北陸までのディスタンス

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 この春、北陸新幹線開業を伝えるニュースの中で、こんなセリフが何度も聞かれた。

 「首都圏から北陸までは遠いイメージがあったのですが、これでグッと近くなりますね」

 近くなることがそんなにいいことだろうか、と思った。

 もちろん、ビジネスや帰省で頻繁に行き来している人たちにとっては切実な問題であるかもしれない。

 しかし、観光の目的地や旅先としての北陸が近くなることは、必ずしも魅力的だとは思えない。

 そこへ行くまで遠く感じるから、行きたいと思うようになることもある。

 旅とは、どこか遠く想う気持ちでもある。

 そしてその遠さは、物理的な距離の長さだけではない。

 そこまでどれだけ遠く感じられるかも重要だ。





 私は、東京と北陸の間を夜行列車で移動したことが何度かある。夜行列車が運転される距離としては短い方だったが、7、8時間はかかる。それだけに、夜行列車で一夜を過ごし北陸に着いたときなどは「遠くへ来たなあ」という気がしたものであった。

 ある夏のこと、上野駅から夜行列車で北陸を目指した。

 よく眠れぬままに明け方を迎えると、列車は海辺を走っていた。ようやく明けてきた車窓にちらっと見える青々しい海原は日本海だった。少し行くうち親不知子不知のあたりを走っていることがわかった。まさに北陸地方の入口である。明るいうちにその辺りを通るのは初めてであったので、ここが芭蕉も通った親不知子不知かと青い風景に目を見張った。

 その後しばらくまどろみ、目を覚ますと列車は山並に囲まれた田園地帯を走っていた。すでに日は上がり、車窓を明るく照らしている。夏の空はくっきりと青く、山の緑は黒いくらいに濃い。その手前に広がる稲の列がほんのりと黄色味を帯びながら整然と並んでいる。全体的にコントラストの強い風景はペタッとしていて夏らしい。いつの間にか乗客も減ってガラッとした車内は冷房がよく効いていた。その車内から窓外を眺めたとき、あぁ、遠くへ来たなぁとしみじみ思った。その瞬間がまさに、旅しているときの醍醐味だったとも言える。そして、これから旅する目的地への期待が膨らむときでもあった。

 いま、新幹線で北陸へ出かけたとして、こういう感覚がどれだけ味わえるだろうか。遠くへ来たとどれだけ思えるだろうか。

 私は、わずかながらも夜行列車で北陸へ行った思い出のあることを、いま改めて幸いに思う。

 ただ今後、北陸へもう行きたくないかというとそうではない。

 もし時間が許すなら、一つやってみたいことがある。

 それは、新幹線を使わず、在来線だけを利用し、車窓風景をじっくりと眺めながら北陸まで行ってみることである。

 そのために、まずは新宿から中央本線を松本まで下る。ここは特急「あずさ」や「スーパーあずさ」でも良い。松本からは篠ノ井線経由で長野へ出て直江津へ抜けるか、大糸線で糸魚川へ出るか迷うところであるが、いずれにせよ日本海側へと向かう。あとは三セク鉄道を利用し、ゆっくりと北陸へ行けばいい。

 いつかそんな経路をたどって、北陸の遠さをまた実感できたらいい。





 さて、早いもので北陸新幹線の開業からもう半年が経って、何日か前のテレビのニュースでもそのことが取り上げられていたが、その中で驚くようなことを伝えていた。

 この半年、新幹線を利用して北陸へ出かけた人は非常に多かったのだが、その人たちにアンケートをとったところ、また新幹線を利用して北陸へ出かけたいと答えた人は全体の15%に留まったという。そして、残りの85%が飛行機で北陸へ出かけたいと答えたそうだ。

 意外な結果だが、これには二つの原因があるという。

 一つは北陸新幹線の列車設定に問題があるそうだ。

 北陸新幹線には速達タイプの「かがやき」という列車があり、東京と金沢を約二時間半で結んでいるが、この列車はビジネス需要を見込んで朝夕しか運転されていない。その他の時間は停車駅の多い「はくたか」が運転されており、これだと東京と金沢の間が約三時間かかる。利用客にとって三時間は「長い」そうだ。

 もう一つは新幹線車内の通信環境の問題だという。

 北陸新幹線の列車内では、東海道新幹線と違ってWi-Fi通信の機能を使用することができない。おまけに全体の4割以上がトンネルであるため、車内の通信環境は非常に悪いという。

 そんなところから、新幹線をまた利用したいと考える人が少ないようだ。

 また、こうした新幹線の欠点を突こうと、羽田空港と小松空港を結ぶ航空便では機内でWi-Fi通信を無料で使えるようなサービスを提供しているという。

 そんなニュースを見て、とても驚いた。移動に対する概念が、まるで変わっているということだ。多くの人が、一つの乗り物に二時間半以上乗るのが難しい。またその移動の間はWi-Fi通信を使えなければ過ごせないということである。

 いま一度、在来線だけで車窓をじっくり眺めながら北陸へ行きたいなんて考えている私などは、何とも浮世離れした存在だと思った。

by railwaylife | 2015-09-20 22:35 | | Comments(2)
Commented by 大石俊六 at 2015-11-29 10:24 x
そうなんだよなあ!と思いました。
交通手段がスピードアップするたびに私たちは「遠さという資源」を失っているのかもなあと思いました。遠さというのは人間にとって消費財のようなもので、遠いところを近く、未開地をアクセス可能な領地にすることを考え続けないとたぶん生きる気が起きない。それでまた遠さを失っていく。だから、その逆をやると面白いことになると思います。
Commented by railwaylife at 2015-11-29 23:21
大石俊六さま、こんばんは。
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。

大変興味深いお話をいただきました。
遠いところを近くしようとする、そして自分たちのものにしていくというのは、人間の性とでも言うべきものなのでしょうか。そう考えると、消費財であるというお話も大いに納得できます。

でも、それによって失われていくものを、私は大事に想いたいものだと、コメントをいただき改めて感じました。
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