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2018春一旦おしまい

 ちょうど一ヵ月前に載せた「2018春」という記事から、昨年2018年の春の風景をずっと掲載してきた。

 それは、この2019年の春が忙しくて季節を感じる余裕があまりないから、せめてこのブログの上だけでも春らしくしようという想いからであったが、少しはブログを春らしくできたかなと思っている。

 実は、2018年の春の風景はまだまだあるのだが、これ以上桜花の風景を載せるとまた現実の季節と乖離して野暮なことになってしまうので、ここで2018年の春の風景の掲載は一旦おしまいにしようと思う。

 残りの風景は、また次の春が無事に来たら載せたらいい。
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by railwaylife | 2019-04-30 09:35 | その他 | Comments(0)

2018春

 3月も下旬となり、私の住む東京では桜が咲いた。近所の花は、すでに五分咲き以上である。

 そんな時期にあっても私はなお日常にがんじがらめで、今年はゆっくり花が見られるかどうかわからなくなってきた。

 もし、東京の花がちゃんと見られなかったら、東北の方まで花を追いかけて見に行ってやる、と無慈悲な日常に対して強がってはみるが、はたしてそんなことができるのかどうかもわからない。

 だったら、せめてこのブログの上だけでも春の花で埋めてやる。日常の目を盗んで、春で埋め尽くしてやる。そう思い付いた。

 幸い、と言って良いのか、昨年2018年の春の風景がこのブログには載せられていない。

 それをこれから、続けて載せていきたい。
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by railwaylife | 2019-03-30 20:40 | その他 | Comments(0)

「ふじ」より上にものはなし

 いわゆるインバウンド効果の影響なのか、最近は列車名に「富士山」を付けたものが多い。JR中央本線から富士急行へ乗り入れる土休日の快速列車は「ホリデー快速富士山」という名である。いつからかこれが土休日だけではなく金曜日にも運転されるようになったが、名前に「ホリデー」が入れられないのでその名もずばり快速「富士山」となっている。

 また、これらの列車が乗り入れている富士急行には「フジサン特急」や「富士山ビュー特急」に「富士登山電車」などが走っている。さらに、その富士急行から富士山を挟んで反対側を走るJR御殿場線には小田急から乗り入れて来る特急「ふじさん」なる列車もある。

 そして、この春からは上記の「ホリデー快速富士山」や快速「富士山」が特急に昇格し、特急「富士回遊」になるという。富士山は唯一無二の存在なのに、ずいぶんと「富士山」と名の付く列車を乱立させているものだ。

 ところで、富士山の名を冠した列車の元祖と言えば「富士」である。日本初の特別急行列車の愛称として明治末期に登場し、十年前までは東京と大分を結ぶ寝台特急の列車名として使われていた。それは、私が最も強く憧れた列車でもある。

 この「富士」をはじめとして、東京と九州を結んでいた寝台特急はすでにすべての列車が廃止されたが、その列車名に用いられていた由緒ある愛称のいくつかは、新幹線の列車の愛称として続々と復活を遂げている。東北・北海道新幹線の「はやぶさ」、山陽・九州新幹線の「さくら」「みずほ」などがそれである。

 ただ、まだ「富士」の名は復活していない。漢字表記だから新幹線の列車名には使いにくいのだろうか。いずれにせよ、富士山に関する列車名が乱立している今、元祖「富士」の名は簡単には復活させてほしくないものである。

 そういえば以前、山梨県の富士吉田市を訪れたとき、面白い話を聞いたことがある。

 富士山の御膝元に位置し、北口冨士浅間神社が鎮座する富士吉田は古来富士山への信仰が篤い地域であるが、その富士吉田では昔から「富士」と書かずに「冨士」と書くことが多いそうだ。最初の「とみ」の字にウかんむりでなくワかんむりを使うということである。これは「とみ」の字のかんむりを富士山に見立て「ふじより上にものはなし」という、富士山への敬意を表しているのだそうだ。

