新宿の街の目と鼻の先にあるこの場所から富士山がよく見えると知ったのはつい最近のことであった。 それで矢も盾もたまらず昨日見に行ってみたが、残念ながらこの通り、西の空は薄い雲に覆われ富士の山容はまったく見えなかった。
仕方のないことではある。だいたい、立春を過ぎたくらいから空が濁って来ていて、最近は寒中のようにくっきりと富士山が見られる日は少なくなっている。だからこんな空だということもある程度は覚悟していたし、こうして京王線の電車が眺められるだけで楽しいものであった。
それに昨日は、新宿の街中でいくつもの富士山を見ることができた。いつも参加している街歩きの会でのことである。
今回の街歩きのテーマは「新宿近辺の富士塚を歩く」というものであった。
富士塚は、江戸時代に流行した富士講の象徴である。新宿には富士塚がいくつも残っているが、それはこの町が甲州街道の宿場町として栄え、講のなり手である町人が多く住んでいたからなのだろう。
そんな富士塚を、総勢二十余名の参加者の皆さんとともにめぐった。
成子の富士塚(成子天神社) 大正時代に作られた新しい富士塚であるが、高さがあり実際に登山することもできた。
西大久保富士(鬼王稲荷神社) 移設する際に三分割されてしまった。写真に写っているのは五合目から上の部分である。でも、そうまでしてでも富士塚が残されて良かったと思った。
東大久保富士(西向天神社) 西向天神社の名は本殿が西を向いていたからだと言われる。境内の西側はすぐ谷になっており開けているが、残念ながら今は高い建物が建ち並び眺望は塞がれている。だから、どんなに空が澄んでいたとしても、この場所から本物の富士山を眺めることはできない。
新宿富士(花園神社) 境内の隅にある芸能浅間神社という小さな社にある。花園神社には何度も参詣したことがあったが、ここに富士塚があることは知らなかった。
建て込んだ現代の新宿から富士山を拝むには、高い建物の展望台上るしかない。でも、こうして街中にもたくさんの富士山があった。富士山への想いがあった。
大切なのは、どれだけ富士山が見えるか、ではない。どれだけ富士山を想うか、ではないだろうか。
新宿の富士塚めぐりをして、そんなふうに感じた。
1枚目 京王7000系電車 京王線新宿駅~笹塚駅にて 2015.2.21