翌日の最終日、また新幹線で西へ向かい、福山で下車した。このあたりを新幹線でこまめに行き来できたのは良かった。

 福山では中世の草戸千間町の街並を復元した広島県立歴史博物館を見学し、その後は尾道へ向かった。寺の多い街であるが、ここにも中世に関わりの深い寺があった。風光明媚な尾道を私はすっかり気にいってしまい、後に再訪することとなる。

 この日はその後が流動的で、特に予定を決めていなかったようである。そこで、思い付きで京都の桜を見に立ち寄った。天気はあまり良くなかったが、このときが京都で一番いい桜を見ることとなった。

 ただ、さすがに京都は人が多くて疲れた。それで「こだま」で新大阪へ出て、そこから「ひかり」でまっすぐ帰途に就いた。

 三日間乗り放題という利点をどれだけ活かせたのかはわからない。ただ、当時の自分が行きたかったところへ思いのままに行くことはできた。だからこの旅に悔いはないし、今でも大切な思い出である。



 でも、後で一つだけ思ったことは、この切符で寝台特急「はやぶさ」を東京から西鹿児島まで乗り通してみたかったなということである。寝台券は必要だったが、乗り通しをするには絶好の機会であった。その「はやぶさ」は、同年の11月に熊本打ち切りになっている。

 ただ、寝台特急「はやぶさ」乗り通しの旅も、けっこうつらかったんじゃないかと思う。

 東京を起点にすると、まず一日目は夕方に東京にいなければならない。だからその日は日帰りで行ける範囲でお茶を濁さなければならなかっただろう。そして、一日目の夕方から「はやぶさ」に乗車し、終着西鹿児島に着くのは二日目の午後である。そこから翌日中に東京へ帰って来なければならないのだから、多少回り道や観光はできたとしても、それほど余裕があるわけではない。それを考えると、タイトな旅になったのではないかと思う。何でも「~放題」というのは欲張ってしまいがちだが、適度に利用するようにしたいものである。



 ところで、今年のJR発足三十周年では、十周年のときのような全社全線の乗り放題切符は発売されないようである。会社それぞれに対応するようで、JR東日本では7月に三日間管内乗り放題の切符が発売されるようである。

 範囲は狭くなるが、それくらいがちょうど良いのかもしれない。

 折しも東北地方を旅したいと思っているところだから、都合さえ付けばその切符をうまく利用して東北を旅したいものである。

by railwaylife | 2017-04-09 21:00 | | Comments(0)

駿河路の春

 私がブログを始めたきっかけの一つに、今から十一年前の出来事がある。

 十一年前の2006年春、寝台特急「出雲」が廃止されることとなった。それにより、東海道本線に残るブルートレインは「富士」「はやぶさ」の一本のみとなってしまった。

 幼い頃から東海道本線のブルートレインに強い憧れを抱いてきた私にとっては、残りが一本になるということが何とも寂しく、心細いものに感じられた。それで、余計に「富士」「はやぶさ」への思い入れが強くなり、乗りたいなあという気持ちもどんどん膨らんでいった。

 でも、仕事がちょうど忙しい時期で、それはなかなか叶いそうになかった。そこで、インターネット上にあるブルートレインの写真を探し、眺めたりしていた。

 そのとき行き当ったのが、寝台特急「富士」「はやぶさ」の写真を中心に扱っているいくつものブログであった。それらを見て、こんなにもたくさんの人がこの列車に強い想いを持っているのかと思うと、熱いものが込み上げてきた。

 そのとき見始めたいくつかのブログは今でもずっとチェックしていて、記事の更新を楽しみにしている。

 さて、そうやって多くのブログを眺めたことが、自分でもブログを始めようと思うきっかけになったことは確かである。私がこのブログを始めたのは、その数ヵ月後のことであった。

 ところで、私が見つけた「富士」「はやぶさ」を追いかけているブログには、神奈川県から静岡県あたりをホームグラウンドとして撮影している人が多かった。と言うのも、上りの「富士」「はやぶさ」がそのあたりを通るのが夜が明けてからの時間帯で、撮影をするにはちょうど良かったのだと思う。

 それで、神奈川県から静岡県にかけての東海道本線の沿線風景を、ブログでいろいろと目にすることとなった。

 神奈川県下の風景は、自分でも訪れたことがあり見知ったものが多かったが、静岡県下の風景は、あまりよく知らない場所のものも多かった。それで、こんな場所があるんだと初めて知るところもあった。そして、そういう場所にいずれ行ってみたいなあと思うようにもなった。それは、後に「富士」「はやぶさ」が廃止になってからもずっと思い続けていたことであった。

