カテゴリ:寝台特急( 166 )

小寒サンライズ

 二十四節気の一つ、小寒の日、早朝に東京へやって来る上り寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」を出迎えた。
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 一年で一番日の出が遅いこの時期、ちょうど日の出の時刻を過ぎたばかりの頃に寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」は東京に現れる。まさにサンライズに「サンライズ」となる季節だ。

 ただそれは、一年で一番寒い時期でもある。この日も小寒とは言いながら、だいぶ冷え込んでいた。

 そのピンと張り詰めた冷気の中で、足元の八ツ山橋に一両一両が吸い込まれて行くのを見つめていると、この列車が貫いて来た凍てつく夜のことがふと想われた。


寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」 東海道本線品川駅~川崎駅にて
2019.1.6
by railwaylife | 2019-01-16 22:40 | 寝台特急 | Comments(0)

銀河の朝

 寝台急行「銀河」は、東京と大阪を結ぶ夜行列車であった。

 同じ東海道本線の夜行列車でも、九州・四国・山陰へ向かう寝台特急と比べれば運転距離が短かかった。だから、終着の大阪に着くまでは大げさに言えば「あっという間」の気がした。それで、朝早くに大阪駅に着いたときは「もう終着か」という気持ちとともに「もっと寝台列車に乗っていたかったなあ」という想いが湧いてきた。神戸でも姫路でも、あともう少しだけでいいから行ってくれ、そんな想いで朝の大阪駅ホームへ降り立ったものであった。

 その虚しい気持ちを、眠たげな心地とともに抱えながら、さらに西へ向かうべく新快速に乗り継いだことが、寝台急行「銀河」乗車での思い出の一つである。
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寝台急行「銀河」 東海道本線大阪駅にて
2003.1.4
by railwaylife | 2019-01-04 23:35 | 寝台特急 | Comments(0)

あれから十年

 今からちょうど十年前の2008年10月23日は、私が最後に東京駅から九州行き寝台特急に乗った日である。

 翌2009年3月のダイヤ改正で、東京発九州行きの寝台特急が全滅することはすでに報道等で明らかになっていた。それだけに、もうこれが最後の九州行き寝台特急の乗車になるだろうという強い覚悟を持っていた。

 とは言え、悲しい気持ちばかりだったわけではない。寝台特急に乗車できるという至福の時間の一瞬一瞬を大事に楽しもうという気持ちが強かった。

 そんな想いを込めて、東京駅18時03分発の寝台特急「はやぶさ」のB寝台個室「ソロ」に乗車した。
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 普段の旅よりちょっと多めの発泡酒とおつまみに好きな駅弁を買い込んで乗った個室寝台では、ひたすら夜の車窓風景を楽しんだ。イヤホンで好きな音楽を聴き、車窓を眺めながらさまざまなこと考える。そのときの自分のこと、これからの自分のこと、これまでの自分のことである。

 ふと車窓に、過去に訪れたことのある場所が映る。たちまちにそのときの思い出に浸る。いつか行きたいと思っている場所を横切る。改めて、そこへ行きたいと思う。

 そんな過去の思い出と、未来への希望と不安を想ういま現在の自分がいる。まさに寝台特急は、過去と現在と未来を繋ぐ旅路であり、人生という旅の途上を想うときであった。

 自分の人生もまた、二条の鉄路のようにずっと続いてゆく。そこを走り続けることだ。そんな想いになる、寝台特急の旅路であった。

 車窓を眺めながらの思索の時は、朝目覚めてからも続けた。そして九州に入り、終着の熊本駅が近付いてきたとき、いったいこの残り少ない車窓風景にあと何を想えば良いのだろう、という実に切ない気持ちになった。そんな想いで、熊本駅到着を迎えた。
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 あれから十年、今はせわしない日常の中で、自分の人生の旅路を想う間などなかなかない。ただただ、追われるだけの日々になってしまっている。

 だから今、叶うことならもう一度寝台特急に乗りたい、と切に願っている。

by railwaylife | 2018-10-23 18:03 | 寝台特急 | Comments(0)

夏はあけぼの

 東京総合車両センターの車両展示で、久しぶりに寝台特急「あけぼの」のヘッドマークを目にした。
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 早いもので、この「あけぼの」の定期運行が終了してもう四年余りになる。それでも、このマークを見ると胸の熱くなるものがある。

 そう言えば、最後に「あけぼの」を見送ったのは四年前の夏のことであった。その年の春に定期運行を終えたものの、夏の間は臨時列車としてまだ走っていた。それを、早起きしてわざわざ見に行ったことがある。

