明大前という駅名

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 京王線明大前駅は、言うまでもなく明治大学和泉校舎の最寄り駅だからこの名がある。

 その明治大学がある場所は江戸時代、幕府の焔硝蔵があったという。火薬などの武器を収めていた蔵のことである。

 その焔硝蔵は明治維新の際に新政府軍に無傷で接収され、幕府が長年かかって貯蔵した火薬が、皮肉にも彰義隊をはじめ旧幕府軍に殉じた奥州諸藩の平定に大きな威力を示したといわれる。

 その後は陸軍の火薬庫となったが、実際にはあまり使用されることはなかったようで、大正六年(1917)には閉鎖されたそうだ。そして跡地が明治大学和泉校舎や築地本願寺和田堀廟所となり今日に至っている。

 ただ、京王線が開業したのはまだ火薬庫が存在した大正二年(1913)のことであった。それで、開業当初の駅名は「火薬庫前」であった。

 火薬庫前、という駅名は、今にしてみれば何とも衝撃的である。

 つい、駅名標を作ってみたくなるような駅名である。
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 さて、火薬庫が閉鎖された後のこの駅は「松原」と改称された。その後、明治大学の開校に伴い現駅名へ改称されたという経緯がある。

 今はすっかり学生の街で、火薬の欠片もない。

 でも、かつてあった火薬庫のことは、ずっと記憶に留めておきたい。


京王
7000系電車 京王線明大前駅にて 2014.10.24
by railwaylife | 2015-01-14 23:45 | 京王 | Comments(2)
Commented by HERO at 2015-01-15 23:45 x
こんばんは。
我が母校、私が通学していた頃は違う意味で「火薬庫」でした。
学生運動の残り火というのか、アジ演説、立て看板が所々に見られ、ある時本当に学生によって封鎖され全授業が休講となったことがありました。
たぶん関係はないと思いますが、国電を襲った同時多発ゲリラ事件と同時期でした。
当時我が母校は「バンカラ」なんて言われていましたが、今はその気配も無くなりました。
もう15年くらい行っていません。久しぶりに訪れてみたいと思います。
Commented by railwaylife at 2015-01-16 08:05
HEROさま、おはようございます。
コメントありがとうございます。

明大前付近の様子についての貴重なお話、ありがとうございます。
今とはだいぶ雰囲気が違ったようですね。

この京王沿線歩きの際に和泉校舎の前を何度も通りましたが、ずいぶんきれいな校舎が建っているのが見えました。
入口前の甲州街道を渡る歩道橋にエレベーターも付いていました。

HEROさまも、ぜひ明大前の地を訪れてみてください。京王線の高架化でまた雰囲気が変わってしまうと思います。
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