 もっとも、昔は一般的にウかんむりでなくワかんむりを使うことの方が多かったようなのだが、富士吉田における富士山信仰の篤さを物語る話ではあると思う。

 そんな話を聞いた私としては、今後もし「富士」の名が列車名に復活することがあったとしたら、ぜひ「冨士」という表記にしてもらいたいと思っている。

 それはまさに「ふじより上にものはなし」という富士山への敬意を込めた愛称であってほしいからである。
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by railwaylife | 2019-01-26 19:35 | その他 | Comments(2)

ヨンサントウから五十年

 ヨンサントウ、というのは、今からちょうど五十年前の昭和43年(1968)10月1日に行われた国鉄の白紙ダイヤ改正の通称である。43年10月だからヨンサントウというわけである。

 その響きが何となく面白くて以前からこの通称は知ってはいたが、五十年が経ったのを機に改めて改正の内容を紐解いてみると、かなり画期的なものであったことがわかる。

 改正の特徴としてまず挙げられるのがいわゆる「無煙化」である。全国の国鉄路線にディーゼル機関車や気動車が多く投入され、それまで活躍していた蒸気機関車がかなり削減された。また、全国的に特急列車や急行列車が増発され都市間の輸送体系が整備された改正でもあった。現在も走っている特急「しなの」「ひだ」「にちりん」などが走り始めたのもこのときである。そして、485系、583系、キハ181系といった国鉄の特急車両を代表するような形式が登場している。

 このようなソフト面の刷新を可能にしたのが、ハード面の整備であった。幹線の軌道の強化・複線化・電化が進んだことで列車の最高速度が向上し、各列車の所要時間の短縮にもつながった。

 こうした改正が全国規模で連動し一斉に行われたのは、国鉄のダイヤ改正ならではだったと言える。今のJRグループのダイヤ改正は各社が足並みを揃えて同時に行うものの、改正内容は各地域内で完結していて、全国規模で影響し合うということはほとんどない。それだけ地域密着のダイヤ改正になったと言える。

 ダイヤ改正に限らず、今の時代は地域性が重視される。JR各社も独自の車両やサービスを次々と投入し、個性を発揮している。

 ただ一方で、どの地方のターミナル駅も似たりよったりの構造になり、その駅ビルに入るテナントも、どこへ行っても同じようなものばかりである。そういう意味での地域性は薄れたと言える。

 ヨンサントウの時代、全国を走る国鉄車両は画一的だったものの、それらの列車に乗って訪れる各地方の駅や街にはきっと、今よりも地域の個性が強くあったことだろう。

 そんな時代に、旅してみたかったものである。
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by railwaylife | 2018-10-01 00:10 | その他 | Comments(0)

江戸ヲ称シテ東京ト為ス

 慶応四年(1868)七月十七日(西暦では九月三日)、明治天皇より「江戸ヲ東京ト称ス」の詔書が発せられた。

 詔書というのは天皇が発する公文書で、広く国民に公示されるものだという。

 この詔書の中で江戸は「東国第一の大鎮四方輻輳の地」と位置付けられ、その江戸を東京と改め、明治天皇が東京で政務を執るという宣言がなされている。

 つまり、今日平成三十年(2018)九月三日で、東京が誕生してちょうど百五十年が経ったということになる。

 その東京が誕生した慶応四年(1868)七月といえば、江戸もまだまだ政情不安定な時期だったであろう。江戸城が開城されたのが四月、上野の彰義隊が鎮圧されたのが五月、そして東北では戊辰戦争がまだまだ続いていたときである。それでも「御一新」が次々と行われていたわけであるが、当時江戸に暮らしていた人々は東京という名をどう思っただろうか。使い慣れた江戸の名がいきなり東京に変わるとなったら、どんな気分だろう。現代では想像の付きにくいことだ。

 でも、このとき江戸が東京とならなかったら、いま何気なく使っている「東京」が「東京」じゃなかったかもしれない。

 東京駅も、東京駅じゃなかったかもしれない。
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 それを思うと「江戸ヲ東京ト称ス」の詔書は大事なものだ。

