カテゴリ:JR西日本( 11 )

運転再開

 大きな災害が起きると、私はこのブログで何を発信したら良いのかがわからなくなる。

 通り一遍の見舞い文を載せるだけで良いのだろうか。それだけでは済まない気がする。かと言って、人々を勇気付けるような上手いことも言えない。ちょっとしたユーモアで、緊張した人々の心を上手に和ませることもできない。起きた出来事に対して正面から向き合い、自説を展開するのも難しい。それで、何を書いたら良いかわからず記事の更新が止まってしまう。

 今月初め、西日本各地を豪雨が襲ってからもそうやってずっと悩んでいた。加えて自身の多忙もあり、このブログはしばらく放置したままであった。

 しかし、時が経つうちに、あまりあれこれと悩んでも仕方ないということに気付く。飾らず、気張らず、今まで通り、自分らしくブログを続けていけばいいんだと思えるようになってくる。それがこのブログで私にできることだからである。そこで、また普段通りに記事を載せていこうと今は思っている。

 ただ、再開にあたって、少しだけ今回の出来事に関わることを書いておきたい。



 先の三連休、所用があって関西に出かけた。

 東海道新幹線で酷暑の新大阪駅に降り立ち在来線乗り場へ向かうと、見慣れない行先表示があった。特急「スーパーはくと」の行先の「智頭」である。

 普段は鳥取まで行く特急「スーパーはくと」であるが、このときはまだ西日本豪雨の影響で因美線の智頭~用瀬間が不通であり、智頭止まりになっていた。私が初めて豪雨の影響を目の当たりにしたときであった。

 ただ、ちょうどこの日は特急「スーパーはくと」が豪雨後に運転を再開した日でもあった。

 そんな運転再開当日の特急「スーパーはくと」が、新大阪駅を発っていくさまを見送った。
f0113552_23445818.jpg
 力強く旅立って行くディーゼル特急の後ろ姿を見ながら想ったのは、早くこの列車が鳥取まで行くようになってほしい、というその一事のみであった。

 どんな列車が、いつどのように災害の影響を受け、走ることができなくなるかはわからない。だから、どんな列車であっても、日々あたりまえのように走っていることをありがたく想いたい。

 そんなことを今、改めて感じながら、このブログを再開することとする。


智頭急行
HOT7000系気動車
特急「スーパーはくと」
5号 東海道本線新大阪駅にて 2018.7.14
by railwaylife | 2018-07-31 00:00 | JR西日本 | Comments(0)

思い出の山陽路

 二月半ばのこと、奥さんの親戚の法事で山口県防府市を訪れた。

 親戚の家は防府市内なので、最寄りの駅は山陽本線の防府駅だとずっと思っていた。ところが、一つ東どなりの富海駅からも意外と近いことを知った。それで法事の後、その富海駅あたりへ連れて行ってもらった。

 駅の目と鼻の先が海水浴場であった。海は湾上になっていて、その入り江に沿って往く列車が遠目に見届けられた。
f0113552_22502004.jpg
 あまり馴染みのない場所であったが、ひとつ確かなことは、九州行き寝台特急に乗るたび、この場所を必ず通っていたということである。

 特に、最晩年の「富士」「はやぶさ」の下りだったら、朝7時過ぎにここを通過していたから、車窓はもう明るかっただろう。海の見える車窓風景として、大事に眺めていたかもしれない。

 そんな私を乗せていた青い列車はもうここを通らない。通るのは、蜜柑色をした短い電車ばかりである。

 でも、その電車を追いかけているとき私は、いつか青い列車に乗っていた私を見ていた。

 きっと、いつかその青い列車に乗って海を眺めていた私は、車窓風景の中に、今ここで立ち尽くしている私を見ていただろう。


JR西日本115系電車 山陽本線戸田駅~富海駅にて 2017.2.11
by railwaylife | 2017-03-08 23:00 | JR西日本 | Comments(0)

オーシャンアロー!