 そもそも「あけぼの」を上野から青森まで通して乗ったのも夏のことであった。今から二十年近く前のことである。当時はすでに上越・羽越・奥羽本線経由で、終着の青森までは12時間以上かかった。個室B寝台「ソロ」に乗車したが、羽越本線余目駅に到着する朝5時前には目を覚まし、そこから青森駅まで約5時間、飽かずにずっと車窓風景を眺めていたものであった。夏のことだから朝5時ですでに車窓は明るく、日本海の海原をはじめとする日本海縦貫線の沿線風景をたっぷりと楽しむことができた。おかげで、青森までの遠さを実感することもできた。いま、東北新幹線に乗って3時間ちょっとで東京から新青森まで行くのとは訳が違う。

 そんな寝台特急「あけぼの」での長旅が終わるとき、私の脳裏に流れたのは、大瀧詠一「カナリア諸島にて」の「防波堤の縁取りに流れてきた心は 終着の駅に似てふと言葉さえ失くした」という一節であった。まさにこのときの気分にぴったりの歌詞であった。だから今でも「カナリア諸島にて」を聴けば、この「あけぼの」での旅のことを思い出す。そんな「カナリア諸島にて」もまた、夏の歌の代名詞である。

 こうやって思い起こしてみると、私にとって寝台特急「あけぼの」は、夏と強く結び付いている。まさに「春はあけぼの」ならぬ「夏はあけぼの」である。

 そんな「あけぼの」のマークを、この夏の終わりに目にすることができて良かった。


JR東日本EF641052号機電気機関車 東京総合車両センターにて 2018.8.25
by railwaylife | 2018-08-31 23:35 | 寝台特急 | Comments(0)

品川新駅への想い

 現在、山手線・京浜東北線の品川-田町間に「品川新駅」の建設が進められている。田町車両センターを再編した跡地に設置されるもので、2020年の暫定開業を目指しているそうだ。

 先頃、この「品川新駅」の正式な駅名が公募されていた。私は応募はしなかったが、ここに駅ができると知ったときから私には「この駅名になってほしい」というものがあった。

 それは「札ノ辻」である。

 この「札ノ辻」は新駅設置場所近くの第一京浜の交差点の名でもあるが、その由来は江戸時代にここを通っていた東海道沿いに高札場があったことによる。

 高札場とは、文字通り高く掲げられた札が立てられた場所のことで、江戸幕府が禁令や定めを世に知らしめるために設けたものである。江戸市中の各所に設けられていたそうだが、その中でも日本橋南詰、常盤橋門外、筋違橋門内、浅草橋門内、麹町半蔵門外、そしてこの札ノ辻の六ヵ所は特に大高札場と呼ばれていた。

 高札に書かれていたのは忠孝の奨励、毒薬売買の禁止、キリシタン宗門の禁止、伝馬賃の定め、火付けの禁止といったものであった。

 つまり、現代ふうに言えば、交通ルールを守りましょう、とか、危険ドラッグ禁止、とか、歩きスマホはやめましょう、とか、火の用心、といった標語のようなものだろうか。それで江戸の庶民も普段は高札にあまり興味を示さなかったようである。ただ、この札ノ辻は、江戸市中へ入る東海道が、道筋を二手に分けた場所でもあった。一方は飯倉から虎ノ門を経て江戸城へ、もう一方は芝から日本橋へと向かう道筋である。

 二つの道の分岐点であり合流点でもあったから、行き交う人は多かっただろう。そういう場所だから、高札場があったと言える。

 そんな札ノ辻の賑わいと高札場の歴史を伝えるべく、新しい駅の名は札ノ辻として、駅前広場には高札のレプリカを立てたらいいんじゃないかなと思っている。

 ただ、最近の傾向からして、こういう古い地名などを新しい駅の名に採用する可能性は極めて低いと言える。でも、たとえどんな駅名になったとしても、せめて駅のコンコースの片隅に札ノ辻の歴史を伝えるコーナーくらい作ってもらいたいものである。



 歴史を伝える、と言えば、もう一つこの「品川新駅」あたりの歴史で伝えてもらいたいことがある。

 現在、この「品川新駅」一帯は田町車両センターと呼ばれているが、以前は田町電車区、品川客車区、東京機関区に分かれていた。そして品川客車区には九州行きブルートレインの客車が、東京機関区にはそのブルートレインの牽引機であるEF65形などが所属していた。青い客車や機関車たちが常にたむろする風景は壮観であり、物心ついたときから九州行きブルートレインに憧れて止まなかった私は、ここを山手線や京浜東北線の電車に乗って通るたび、品川客車区や東京機関区の風景に釘付けとなったものであった。

