古墳を貫く

 東急東横線多摩川駅付近の古墳と言えば、多摩川台公園内にある亀甲山古墳・多摩川台古墳群・宝来山古墳などが有名だが、その多摩川台公園脇を通る東横線の線路を挟んだ反対側にも古墳がある。浅間神社古墳である。

 5世紀末から6世紀にかけて作られた前方後円墳で、さまざまな形の埴輪が出土していることで知られる。そしてその名の通り、今は古墳上に多摩川浅間神社がある。社は小高い丘の上にあり、多摩川の川原からそれを見遣ると確かに墳丘だなという感じがする。社殿があるのは古墳の後円部なのだそうだ。

 そんな多摩川浅間神社のすぐ裏手が東横線・目黒線の線路である。ここは多摩川台公園から続く高台を線路が切り通しで抜け多摩川の川原へと躍り出るところだ。現在は東横線と目黒線の複々線になっているが、昔は東横線の複線しかなく切り通しがもっと狭かった。それで、浅間神社の境内と多摩川台公園をつなぐ朱塗りの橋が線路を跨いでいたのをおぼろげながら記憶している。

 この切り通しが拡幅され複々線化が成ったのは目黒線の開業した2000年(平成十二年)のことであるが、複々線化に向けた工事はその十年くらい前から始まっていた。

 その工事開始に際し行われた事前調査で、浅間神社古墳に関わる重大なことがわかった。

 それは、浅間神社古墳の前方部がちょうど線路の切り通しあたりにあった、ということである。

 もともとこの古墳の前方部は後円部の東側にあると考えられていたそうだ。ところが切り通し拡幅工事に伴う調査で、それが後円部の西側つまり線路のある切り通し側にあったことがわかったそうである。これは、切り通しが浅間神社古墳の前方部を大きく切り取って作られていたことを意味する。

 ということは、東横線や目黒線に乗って多摩川を渡ろうとするときは、知らず知らずのうちに古墳の中を貫いていることになる。古墳に埋葬されている人に対して大変に申し訳のないことだ。

 そもそもここに線路が敷かれたのは、東京横浜電鉄が丸子多摩川-神奈川間を開通させた1926年(大正十五年)のことのようだが、もしそのときこの場所が浅間神社古墳の前方部であることがわかっていて、古墳のような文化財を保護しようという考えがあったなら、東横線の線路は今と違ったルートになっただろう。

 例えば、多摩川駅から現在の多摩川線に沿って進み、バス乗り場のロータリーあたりを横切り、丸子橋に並ぶくらいの位置で多摩川を渡ったら良かったのではないか。

 そうすれば、浅間神社古墳に迷惑をかけずに済んだことだろう。
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東京メトロ
7000系電車 東急東横線多摩川駅~新丸子駅にて 2013.11.3

写真中央のこんもりとした杜が多摩川浅間神社である。木立の中に青銅色をした社殿の屋根が見ている。そのあたりが浅間神社古墳の後円部で、前方部は左手へと伸びていたとされる。
by railwaylife | 2013-12-05 22:50 | 東京メトロ | Comments(0)
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