 あまり注目されていないが、というか、私が注目していなかっただけかもしれないが、今回のダイヤ改正で愛称が消滅してしまう特急列車がある。





 特急「オーシャンアロー」である。
f0113552_22165451.jpg

 京都・新大阪と南紀の白浜・新宮を阪和線・紀勢本線経由で結ぶこの「オーシャンアロー」は、同区間を走る特急「くろしお」に愛称が統一されることとなり、今回のダイヤ改正でその名が消える。

 もっとも、この区間の特急列車はもともと「くろしお」の名で統一されていたのだから、原点に帰すといった感じである。改正後の新しい時刻表で紀勢本線のページを見ると、ずらりと「くろしお」の字が躍り、なんとも壮観である。そういう眺めになるのは、特急「スーパーくろしお」という列車が登場する前以来のことなので、実に二十三年ぶりということになる。

 また同時に、この「くろしお」には287系という新型車両が導入されることになっており、これまで「くろしお」「スーパーくろしお」として使用されてきた381系に「オーシャンアロー」だった283系も加えると、一つの列車愛称に三種類もの車両が用いられることになる。これは、なかなかないことだと思う。



 それにしても、今回消えてしまう「オーシャンアロー」という愛称には、どういう意味があったのだろう。改めて考えてみると、不思議な名前である。

 直訳すると「海の矢」である。この「オーシャンアロー」に用いられている283系が振子式電車で他の車両よりも速度が出せるから、それこそ海上を飛ぶ矢のように、海岸線に沿う紀勢本線を疾走するというさまを表しているのだろうか。

 そんなふうに考えたが、その「海の矢」と、南紀の海の風景を思い浮かべていると、ある言葉が頭の中によぎった。





 熊野水軍である。

 紀伊半島南部の熊野地方は、材木が豊富にあったことや良港を持っていたことなどを背景として、古くから水軍が発達したところである。その熊野水軍の名は、源平合戦の折に歴史上に大々的に登場する。田辺別当湛快・湛増父子や、熊野八庄司の一である湯浅氏が源氏方に加担し、屋島の戦いでの平氏攻略などに活躍したからである。

 そんな熊野水軍が大きな舟を駆り、船上から平氏目がけて矢を放つ。海上をそれが飛ぶさまは、まさに「海の矢」すなわち「オーシャンアロー」である。

 そういう光景を思い浮かべた私は、そうか、特急「オーシャンアロー」という名は、熊野水軍が放つ矢を表していたのか、と一人納得してしまった。

 いや、よく調べていないから、本当に源平合戦の折にそんな光景があったのかはわからない。でも、熊野水軍のことに想いが至り、今さらながらにこの「オーシャンアロー」という愛称に親しみが湧いてきてしまった。だから、列車名として消えてしまうのが残念な気がした。

 ただ、これまで「オーシャンアロー」に使用されてきた283系という車両は、今後も「オーシャンアロー車両」という名で呼ばれるようだ。時刻表3月号の「くろしお」には「オーシャンアロー車両で運転」と注記の付いているものがある。283系で運転されるということだろう。

 そんな「オーシャンアロー車両」に乗って南紀を訪れ、熊野水軍の歴史を噛み締めてみるのも悪くない。

by railwaylife | 2012-03-15 22:19 | JR西日本 | Comments(2)

特急雷鳥

 地震の日から一年が経った。





 一国の首相にわざわざ呼びかけていただくまでもなく、その丸一年の瞬間には祈りを込めようと、ずっとずっと前から考えていた。

 ただ、そのときをどこで迎えようかということは、ずいぶん悩んでいた。東京に居ながら、東北を強く想える場所はどこかないかと探してみたりした。

 しかし、いろいろと考えた末、私は自宅で静かにそのときを迎えることにした。

 一年前のそのとき、私は自宅にはいなかった。だから、家族や知人のことが想われるとともに、自宅のことも心配になった。どうなっただろうということである。

 幸いにして大きな被害はなかった。そしてこの一年を、無事に過ごすことができた。

 そんな、自分にとってあたりまえにある場所があたりまえにあることが何より大切でありがたいことなのだと、この一年間想い続けてきた。そしてそれを改めて想うために今日そのときを自宅で過ごし、一年前に起きてしまったことへの祈りを込めた。



 その、一年前の出来事、つまり地震がもしなかったら、なんていうことは軽々しく考えたり言えたりするものではない。

 だが、このブログに限って言うと、一年前もし地震がなかったら、その日に掲載していたはずの記事があった。

 一年前の今日、決して仕事が忙しくない時期ではなかったけれども、それ相応の時間には帰宅し、ある記事を載せようと思っていた。その記事に載せる文章はまだできあがっていなかったが、帰って続きを書き上げ、記事として完成させるつもりであった。だが、それどころではなくなってしまった。そしてその書きかけの文章も放ったままにされ、つい最近まで読み返すこともなかった。