 そんな場所の一つに、三年前の春の訪れることができた。

 東海道本線の静岡駅の四つ手前、興津駅から程近い清見寺踏切というところである。

 季節的にはちょうど今頃のことだったので、そのとき見た風景を、これから続けていくつか載せていこうかと思っている。
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by railwaylife | 2017-03-16 23:00 | | Comments(0)

東北のディーゼルカー

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 若い頃は、東北地方をよく旅した。

 東北各地のディーゼルカーにも良く乗った。

 青春18きっぷでの旅はもちろん、JR東日本の乗り放題パスがあったから旅しやすかった。でも、そういう切符があったからというだけではなく、東北地方には幼い頃から格別の憧れがあった。

 その憧れの源は、上野駅にある。

 幼い頃、上野駅の在来線ホームには特急・急行列車がひっきりなしに出入りしていた。父に連れられその様子をよく見に行っていた私は、いったいそれらの列車が向かうところはどんな場所なのだろうと思いを巡らせるようになった。そしていつか、そういう列車に乗って東北へ行きたいと思うようになった。

 そんな幼い頃の想いを叶えたのが、若い頃の旅であった。

 すでに在来線の特急・急行列車はほとんど消えていたけれど、かつてそれらの列車が目指した地を実際に訪れることができた。

 ただ、年を取るにつれ、東北へ行く機会は減ってきている。いろいろな縁があって、今はどうしても関西や九州など、西へ向かうことが多い。

 でも、東北への想いが色褪せたわけではない。

 今はまた、若い頃の旅の思い出を辿るような形で、東北へ旅に出てみたいと強く思っている。

 またいつか、若い頃のように、東北を飛び回りたい。

 その想いのまま旅することが、東北のためにも、そして自分のためにもなるのだと、今は信じている。


1枚目 キハ58系気動車 磐越西線喜多方駅にて 1991.8.29
2
枚目 キハ40形気動車 羽越本線酒田駅にて 1994.3.17
3
枚目 キハ58系気動車 奥羽本線大館駅にて 1994.3.17
4
枚目 キハ40形気動車 男鹿線脇本駅にて 1996.9.4
5
枚目 キハ100系気動車 奥羽本線横手駅にて 1998.10.24
by railwaylife | 2017-03-11 17:20 | | Comments(0)

烏山線のディーゼルカー

 初めて烏山線に乗ったのは、今から三十三年前の九月のことであった。

 小学生だった私は父に連れられ、東北本線経由で宇都宮へ出て烏山線に乗車し、終着の烏山から国鉄バスに乗って真岡線(現・真岡鐵道)の茂木に抜けた。当時はこのように枝線の終着駅どうしを結ぶ国鉄バスがけっこうあったように思う。

 その後、真岡線にも初めて乗り、終着の下館からは関東鉄道常総線で取手に抜けて、そこから常磐線で帰京した。

 残念ながら、烏山線や真岡線、関東鉄道常総線の車窓風景などはあまりよく覚えていない。それよりも、国鉄バスがずいぶん山深いところを通るんだなあと思ったのを覚えている。

 また、常磐線の電車で上野に戻ってから東京駅に立ち寄り、当時寝台特急「みずほ」に投入されたばかりの4人用個室「カルテット」を眺めた記憶がある。その個室にいつか家族四人で乗って、祖母のいる下関へ行こうと父が話していたのもよく覚えている。

 それから、このときは東海道新幹線がちょうど開業二十周年を迎えるところで、私の「旅ノート」にはその記念のスタンプが押されていた。

 もうずいぶん昔の話であるが、この旅の烏山線で乗った車両の写真もあった。
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 今も烏山線を走っている形式、キハ40である。

 もう三十年以上、この形式は烏山線を走り続けてきたことになるのだが、いよいよ今年春のダイヤ改正で、後継の蓄電池電車にすべて置き換えられることになったという。

 思えばずいぶん長い間、このキハ40は烏山線で頑張ってきたものである。

 思い出のある車両だけに、蓄電池電車が投入され始めたときから、もう一度キハ40で烏山線に乗っておきたいなとは思っていたが、行かずに終わりそうである。残り二ヵ月、すでに沿線が騒がしくなっていることは容易に想像がつく。

 それよりも、ダイヤ改正以降、その蓄電池電車なるものに乗ってのんびりと烏山線を旅してみたい。

 実は以前から、烏山線に乗って行ってみたいところがある。

 烏山駅からバスで行ける那珂川町馬頭である。そこにある馬頭広重美術館は、広重ファンとしてはぜひ一度行ってみたいところである。

 蓄電池電車で馬頭広重美術館へ。

 それが、いつか行きたい旅のひとつである。


国鉄キハ
40形気動車 東北本線宇都宮駅にて 1984.9.30
by railwaylife | 2017-01-13 23:45 | | Comments(2)