 そんな品川客車区や東京機関区の歴史を伝えるコーナーも、新駅の一角にできたらいいなと思う。当時の写真をたくさん貼り出してほしい。そうしたら私など、そのコーナーを見に行くためだけに新駅へ行ってしまうだろう。
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 この写真は、十年近く前に一度だけ東京機関区を訪れたときのものである。

 いよいよ九州行きのブルートレインがすべて廃止になる直前のこと、特別に公開されたものであった。正式にはこのときはもう東京機関区とは呼ばれていなかったのであるが、憧れの場所にようやく入ることができたという嬉しさはあった。

 そんなこの場所の思い出が、形としてずっと残っていったらいいなあと思っている。

by railwaylife | 2018-08-19 15:00 | 寝台特急 | Comments(2)

夜を駆ける

 雨ばかりだった今年の夏には、思い出があまり多くない。

 そんな中で、強く思い出に残った出来事が一つある。

 横浜アリーナで参加した、スピッツの結成30周年の記念ライブである。



 スピッツというバンドは今年で結成30周年であるが、デビューして26年になる。そして私は22年前からずっと熱心にこのバンドの音楽を聴いている。彼らの音楽のほとんどを、リアルタイムで聴いてきた。

 バンドの歴史は、それを聴くリスナー自身の歴史でもあると思う。昔の曲を聴けば、その曲がリリースされた当時の自分のことが思い出される。特に音楽というのは不思議なもので、昔良く聴いていたメロディーを聴くと、それを聴いていた当時のことが鮮明に脳裏に蘇ってくる。それで今回のライブは、自分の過去を振り返る機会にもなった。

 ところでスピッツは、今回のツアーに先立ち、これまでのシングル曲が集約されたベストアルバムが発売していた。それで今回のライブもそのアルバムに収められたシングル曲が中心になるのではないかと思っていた。しかし、蓋を開けてみるとシングル曲にこだわらず、新旧織り交ぜたさまざまな曲が演奏された。

 シングル曲はもちろん好きだし、気に入っている曲も多い。ただ、どんなバンドでもアルバムに収められたあまり有名でない曲にそのバンドの音楽の神髄を感じるようなことがある。今回はまさにそんな曲もいくつか演奏された。

 その曲順はもちろん、リリースされた順になっているわけではない。彼らがいろいろと意図した上での順番であろう。それで、曲ごとにそれを熱心に聴いていた頃の出来事が思い出されるから、自分の人生の思い出を行ったり来たりするような感覚であった。当時通っていた学校、バイト先、勤め先の情景などが、次々と浮かんでくる。まさに走馬灯を回すかのごとくであった。ライブが進んでいくにつれ私は走馬灯を回し過ぎだ、とさえ思った。

 そんな中、ライブ中盤で「夜を駆ける」という曲が始まったときには、頭の中で「あ、あの曲か」と認識するまでもなく、途端に青森のことが想起された。確かにその曲がリリースされた年、私は青森を旅していた。ただ、ライブが終わってから調べてみると、実際には青森を旅してから一ヵ月後にリリースされた曲であった。でも、その当時の一番の思い出である青森の旅と強く結び付いていたのだろう。それにしても「あぁ、この曲が出た頃に青森を旅したことがあったな」ということを認識する以前に、イントロのピアノ音を聴いただけで青森のことがパッと思い浮かんでくるとは、自分でも恐ろしくなってきた。

 そうやって、その時々で自分が熱心に聴いていた曲は、いわばその当時の自分にとっての主題歌でありテーマ曲である。身勝手な言い方をすれば、十年とか二十年前のそういう主題歌やテーマ曲を、今になって生で聴けるのは贅沢だなと思った。それができるのも、このバンドが長く活躍し続けてきたからこそである。そのことには、本当に感謝したいと思った。

 ところで、この日の座席は、スタンド席の3階、しかもだいぶ端の方であった。ステージを右下に見下ろすような位置である。

 アリーナ席であれば当然、みな立ち上がってノリノリになるわけだが、私のいたスタンド席のあたりの観客はほとんど皆ずっと座ったままであった。もちろんそれぞれに手拍子を打ったり振付を楽しむ人もいたが、ずっと座っていても良かったのはありがたかった。私はステージをじっと見つめ、一曲一曲を大事に想いながら、ずっと聴き入っていた。ライブの場合、参加するというイメージが強い。ただ音楽を聴きに行くというより、バンドと一緒に歌ったり踊ったりすることがライブの楽しみである。でも、この日の私はまさに聴きに行ったという感じであった。それもまたライブの楽しみ方と言える。それだけに、この日のライブは思い出深いものとなった。