 その続きを、約一年越しに書き上げ、できあがっていた部分も書き直し、今日載せることにした。

 あの日から止まってしまったこと、続いていること、続けられていること、さまざまある。

 そしてこのブログは、本当に幸いにして続けられている。

 それをこれからも続けてゆくために、一年前に止まってしまった記事をまた活かし、載せることにした。

 タイトルは「
特急雷鳥」である。








特急雷鳥   2011.3.11 → 2012.3.11


 私が国鉄の特急列車に憧れを強く抱くようになったのは、ヘッドマークが絵入りになったことが大きく影響していると思う。

 1978年(昭和53年)のこと、国鉄の昼行特急の40種類に絵入りのヘッドマークが採用された。クリーム色の車体に赤い帯の車両が色とりどりのマークを誇らしげに掲げるさまは、幼い私の心を強烈に惹きつけるものであったといえる。単に特急列車の名前が字だけで書いてあるよりも、絵の入っている方が、子供心をくすぐるものであっただろう。

 時は流れて三十余年、そのとき登場した絵入りマークが、今はどれだけ残っているだろうか。

 JR東日本管内だと、日本海側の「いなほ」や「北越」がまだ、当時と同じ絵入りマークを掲げているはずだ。ただその両列車は、485系3000番台というLED表示のヘッドマークを備えた車両が用いられるのが基本で、絵入りマークを掲げる485系のオリジナル車両が運用に入るのは時々のことのようだ。だから、いつでも絵入りマークが見られるというわけではない。

 JR西日本管内では、381系の「くろしお」が当時からの絵入りマークを用いている。しかし、この列車に用いられている車両は、私が幼いときに憧れた「クリーム色の車体に赤い帯」という出で立ちではなく、違う色になってしまっている。だから、当時そのままというわけではない。

 当時と車両の形式も、その車体の色も、絵入りマークも同じ、という列車といえば、ちょうど一年前の今日まで走っていた大阪-金沢間の「雷鳥」があった。

 最後は本数こそ少なくなったものの、この特急列車には必ずオリジナルの485系が用いられていた。塗装も当時のままであった。

 ただ、大阪方の先頭車にパノラマグリーン車という改造車が連結されていて、厳密に言うと純然たるオリジナルというわけではなかった。それでも、金沢方の先頭車を見ればいつでも、昔のままの顔に絵入りマークが誇らしげに掲げられていた。私が幼い頃に憧れを抱いた姿のままの顔が、そこにあったと言える。

 そんな特急「雷鳥」も、ちょうど一年前のダイヤ改正を前に運行を終えた。後継の「サンダーバード」に完全に置き換えられたからだ。

 思えば「サンダーバード」がデビューしたときから、その日が来ることはわかっていたと言える。いつかは485系「雷鳥」が、完全に淘汰されるということである。

 でも、その置き換えにこれほど時間がかかるとは思わなかった。最初に「サンダーバード」の681系が登場してから、十五年以上経っている。でも、そのおかげで、昔ながらの絵入りマークが長く見られたとも言える。

 とは言え、この「雷鳥」に、私はそれほど縁があったわけではない。東京に住む者としては、大阪-金沢間という運転区間ではあまり利用する機会がないというものである。

 だから、関西方面へ行ったときに、北陸へ向かう列車、北陸から来た列車として眺めるのがせいぜいであった。
f0113552_16592571.jpg

 それでも私は、昔と変わらぬその姿に、憧れを抱いていたと思う。私にとって昼行特急列車といえば、まさにそのスタイルだったからである。
f0113552_16594590.jpg



 その憧れの列車に乗る機会は、結局最後までなかった。そして、その列車が運行を終えたというニュースを目にする余裕もなかった。そういえば「雷鳥」はあの日でもう廃止になったんだなと改めて気付いたのは、ずいぶん経ってからだったと思う。この記事を書きかけていたことさえ忘れていたからである。

 あれから一年、この春からは絵入りマークの残っている「くろしお」にも287系という新型車両が導入され始める。やがて「くろしお」も、絵入りマークを掲げている381系が次第に淘汰されてゆくのだろう。JR東日本に残る485系のオリジナル車も、いつまで「いなほ」や「北越」として運転されるかはわからない。いよいよ最初に登場した絵入りマークも見納めということになるのだろう。また、寝台特急も含めて、特急列車の絵入りマーク自体が、今では稀有なものになってきた。

 そんな絵入りマークが、再び特急列車の先頭に盛んに掲げられるようになるのではないかと期待したこともあった。LED式の表示機器が発達し、フルカラー表示になったり精度が高くなったりしてきたからである。そのLEDがさらに発達すれば、きれいな絵入りマークさえ鮮明に表示できるようになるのではないかと思っていた。

