立会川を往く
あたりまえに使っている地名というものは、あまりにも慣れ親しんでいてそれにどういう由来があるかなどと考えないものである。逆に、あまり聞き慣れない地名や珍しい漢字の充てられた地名などに出会うと、いったいどういう由来があるのだろうと熱心に調べたりするものである。
東京の目黒区と品川区を流れている立会川という川がある。この川の名を初めて知ったのは小学校中学年の社会科で地域のことを学んだときだったと思うが、それ以来その川の名の由来など調べてみたこともなかった。 それを先日、意外なところで知ることになった。 テレビで何となく、町々の居酒屋を紹介する番組を見ていた。その日は京浜急行立会川駅周辺の居酒屋を紹介するということで、まずは土地の案内から始まった。そこで立会川が出てきた。駅名にもなっているくらいだから、駅のすぐそばを流れている川である。 その駅近くの立会川に浜川橋という橋が架かっているが、この橋は少し南へ行ったところにある鈴ヶ森の刑場跡と大いに関係があるということであった。 江戸の刑場であった鈴ヶ森に罪人が護送されるとき、罪人の親族がこの立会川の橋まで来て護送に立ち会ったそうだ。そこから、川の名が「立会」川になったという話であった。 これには驚いた。そんなところからこの立会川の名が来ていたのか、ということである。そして、何とも悲しい話だと思った。 期せずして立会川の名の由来を知ることとなったが、複雑な気持ちになった。今までこの川の由来を知らなかった自分を恥じたのと、その由来があまりいいものではなかったんだなと感じたからである。 しかし、考えてみるとこの由来は川の中のある一点から来たものだ。決して長い川とは言えないものの、川という線の中のただ一点にまつわる話から線全体の名称が決まってよいものか、という気がしてきた。 この立会川の水源は、目黒区の碑文谷池や清水池である。その上流あたりに住む人たちが、この流れの河口近くに鈴ヶ森刑場のへの護送に立ち会う人がいるから立会川なんだと思ってそう呼んでいただろうか。 そんなことを考え、他の由来はないものかと調べてみた。地名とか川の名の語源なんていうものは、だいたい諸説あるのがふつうである。 それで見つけたのが、別の二つの説であった。 その一つは、戦国時代、北条氏と上杉氏がこの川を挟んで合戦をしたので「太刀合い」川となった、というものであった。 この説にはずいぶんと違和感があった。川の合戦といえばふつう、大きな川を挟んで両軍が対峙するさまが想起される。広い川原に陣幕が張られ、互いの様子を窺う。やがて、川の浅瀬を選んで互いが進軍する。そこで初めて「太刀合い」が起きる。 それなのに、立会川のような小さな川が合戦場になり得るのか、という疑問が出てきた。それこそ狭い川で両軍の兵が芋を洗うような状態で「太刀合い」をしたのだろうか。 そんなことを考えているうちに、おかしな場面を想像してしまった。それは、甲冑を着た武者がコンクリートの護岸を恐る恐る下り、水深の浅い川の水に浸かりながら「太刀合い」をするさまである。 時代錯誤の場面を思い描いてしまったが、この説も川という線のある一点で起きたことに拠っているし、何とも物騒である。 もう一つの説の方が、穏やかなものであった。 それは、昔この川の付近に野菜の市がたち、多くの人々が集まって立ち会ったので「立会」川となったという説である。 この説でも、名の由来となる市が立った場所はおそらく点に過ぎないのだろうが、他の二説と比べると何とも和やかである。人々が市に立ち会う賑やかなさまが思い浮かぶ。また、川の流れが市とのつながりだったとも言える。上流でも下流でも、川沿いに住む人は流れをたどって行けば市に行き当たり、そこで人々に立ち会って自分の栽培した野菜などを売ることもできただろう。 そんなことを考えると、由来としてはこれが一番いいかな、なんて勝手に思ってしまった。 さて、こうやって立会川という川ににわかに興味が湧いてきたのであるが、この川に関してはもう一つ気になることがあった。 先にも書いた通り、この立会川の水源は目黒区内の碑文谷池や清水池である。そして、最も奥にある水源が碑文谷池ということになると思うが、その碑文谷池の近くを私は毎日のように東急東横線に乗って通っている。そのとき、立会川をいつも横切っているということである。これは、今までほとんど意識していないことであった。 では、具体的に東横線はどの辺りで立会川を横切っているのだろうか。そのことが急に気になり出した。 この立会川は、京浜急行立会川駅のある河口近く以外の上流はすべて暗渠である。しかも、川跡であることがわかるような遊歩道になっている部分は限られており、碑文谷八幡宮より上流の痕跡はほとんどない。だから、東横線が通っている辺りも川の流路跡をたどることは難しくなっている。 それでも、東横線がどこで立会川を横切っているのかということをはっきりさせたかった。それは、日々の乗車でこの区間を通るとき、立会川を渡っていることを意識し、その河口までの流れを想いたかったからである。 そこで、立会川のことが私の中でクローズアップされるようになってから、何度かこの碑文谷池近くの線路沿いを歩き、立会川と東横線の交点を探してみた。すると、ここではないか、という場所が意外とすぐにわかった。 この区間の東横線は、高い高架橋を走っている。その高架橋の下には建物が並んでいるが、所々を道が横切っている。その中の一つの道が、何とも不自然であった。 不自然と言うのは、道幅が不自然ということである。私は暗渠探検の経験がそんなにあるわけではないが、昔から川の流れというものにはそれなりに興味があり、暗渠となった流路の跡をたどったことは何度もある。そのときに大事なのが、道幅や曲がり方が不自然な道を見つけるということであった。それが、流路跡の何よりの証となるからである。 東横線の高架下で見つけた道も、何とも幅が不自然に狭く、道の真ん中に棒が立っていて人しか通れないようになっていた。そして、位置的には碑文谷公園内の池から碑文谷八幡宮方面へ向けて川が流れていくのに自然であった。 しかも、その道が高架下を横切る部分には、橋の跡のような石造物が残っていた。 これは、ここに橋があったことの証ではないか。そんな気がしてきて、ワクワクしてきた。 だが、考えてみるとこの橋跡の向きはおかしい。かつての流路跡の道に平行する形で置かれている。ここに川を渡る橋があったとしたなら、川と平行ではなく、線路と平行になければならないはずである。それが不思議であったが、ここの流路が道となったときに動かされたのかもしれない。そんな気がしてきた。だから、ここがやっぱり流路跡なんだと思うことにした。 今は立派な高架上を線路が通っているが、川が流れていた頃は線路も地上を通っていたはずである。そして、東横線は小さな橋で立会川の流れを横切っていたのではないだろうか。そんな当時の写真があればいいなあ、なんて思ったけど、あるかどうかはわからない。そこで、立派な高架上を9000系電車が往くさまを見送りながら、当時の風景を頭の中に思い描いていた。 こうして東横線と立会川の交点ははっきりした。それで私は最近、この場所を電車で通るときはいつも、立会川の流れを意識している。鈴ヶ森刑場への護送に立ち会う人々のさま、狭い川で太刀合う上杉軍と北条軍のさま、そして川沿いに立つ野菜の市に立ち会う人々のさまを、想いながらである。 東急9000系電車(9005F) 東急東横線学芸大学駅~都立大学駅にて 2012.9.15 参考文献 しながわの史跡めぐり (品川区教育委員会 平成17年12月 増補改訂版)
by railwaylife
| 2012-10-25 22:30
| 東急9000系
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