 特に、このステージでは、ヴォーカルの草野マサムネの声がとてもよく通っていた。もちろん、歌は上手い。バンドの奏でる音も良かった。ライブでは聴く位置や会場の設備によって音のバランスというのはなかなか難しいものだが、ヴォーカルの声が良く通っていたのは何よりのことであった。本当に、いいライブであった。

 そしてそんな素晴らしいステージを通して、自分の半生を振り返る時間にもなった。わりと初期の頃の曲が多かったから、私も自分の若い日のことを思い出すことが多かった。そうやって振り返ってみると、自分はなんてダメな若者だったんだろうなという気がしてきた。

 若き私はいつも遠慮がちで、何事にも中途半端であった。もっと学問なり、サークルなり、趣味なり、バイトなり、恋愛なりに、のめり込めば良かった。のめり込みもせず、どこかイジイジとしていた。自分でもやるせなかっただろう。でも、そんな自分のそばにスピッツの楽曲があった。そして、自分を救ってくれた。

 そして今も、スピッツの楽曲がそばにある。





 私が青森を旅したのは2002年8月のことである。その年の12月、東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸開業するのに伴い、同区間の在来線の東北本線は第三セクターへ切り離されることになっていた。そして、そこを通っていた寝台特急のうち、青森行きの「はくつる」が廃止されることも決まっていた。その「はくつる」に乗り、私は青森へ向かった。
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 そして今回のライブで聴いた「夜を駆ける」が収録された「三日月ロック」というアルバムが発売されたのが2002年9月であった。青森の旅の途上で「夜を駆ける」を聴いていたわけではないのだが、その時期の私の思い出として、青森を旅したことが脳裏に強く残っていたのだろう。つまり、私にとって「夜を駆ける」のは、まさに廃止直前の寝台特急「はくつる」であったということになる。

 夜を駆ける 今は撃たないで
 滅びの定め破って 駆けていく


 きっと、今年リリースされたスピッツの曲をあと何年かして聴いたとき、今の自分のことが思い出されるだろう。そのとき、どんなことが想起されるだろうか。

 青森のことを思い出した「夜を駆ける」のように、どこか思い出深い旅をしたときのことが思い浮かべられるようでありたいと、いま願っている。


寝台特急「はくつる」 東北本線青森駅にて
2002.8.9
by railwaylife | 2017-10-31 23:15 | 寝台特急 | Comments(0)

十年前の尾久

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 今から十年前の、尾久車両センターの様子である。

 上野から北へ向かう夜行列車が集っていた。

 寝台特急「北斗星」はもちろんのこと、「あけぼの」に「北陸」に急行「能登」までいる。

 新幹線開業前のことを考えればごくわずかな本数であるが、今にして思えばまさに夢のような光景である。

 十年ひと昔とは言うが、ほんとにもう昔のことのようである。


尾久車両センターにて
2007.4.14
by railwaylife | 2017-04-14 23:00 | 寝台特急 | Comments(0)

18時03分という時刻

 二週間ほど前に「8 Years Later」という記事を掲載した。

 この記事は寝台特急「富士」「はやぶさ」の廃止からちょうど八年が経ったのを機に書いたものであるが、その中で私は、寝台特急「富士」「はやぶさ」の東京駅発車時刻だった18時03分という時刻が未だに忘れられないと書いた。

 つい昨日も、夕方に買い物から帰って来て家の時計を見たらちょうど18時03分だったので妙に嬉しかった。この季節になると、18時03分でも空に明るみが残るようになる。

 ただ、考えてみるとこの18時03分というのは何とも中途半端な時刻である。

 そもそも優等列車の始発駅発車時刻は切りの良いものだったはずである。九州方面行き寝台特急の東京駅発車時刻も、歴史を少し振り返ってみれば、ちゃんとそうなっていたと思う。

 私がよく覚えているのは国鉄末期(1987年3月)の時刻である。その頃、東京駅から西へ向かって旅立つ寝台特急は合計9本あった。その発車時刻は以下のように毎時05分、20分、40分、50分のどれかに割り当てられていた。これらの時刻は、いちいち当時の時刻表を開かなくても、私の頭の中に記憶されていることである。