 しかしもはや、特急列車の先頭にその愛称が掲げられるということが少なくなってきた。それぞれの列車に専用の車両が導入されるようになり、車体自体にその愛称のロゴが大きく描かれるようになったりしているからである。

 絵入りマークの表示機器というのは、ひとつの車両がさまざまな特急列車に運用される都合から存在したものなのかもしれない。そういうことは、いまやほとんどなくなってしまった。

 だから、車両の先頭に幕式の表示機器を付け、いくつもの列車のマークをしまい込んでおく必要もなくなった。

 特急列車の終着駅でヘッドマークの幕が回り、さまざまな列車の絵入りマークが表示される、いわゆる「幕回し」を見る機会さえ、今ではほとんどない。その「幕回し」も、いずれは昔語りのことになるのだろう。

 でも、そんな絵入りマークの思い出は、私にとってはずっとずっと大切なものになるに違いない。


485系電車特急「雷鳥」
1枚目 雷鳥37号 東海道本線京都駅にて 2009.11.21
2
枚目 雷鳥37号 東海道本線京都駅にて 2010.3.6
by railwaylife | 2012-03-11 22:53 | JR西日本 | Comments(0)

さらばキハ58系

f0113552_22365019.jpg

 今週土曜日のダイヤ改正を機に、JR西日本の高山本線からキハ58系が定期運用を離脱するという。これで、キハ58系の定期運用は全国から完全に消滅するそうだ。 

 だいぶ以前にこのブログに載せた「キハ58系の思い出」という記事に綴っているように、私にとってキハ58系は、子供の頃からディーゼルカーの代名詞みたいな存在であった。昔はどこの非電化区間に行っても、キハ58系の顔があったからである。そんなキハ58系に何度も乗るうちに、憧れの車両の一つになったことは確かである。私にとって非電化区間の線区に乗るということは、旅であった。その非電化区間で現れるキハ58系への憧れは、旅への憧れでもあったと言える。

 時を経て、そのキハ58系も老朽化などを理由に次第に数を減らしていき、だんだんと稀少なものとなっていった。

 それで私は、先の記事に「叶うことならいま一度、キハ58系の車内からローカル線の車窓をゆっくりと眺めてみたいものである」などと綴っていたが、結局その機会もないまま、今回の定期運用消滅を迎えることとなってしまった。

 では、私が最後にキハ58系に乗ったのはいつだったかとさかのぼってみると、なんと八年前の2003年8月18日のことであった。山陰本線の快速「とっとりライナー」での乗車であった。

 この日のキハ58系乗車は、ごく短い区間でのことではあった。しかし、私はこのときすでに、これがキハ58系に乗る最後の機会になるかもしれないとは思っていた。それで、短いながらもこの車両の雰囲気をしっかりと味わっていたものである。

 結局それが本当にキハ58系の乗り納めとなりそうだが、自分で「これが最後かも」と思って乗っていたことは良かったのかもしれない。そう思っていなければ、また未練がましく「惜別乗車をしたかったものである」とか言い出しそうだからである。

 ただ、もうこの車両に乗ることはできなくても、これから先もいつでも見られるようにはしてもらいたいものだと思う。それは単に、私にお気に入りのディーゼルカーであるから、ということからだけではない。キハ58系が日本の鉄道の歴史の中で果たした役割も大きかったと思うからである。

 キハ58系の登場により、電化・非電化の別を選ばず、全国各地の線区に急行列車網が張り巡らされたと言えるだろう。また、急行運用を外れた後も、各地の非電化路線でローカル列車として活躍してきた。文字通り地域の足となっていたわけである。そういう意味でキハ58系は、ここ五十年の日本の発展に少なからず寄与してきたと言える。

 そのことを考えれば、この車両は鉄道博物館の展示車両のラインナップに加えられてもおかしくないくらいの価値があると思う。もちろん屋外などではなく、屋内のヒストリーゾーンで保存することである。まさに日本の鉄道の歴史を語るのに欠かせない車両であろう。

 だから私は、その歴史的価値から、キハ58系を鉄道博物館に並べるべきだと思っている。

 そうなれば私も、いつでも思い出ののディーゼルカーに会うことができるようになるというものである。


キハ58系快速「とっとりライナー」 山陰本線倉吉駅にて 2003.8.18

by railwaylife | 2011-03-10 22:48 | JR西日本 | Comments(2)