 さて、その東京誕生百五十周年のこの時代に生きる私が想うのは、百五十年後も東京が人の住める街であってほしい、ということである。

 ちょっと極端な話かもしれないが、最近の異様な気候や災害を考えればまんざら杞憂でもない気がする。

 それに、住めるといってもただ住居があればいいということではない。東京の文化や、歴史や風習が息づいた上に人々の暮らしが続いていてほしいということである。

 だから、誕生百五十年の東京に生きる身として、さらに百五十年後の東京のために、できることを探していきたい。

by railwaylife | 2018-09-03 00:00 | その他 | Comments(0)

私と広島

 私にとって、広島は縁浅からぬ地である。

 プロ野球に興味を持ち始めた小学校低学年の頃、好きになったチームは広島カープであった。すでにON時代は終わり、当時活躍していたのは山本浩二・衣笠祥雄を中心とする赤ヘル打線であった。そのカープの選手の活躍にすっかり夢中になってしまった。そして、見事日本一になるのを見届けることができた。

 その後、プロサッカーリーグJリーグが誕生したとき、どのチームを応援したら良いかよくわからなかったので、広島カープと同郷のよしみということで、サンフレッチェ広島を何となく応援し始めた。そのサンフレッチェは、二年目のシーズンに見事ステージ優勝を飾った。

 そんな両チームを、今も気にし続けている。Jリーグでは訳あって別のチームを熱心に応援するようになったけれど、サンフレッチェの動向は常に気にしている。そしてプロ野球ではカープをずっと応援し続けている。

 中学生のときから熱心に聴くようになったシンガーソングライター浜田省吾も、広島の出身である。彼の楽曲には広島が多く登場する。彼が故郷を歌った曲は重く心に響く。

 広島には路面電車が走っている。広島電鉄である。仕事の関係でその広島電鉄と縁のあった父は、原爆のときの出来事を題材に本を出版した。出版元は小さな会社だったので、原稿の校正は家族総出でやった。この本の背表紙の裏には当時の広電の路線図が載っているが、それを覚えたてのパソコンで作ったのは私である。校正や路線図の作成をやっていたのはちょうど二十世紀末の夏のことであったが、今でも忘れがたき「熱い夏」である。

 その広島は、九州との間を行き来するときに何度となく通った。寝台特急で、寝ている間に通り過ぎたこともある。

 一度だけ、広島の駅前に降り立ったことがあった。寝台特急「あさかぜ」を広島で下車したときのことである。そのときは尾道や福山を訪れることにしていてすぐに新幹線で引き返す予定だったのだが、ほんの数分だけ駅前に出た。冬のことでまだ夜が明けていなかったが、広電の路面電車が唸り声を上げてやって来るのを目にした。

 でも、これだけ縁のある広島の街を、ちゃんと訪れる機会はなかなかなかった。ようやくそのときが来たのは、昨年9月のことであった。

 初めて訪れた広島の街で、訪れてみたいところはたくさんあった。でも、まずどこよりも原爆ドームに行きたかった。

 初めて目にする原爆ドームは、思っていたより小さく感じられた。だが、その佇まいは思っていたよりずっと重いもので、なかなかそばを離れることができなかった。結局、原爆ドームの周りを一周するのに小一時間かかった。

 それであまり時間がなくなってしまい、平和記念資料館を見る余裕はなかった。次に広島へ行くときは、必ず平和記念資料館へ行こうと思っている。

 そんな「はじめての広島」を経験してから、今日が初めて迎える8月6日であった。それだけに、ちょっと特別なものがあった。

 毎年8月6日にはテレビで平和記念式典を見て、8時15分に黙祷をしてから出勤するようにしている。今朝もそうしたのだが、何しろここのところ慌ただしく、どうにか8時15分にテレビの前にいることができたという感じであった。せっかく特別な8月6日だったのに、残念なことであった。

 でも、そんな慌ただしい日常の中にあっても、あたりまえにある平和な暮らしのありがたさを、決して忘れてはならない。そのためにも、広島で起きた出来事を、ずっとずっと想っていきたい。