 16時40分 さくら    長崎・佐世保
 17時05分 はやぶさ   西鹿児島
 18時05分 みずほ    熊本・長崎
 18時20分 富士     宮崎
 18時50分 出雲1号   浜田
 19時05分 あさかぜ1号 博多
 19時20分 あさかぜ3号 下関
 21時05分 瀬戸     宇野
 21時20分 出雲3号   出雲市


 並べてみれば、実に美しい時刻である。

 ただ、この中の05分発というのは、もともと00分発だったのではないだろうか。

 そこで、もう少し時代をさかのぼってみると、このようになっていた。参考にしたのは、交通公社の時刻表1978年10月号である。

 16時30分 さくら     長崎・佐世保
 16時45分 はやぶさ    西鹿児島
 17時00分 みずほ     熊本・長崎
 18時00分 富士      西鹿児島
 18時20分 出雲1号    浜田
 18時25分 あさかぜ1号  博多
 19時00分 あさかぜ3号  下関
 19時25分 瀬戸      宇野
 20時40分 出雲3号・紀伊 出雲市・紀伊勝浦


 やはり、00分ちょうど発の列車がある。このように優等列車は、他の列車より優先されて切りの良い時刻に旅立つところに風格があったと思う。

 それが晩年の九州行き寝台特急は、本数が減らされるとともに、中途半端な時刻にされていったものである。17時05分発だった列車は16時56分発にされ、18時05分発だった列車は18時12分発にされた。そして最後は18時03分発に落ち着くこととなった。それもこれも、東海道本線沿線の宅地開発が進み、通勤電車がどんどん増え、ダイヤに余裕がなくなってきた所為だろう。風前の灯火の寝台特急など、次第にダイヤの隅に追いやられていくこととなった。

 しかし、今に唯一残る寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」は、昔ながらの優等列車のように、22時00分ぴったりの発車である。さすがに一本くらい、また22時ともなれば、優等列車を切りの良い時刻に発車させるだけの余裕が今のダイヤにもあるのだろう。でも何にせよ、優等列車の伝統を、この列車の発車時刻に感じ取りたいものである。

 ただ、22時00分ぴったりだと、その時刻に18時03分みたいな特別な意味を込めるのが難しくなるから不思議である。たまたま時計を見たときに22時00分だったとしても、なかなか「サンライズの発車時刻だ」と思えないものである。

 やはり、寝台特急「富士」「はやぶさ」の発車時刻は、18時03分という中途半端な時刻で良かったのかもしれない。
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by railwaylife | 2017-03-26 22:00 | 寝台特急 | Comments(0)

8 years later

 幼い頃からずっと、列車への憧れがあった。だからずっと思い入れを持っていた列車もいろいろとある。そして今も、乗ってみたい列車、見てみたい列車はいろいろとある。特に最近は、各地に魅力のある列車がさまざまに登場している。

 でも、今までで一番思い入れのある列車はやはり、今からちょうど八年前に廃止となった寝台特急「富士」「はやぶさ」である。

 物心付いたときから、九州行き寝台特急には格別の憧れがあった。その最後の生き残りとなった「富士」「はやぶさ」への思い入れは只ならぬものであった。それで、廃止の少し前には実際に何度か乗ることができた。おかげで、もう辿れないと思っていた九州までの寝台特急の旅路を再び味わうこともできた。

 そんな思い出のあるこの列車は、廃止から八年たった今も、私の心の中をずっと走り続けている。

 特に、下りの「富士」「はやぶさ」が東京駅を発っていた18時03分という時刻は、今でも意識することが多い。ふと時計を見たときにこの時刻だと、妙に嬉しくなる。パソコンに保存したファイルの更新日時が期せずしてこの時刻になっているとタイムスタンプを変えたくないと思ったりするものである。その18時03分から、私の旅の思い出がまた走り出すような気がしている。

 もう、この列車ほど、強い思い入れを持てる列車も現れないだろう。
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by railwaylife | 2017-03-14 22:15 | 寝台特急 | Comments(2)

Summer Sunrise

 夏の日の出は早い。東京でも、4時台には日が昇ってしまう。

 だから、寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」が東京へ現れるころにはもう、サンライズの時刻とは言えない。
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 いや、そんな能書きは置いといて、こうして早朝に上って来る寝台特急を見送っていると、前夜からのこの列車の長い長い旅路が想われた。

 その旅路への憧れを胸に、じっとじっとこの列車を見送っていた。


寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」 東海道本線品川駅~川崎駅にて
2016.7.7
by railwaylife | 2016-09-24 11:40 | 寝台特急 | Comments(0)