おまじない

 昨今、企業における情報セキュリティというものがうるさくなり、会社内の情報に対する管理は、以前よりずっと厳しい。例えば、誰もが関わるような身近な例だと、社内のPCのログインパスワードを定期的に変更しなければならないというルールがあったりする。

 パスワードというものは、一旦変えてしまうと覚えづらいものである。ついつい以前のパスワードを入力してしまい、画面に表示される「パスワードが誤っています」というメッセージにイライラし、いちいち面倒だと思う。しかし、多少なりとも情報セキュリティの業務に関わったことのある私としては、パスワードの変更を面倒とは感じずに、セキュリティ上必要不可欠なものとして捉えなければならないとは思っている。

 とは言え、新しいパスワードを設定するのも、けっこう大変だ。文字は何文字以上にしなければならない、とか、英字は大文字小文字の両方を使わなければならない、とか、英数字のほかに記号を混ぜたりしなければならならない、といった決まりがあったりするからである。

 そうやって複雑にすればするほど、パスワードは覚えにくくなるものである。だから私は、職場のPCのログインパスワードに、せめて自分が記憶しやすいようにと、列車の名前に因んだパスワードを設定している。

 これまでのパスワードは、急行「能登」に因んだものであった。そのパスワードの有効期限がいよいよ切れるということで、先週あたりからログインの度に「あと○日です」というメッセージが表示されていた。

 こういうとき、うっかり金曜日にパスワードを変えたりしたら、大変なことになる。週末をはさんで月曜日に出社したときは、すっかり新しいパスワードを忘れていて、ログインできなくなってしまうからである。そこで私は、今週の火曜日になってからパスワードを変更した。それから水・木・金と毎日新しいパスワードを入力してきたから、さすがにもう、ネジの足りない私の頭にも記憶されただろう。

 ところで、社内の情報セキュリティ規程を見てみると、ログインパスワードの有効期限は120日となっている。ということは、私が急行「能登」に因んだパスワードを設定したのが、約四ヵ月前の四月初めくらいということになる。

 それから毎日のようにそのパスワードを入力し、三ヵ月が経過した先月、私はついに急行「能登」に乗ることができた。

 別にパスワードを設定した当初は、それほど強く「能登」に乗りたいと思っていたわけではなく、そのときの思い付きのままに設定しただけであったけれども、何度も何度も「能登」に因んだパスワードを繰り返すうちに、私は実際にその列車への乗車を叶えることができた。

 そのことを振り返った私は、新しいパスワードを、今自分が乗ってみたい列車の名前に因んだものに設定してみた。それは、いつかその列車に乗れますように、という私の「おまじない」である。

 さて、これから三ヵ月、私はまた毎日のようにログインパスワードを入力することができたとして、果たしてこの列車に乗ることができるであろうか。
f0113552_0224835.jpg



急行「きたぐに」 信越本線直江津駅にて 2010.7.11

by railwaylife | 2010-08-06 23:55 | JR西日本 | Comments(0)

食パン電車との再会

 北陸本線谷浜駅で、直江津駅の普通列車を待っていると、やって来たのはこの列車であった。
f0113552_234321.jpg

 419系の「食パン電車」である。谷浜駅へ来るときに乗った「デカメロン」と同じく、この車両に出会うこともまた、この旅での目的であった。

 この「食パン電車」も「デカメロン」も、北陸本線の普通列車に使用されていることはわかっていたから、私は谷浜駅の往復で二つの車両に乗れればいいなとは考えていた。しかし、これほどうまく両方に乗れるとは、正直思っていなかった。だから、谷浜駅に「食パン電車」が現れたときには、嬉しさの余り思わず「おっ!」と声を上げてしまった。

 私は興奮気味に「食パン電車」へ乗り込んだ。寝台電車の面影を色濃く残す車内へ入ると、気分はさらに高まった。早朝に急行「きたぐに」を眺め、寝台電車への想いを新たにしたばかりでもあったから、余計に気分が高揚したのかもしれない。

 行きの「デカメロン」よりは乗客が多かったが、幸い、海側のボックスシートがあいていたので、そこに座った。寝台車のときのままのシートに身を置けば、気分はすっかり583系の旅である。私はそこで確かに、日本海の眺めを車窓越しに楽しんだ。

 とは言え、その眺めはほんのわずかで、また長い湯殿トンネルに吸い込まれてしまう。それで車窓から離れた私の視線は、車内の天井に及んだ。天井が高い。そういえば、それがこの「食パン電車」の特徴だったなと思う。

 やがてトンネルを抜けてしまえば、終着の直江津駅はもう目の前である。583系気分の旅は、もう終わりである。でも、わずかながらもこうして寝台電車に乗った気になれたことは、嬉しいことであった。

