京王線明大前駅は、言うまでもなく明治大学和泉校舎の最寄り駅だからこの名がある。
その明治大学がある場所は江戸時代、幕府の焔硝蔵があったという。火薬などの武器を収めていた蔵のことである。
その焔硝蔵は明治維新の際に新政府軍に無傷で接収され、幕府が長年かかって貯蔵した火薬が、皮肉にも彰義隊をはじめ旧幕府軍に殉じた奥州諸藩の平定に大きな威力を示したといわれる。
その後は陸軍の火薬庫となったが、実際にはあまり使用されることはなかったようで、大正六年(1917)には閉鎖されたそうだ。そして跡地が明治大学和泉校舎や築地本願寺和田堀廟所となり今日に至っている。
ただ、京王線が開業したのはまだ火薬庫が存在した大正二年(1913)のことであった。それで、開業当初の駅名は「火薬庫前」であった。
火薬庫前、という駅名は、今にしてみれば何とも衝撃的である。
つい、駅名標を作ってみたくなるような駅名である。
さて、火薬庫が閉鎖された後のこの駅は「松原」と改称された。その後、明治大学の開校に伴い現駅名へ改称されたという経緯がある。
今はすっかり学生の街で、火薬の欠片もない。
でも、かつてあった火薬庫のことは、ずっと記憶に留めておきたい。
京王
7000系電車 京王線明大前駅にて 2014.10.24