 きっと広島は、これからも私にとって特別な街であり続けるだろう。だから、また広島に行きたい。何度でも行きたい。
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by railwaylife | 2018-08-06 23:40 | その他 | Comments(0)

ブログ十二年

 今日2018年7月1日で、このブログを始めて丸十二年が経った。

 今の世の中は何しろ時間の経過が早いので、十二年という歳月を長いと言って良いのか短いと言って良いのか、よくわからない。でも、干支が一回りした、なんていう言い方をするとずいぶん長く感じられる。

 そんな長い時間が経過すると、世の中もだいぶ変わる。自己表現のツールも今はインスタグラムなどが主流で、このブログなどはもう古いスタイルなのかもしれないと思う。

 とは言え、私にはこのブログというツールが性に合っていると感じている。だからこれからもこのブログを続けていきたいとは思っている。

 ただ、最近は何かとせわしなく、思うように記事の掲載が進んでいない。それが残念でならない。

 でも、長い間にはいろいろな時期がある。頻繁に記事を更新できるときもあればそうでないときもあるだろう。だから今は今のペースで楽しめば良い。そう思っている。
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季節外れだけど十二年なので国鉄
12系客車 奥羽本線関根駅にて 1984.3.27
by railwaylife | 2018-07-01 19:10 | その他 | Comments(0)

五月の風景 おしまい

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 この五月は「五月の風景」と題して、今までため込んでいた過去の五月の風景を掲載してきた。

 本当はもっとたくさん載せたかったのだが、相変わらずの日常のせわしなさに阻まれて、思っていたほどの数は載せられなかった。でも、今の生活の中ではこのくらいが適量なのかなと思っている。今回載せられなかった「五月の風景」は、また五月が巡ってきたとしたら載せればいいだけである。そしてまた、今年の「五月の風景」も、この間にわずかではあるが得ることができた。それもまたストックしておいて、いつか載せられたらいい。

 さて、こうして一つのテーマに沿った話題を続けて載せていると、今度はテーマにこだわらない話題を自由に掲載したくなってくるものである。だから来月は、特にテーマを決めず、また思うまま記事を載せていけたらいいなと思っている。

by railwaylife | 2018-05-31 23:05 | その他 | Comments(0)

五月の風景

 風薫る五月になった。

 昨日、一昨日はすっきりしない天気だったものの、今日は五月らしいすっきりとした青空が広がり、心地良い風も吹いていた。
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 一年の中でも、五月は比較的過ごしやすい時期である。

 それだけに、ここ数年の五月にはあちこち出かけていた。だが、そのときのことは、まだこのブログに載せられていないものが多い。

 そこでこの五月は、過去の五月の風景を載せていってみようかなと思っている。

 ただそれも、時系列に並べようとか、前後の関係をきちんと考えて載せようなどと律儀にやっているとなかなか掲載が進まないから、順番など気にせず思い付くままに載せていこうかと考えている。

by railwaylife | 2018-05-04 23:35 | その他 | Comments(0)

地下化五年

 つい最近のこと、職場のオフィスがあるビルのエレベータの中でのことだったと思うが、知らない人が「渋谷の駅は地下になって不便になったよねぇ」と連れの人に話しているのをたまたま耳にした。

 今時こういう話をしている人は、たまにしか渋谷駅を利用していないんじゃないだろうか。毎日のように利用している人は、不便だということをもういちいち口にしないと思う。あるいは駅の構造にすっかり慣れ、不便を感じなくなっているかもしれない。何しろ、東急東横線の渋谷駅が地下になってもう丸五年が経つからである。



 地下化から五年が経った今、渋谷地下駅の周りは再開発の真っ盛りである。東横線の地上ホームの跡にも新しいビルが建設されている。渋谷の街は、新しく生まれ変わろうとしている。

 ただ、その渋谷の街は、駅の近くに商業ビルが集中するようになることで、かつてあったような街の回遊性が失われつつあるという。

 かつての渋谷は、駅を中心に人々が街中を回遊することにより新しい文化を発信する街になっていたと言われる。それが今や失われ、文化を発信する街ではなく消費する街になっているのだそうだ。どこの街にでもあるようなチェーン展開の店舗が街の賑わいの中心になっているからである。