 列車は直江津駅の6番線に到着した。終着だから、慌てて降りることはない。私は、独特の車内に名残を惜しみつつ、ゆっくりと下車した。

 さて、ホームに降りたらじっくり外観を眺めようと思っていたが、そんな私に残念なお知らせが待っていた。

 以前にも書いたように、この「食パン電車」は両端の先頭車が違う顔をしているのが通常である。片方は寝台電車の当時のままの「特急顔」で、もう片方が急造の「食パン顔」のはずである。谷浜駅で私が乗車するときに見た先頭の顔は「食パン顔」だったので、当然反対側は「特急顔」だと思っていた。ところが、列車の最後尾に回り込んでみると、そちら側も「食パン顔」であった。つまりこの編成は、どちらも「食パン顔」ということである。
f0113552_23435560.jpg

 これにはがっくりした。どちらかと言えば「特急顔」が好きな私にとっては、残念なことであった。そして、もしかしたら今の419系にはもう「特急顔」が残っていないのではないかと思ったが、そんなことはなかった。この後、直江津駅を後にするときに、側線に停まっている「特急顔」の419系を目にすることになったからである。

 それは後のことなので、このときはまだはっきりわからなかったが、それでも私は、とにかく「食パン電車」に会えただけでもよしとしようと思った。

 さて、この列車は折り返し上り列車となるようであったが、発車までにはだいぶ時間があったので、車内はまだからっぽであった。それをいいことに私は、車内の写真もちょっと撮っておいた。

 高い天井と、上中段の寝台を格納していた大きなカバーが特徴的である。
f0113552_23442471.jpg

 そして、この「食パン電車」の致命傷とでもいうべき、狭いドアも撮っておく。
f0113552_2344597.jpg

 これだけじっくり「食パン電車」を見られれば、私にとってはもう「宿願」を叶えられたと言って良い。それは、先に見た「デカメロン」についても同じ想いだ。どちらもわずかな乗車だったけれども、幼い頃から思い入れのあった車両を、この今の歳になって実際に見ることができただけでも、本当に良かったと思う。

 おそらくそう遠くない未来に「デカメロン」も「食パン電車」も姿を消すことになるだろう。きっと「国鉄型車両」の消滅ということで、引退間際となれば沿線もファンで賑わうに違いない。でも、私はもう、今回の乗車で思い残すことはない。だから、わざわざ「デカメロン」や「食パン電車」を見るために北陸へ足を運ぶことはないだろう。ただ、もし何か別のの目的があって、近いうちにまた北陸へ来ることができて、この二つの車両に遭う機会があったら幸いである。

f0113552_23452345.jpg

by railwaylife | 2010-07-31 23:47 | JR西日本 | Comments(0)

デカメロンとの再会

 急行「能登」で直江津駅に着いたときから、私は1番ホームに「デカメロン」がいることに気付いていた。しかもそれは、あずき色にクリーム色という配色の、昔懐かしい国鉄急行型塗装であった。
f0113552_233669.jpg

 今回の旅は、実はこの「デカメロン」に会うことも、目的の一つであった。その「デカメロン」に、東京から最も近い場所で出会えるのが直江津駅であり、それもあって「能登」を降り立ったわけであるが、着いて早々に「デカメロン」に会えるとは思っておらず、本当に嬉しかった。

 だから私は、急行「きたぐに」や寝台特急「トワイライトエクスプレス」などを眺めつつも、ずっとこの「デカメロン」のことが気になっていた。
f0113552_23365718.jpg

f0113552_23372425.jpg

 そして、急行「きたぐに」を眺める隙には「デカメロン」の詳細を見ておいた。
f0113552_2338080.jpg

f0113552_23382982.jpg

 久しぶりに実物を目にしたが、やはり「デカメロン」の目はでかい。特に、シールドビーム化された小さな目の顔ばかり見ていると、余計にそう感じる。参考までに、同じ直江津駅にいた、シールドビーム顔の115系をここに掲げておきたい。
f0113552_23385395.jpg

 こうして比較して見てみると、やはり「デカメロン」は、顔のデザインと目の大きさが、何ともアンバランスな感じがある。しかし、この「デカメロン」こそが、湘南型の顔のオリジナルであるということを、忘れてはいけない。

 さて、私は寝台特急「トワイライトエクスプレス」を見送った後、6時53分発の北陸本線上り一番列車に一駅だけ乗る予定にしていたが、どうやらこの「デカメロン」がその一番列車となるようであった。眠っていた「デカメロン」に灯が入って、大きな前照灯も淡くほんのりと光り始めたからである。
f0113552_23392929.jpg

 期せずして私は「デカメロン」に乗車できることになった。もっとも「デカメロン」は外観上のことであって、この車両も乗ってしまえばどうということはない。客室中央に急行型のボックスシートが並び、車端部にはロングシートが備えられているという、ごくふつうの近郊型電車の車内である。しかし、急行型電車の面影を色濃く残すその車内に入ると、独特の「匂い」が漂ってきた。その「匂い」は、とても文章では表すことの難しいものであるが、たぶんそれは、昔の国鉄の「急行電車」の「匂い」なんだろうなと私は思った。

 そんな車内は、日曜の早朝のことゆえ無人で、私が一番乗りであった。それでも発車までには、もう一人乗客が増えた。私はもちろんボックスシートに陣取って、わずかながらの車窓風景に備えた。

 6時53分、冴えない曇り空の下で「デカメロン」は直江津駅を発った。輻輳する線路群を抜けると、上越市内の市街地に出る。私は、線路際にあじさいを見つけたり、公園に保存されたD51蒸気機関車に目を奪われたりしながら、車窓を楽しみ始めた。しかし、そんな眺めは程なくトンネルによって覆い隠されてしまった。長い長い湯殿トンネルである。

 車窓が闇に包まれると緊張が解け、私はたちまちに眠気に襲われた。夜行列車明けで寝不足なのだから、仕方のないことである。

 だが、トンネルを抜けた途端に、私の眠気はぶっ飛んだ。右窓に日本海が見えてきたからである。もとより冴えない曇り空であったから、海の色は青ともグレーともつかない沈んだものになっていたが、日本海を見るのが久しぶりの私にとっては何色でもいいことであった。私はその海原に見入った。

 しかし、あっという間に最初の駅である。私はここで降りなくてはならない。海の車窓も「デカメロン」の旅も、もう少し楽しみたかったけれども、こうして「デカメロン」に乗ることができて、日本海まで見られたのだから、それだけでもずいぶんと嬉しいことであった。

 ホームで去り行く列車を見送り、私の短い「デカメロン」の旅は終わった。

f0113552_2339557.jpg

by railwaylife | 2010-07-30 23:40 | JR西日本 | Comments(0)

113系湘南色

 113系湘南色といえば、首都圏から撤退したのはもう四年も前のことになる。
f0113552_2343054.jpg

 東京口の東海道本線からその姿を消し、それ以来目にすることはなくなった。昨年には房総地区の113系スカ色一編成が「リバイバルカラー」として湘南色に変更されたようだが、わざわざ千葉まで見に行く気はしなかった。

 だが、昨年11月に京都を訪れた際、113系湘南色を久しぶりに目にした。嵯峨野線の普通列車として、京都駅に佇んでいる姿である。
f0113552_235480.jpg

 久しぶりに113系湘南色に出会い、私はひどく懐かしい想いがした。そして、首都圏ではとうに消滅してしまった「国鉄型」が、関西ではいまだに現役であることに、少し羨ましい感じもした。

 ところが、それから一ヵ月後に2010年3月のダイヤ改正の概要が発表されたとき、嵯峨野線の113系がそのダイヤ改正を機に引退することを知った。残念な気がしたが、11月に偶然目にしておくことができたから、良かったのかなと思った。

 それでも、そのダイヤ改正一週間前の3月6日に再び京都を訪れる機会ができたので、もう一度嵯峨野線の113系を見ることはできないかなと思っていた。折しも今回は、梅小路蒸気機関車館からの帰りに丹波口駅から京都駅まで嵯峨野線を利用することにしていたから、その際に見られれば良いと考えた。

 そこで113系の運用を調べてみると、ちょうど梅小路蒸気機関車館の閉館時間後に丹波口駅へ行けば、うまい具合に113系に乗れることがわかった。それで、一駅だけの113系乗車を楽しむことにした。

 当日、梅小路で蒸気機関車をたっぷり堪能してから、寒空の下、夕暮れの丹波口駅へと向かった。そして、17時16分発の京都行きに乗車した。この列車が113系であった。

 久しぶりの113系乗車であったが、特に車両に対する感慨はなく、私は車窓の確認に忙しかった。ついさっき見てきた梅小路蒸気機関車館をじっと見送って、その後は東海道本線と合流する様子に目を奪われた。そのうちに、京都駅に着いてしまった。