 そんな今の渋谷に、回遊性を取り戻そうという動きもあるらしい。注目されているのは、原宿・表参道から代官山という、渋谷の北と南にある文化の発信拠点とのつながりである。この二つのスポットと渋谷をつなげれば、渋谷の街に南北方向の人の流れが形成されることになる。

 そもそも渋谷の街は北から南へ流れる渋谷川の谷を中心として形成されている。だから、原宿・表参道から代官山へという流れは、その谷の地形に沿ったものでもあると言える。

 ただ、そういう流れを形成するにはいくつか問題があると思う。

 まず、北側の原宿・表参道からの流れを見てみると、注目されているのが昨年新たに誕生した渋谷キャストである。新しい文化の発信拠点として建てられたこのビルは、表参道から渋谷川跡の遊歩道を辿ってきた先にある。

 この渋谷キャストまでは、原宿・表参道からの流れを引き寄せられそうだが、問題はその先である。

 渋谷キャストからは明治通りに沿って歩けば渋谷駅に出られる。だが、明治通り沿いはごちゃごちゃしているし、沿道にはごくふつうの商業ビルが建ち並ぶ。ここに回遊性をもたらす上で有効だったのが縦に長い宮下公園であったのだが、これは昨年取り壊された。跡地にもビルが建つようだ。

 ただ、宮下公園の代わりとなり得るものがある。それが、渋谷地下駅の13番出口から始まる地下道である。この地下道は広くて歩きやすい。

 しかしここは、広いだけで実につまらない地下道である。沿道に店舗が並んでいるわけではない。本当に、ただ歩くだけの地下道である。ここに何か人を惹き付けるものを並べないと、北からの流れは渋谷駅まで呼び込めないだろう。

 ちなみに、13番出口から来た地下道の駅改札近くには若干の広いスペースがある。防災用のスペースなのだろうが、年に何回かはそこでコンサートが開かれている。そういうイベントを、もっと積極的にやったらいいんじゃないかなと思う。

 さて、今度は駅の南側の代官山方面に目を転じてみると、こちら側にも新しい建物ができつつある。かつての東横線の線路跡に、今秋開業を目指して建設されている渋谷ストリームである。東横線の駅と地下で直結するようだ。

 この渋谷ストリームは、渋谷川に面している。ちょうど渋谷川の流れが地上に顔を出すあたりだ。そこで、渋谷ストリームの前からは渋谷川に沿った遊歩道が整備されるそうだ。まさにかつて東横線の線路があったスペースである。

 しかし、渋谷川の流れに沿って行くと、恵比寿の街に出てしまう。代官山へは行くことができない。それに、代官山へ向かうためには大きな障壁がある。JR山手線と山手貨物線の複々線の線路である。これをどう越えるかも、回遊性をもたらす上で大きな問題である。

 かつて東横線は、この複々線をトラス橋梁で跨いでいた。そのトラス橋梁は今やすっかり取り払われ、跡形もない。すぐ近くには線路を跨ぐ歩道橋があるのだが、上り下りしにくいし、いかにもかぼそい歩道橋である。渋谷から代官山への回遊性をもたらすには、何とも頼りない。

 代官山とのつながりを考えたら、東横線のトラス橋梁を残しておき、遊歩道の一部として整備すれば良かったんじゃないかなとも思う。でも、トラス橋梁には設備の老朽化などの問題もあったのかもしれない。撤去せざるを得なかったのだろう。

 だったら、もう一度トラス橋梁を作ってもいいんじゃないだろうか。そして渋谷ストリーム前からの遊歩道とつなぎ、JRの線路を越えた反対側では、すでに完成している代官山ログロードとつなげばいい。そうすれば、原宿・表参道から渋谷の街を経て代官山まで回遊するための道筋が完成する。

 こうやって考えてみると、これからの渋谷の街の発展は、実は東横線トラス橋梁の再生にかかっているのではないか、なんて勝手に思っている。
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by railwaylife | 2018-03-23 23:35 | その他 | Comments(0)