 引退前最後の週末だし、駅にはたくさんのファンが待ち構えているのだろうなと思っていたが、着いてみると拍子抜けするほどひっそりとしていた。わずかにカメラを持った二、三人が、思い思いに写真を撮っているだけであった。でも、その分私も、じっくりと113系を眺めることができた。もし首都圏だったら、こうはいかないんだろうなと思った。

 私が乗ってきた最後部の車両は湘南色だったが、よく見ると橙色と緑色の塗り分けのところにクリーム色の細い帯が入っている。これは純粋な湘南色とは言えないかもしれないなと思った。しかも、先頭車の前部にパンタグラフがある、いわゆる「前パン」で、私が見慣れてきた113系湘南色とはだいぶ印象が違った。それでも、懐かしい気はした。
f0113552_2353165.jpg

f0113552_2355227.jpg

f0113552_2361465.jpg

 編成の前の方に行くと、車体の色は違っていた。JR西日本色とでも言うのだろうか。こっちの色に、特に思い入れはない。
f0113552_2363518.jpg

 それでも、嵯峨野線のホームに113系がいるさまというものを、よくよく見ておいた。
f0113552_23762.jpg

 今回の「113系引退」は、あくまでも嵯峨野線だけでのことであって、関西の他の線区ではまだ113系が運用に就いているようである。その所為もあり、京都駅の見物客も少なかったのかもしれない。

 ただ、JR西日本には、今後地域ごとに車両の色を単一色に統一していくという計画があるそうだ。その資料を見れば、京都地区における塗り替え対象の車両の例として、113系湘南色が掲げられている。そうすると、今残っている113系もこれまで見たことのないような色に塗り替えられ、気が付いたら湘南色などというものは消滅しているかもしれない。

 113系湘南色は、身近な東海道本線で幼い頃から当たり前のように慣れ親しんでいた車両である。その姿が完全に見られなくなってしまうのは、やはり残念なことである。


113系電車
1枚目 東海道本線早川駅にて 2006.3.9
2枚目 山陰本線京都駅にて 2009.11.21
3・4・5・6・7枚目 山陰本線京都駅にて 2010.3.6



にほんブログ村 鉄道ブログへ
by railwaylife | 2010-03-14 23:10 | JR西日本 | Comments(6)

電気検測試験車クモヤ443

f0113552_22203725.jpg
f0113552_2221196.jpg
f0113552_22212076.jpg
f0113552_22214191.jpg

 九州鉄道記念館を訪れるために妻と二人で門司港駅へ着いたとき、珍しい車両を見かけた。事業用車のクモヤ443である。私たちが乗って来た電車が到着したホームとは別のホームに停まっているのを妻が目ざとく見つけたので、近くへ行って眺めることにした。

 2両編成の電車は、良く見れば485系のような特急型の顔をしている。だが、車体は小豆色の地にクリーム色の帯で、かつての475系のような急行型の色である。特急と急行のあいのこみたいな車両だ。

 車体に「電気検測試験車」と書いてあったから、架線の状態などを検査するのであろうか。ふつうの旅客車両よりも窓が少なく、車内の様子は謎に包まれた感じがしたが、その少ない窓から車内を覗き込んでいた妻が、私を手招きして呼んだ。近寄って車内を見てみると、人影はなかったが、モニターの付いた機器の前に何やら資料が広げてあり、その横には飴やガムが置いてあった。それを見ながら妻が「仕事してるって感じだよねぇ」と言った。車内で何かのデータを分析しているのだろうが、飴やガムがあるということは、きっと集中力を要するのだろう。それにしても、面白い車両を見ることができた。

 東京に帰って、撮った写真を見返しながら、クモヤ443についてウィキペディアで調べてみると、この車両は老朽化のため、後継の電気検測用車両が増備され次第廃車になると書かれていた。そんな余命いくばくもない車両であるとは思ってもみなかったので、私は驚いた。そして、今回門司港駅で出会えたのは、本当に貴重な機会だったのだと思った。

 そもそもこのクモヤ443はJR西日本の車両で、京都総合運転所の所属だということであるから、東京にいる私では、なかなか見ることはできないだろう。だから私がクモヤ443を目にするのは今回が最後になるのかもしれないが、廃車になるまであと少し、その役目を無事に果たしてほしいものだと思う。


電気検測試験車クモヤ443 鹿児島本線門司港駅にて 2010.2.12



にほんブログ村 鉄道ブログへ
by railwaylife | 2010-02-15 22:26 | JR西日本 | Comments(0)