碑文谷ガード

 東海道本線が品川駅を出て直進し、山手線や品鶴線と分岐すると、程なく目黒川を渡る。

 その目黒川の橋梁から20メートルほど行くと、さして道幅の広くない道路と交差する。目黒川を越えた東海道本線は低い築堤の上を往くので、道路は線路の下をくぐる形になっている。

 このように、線路が道路の上を跨いでいるところを、先の「古戸越を往く」という記事でも述べたように「架道橋」という。または、最近の表記によると「ガード」とも言われる。

 その「架道橋」もしくは「ガード」には、一つ一つに名前が付けられているわけだが、ここの名前はちょっと驚くようなものである。



 その名を「碑文谷架道橋(ガード)」という。
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 碑文谷といえば、目黒区の地名である。東急東横線学芸大学駅の近くで、有名なスポットとしては大きな池のある碑文谷公園などが挙げられる。私の家からもそう遠くない地域である。

 その地名が、なぜ品川駅近くのガードに付けられているのか。これには深い理由がある。

 実は、この「碑文谷架道橋(ガード)」をくぐっている道は、品川宿と碑文谷を結ぶ旧道であったそうだ。

 その旧道の名残が、この架道橋の名に残っていることになる。

 もっとも、碑文谷道というのは品川側から見た呼称であろう。これが碑文谷側から見れば、品川へ通じる道なのだから品川道と呼ばれていたのではないかと思う。

 とにかくその碑文谷道あるいは品川道の痕跡が、このような形で残っているのは貴重なことであると言える。



 では、この旧道はどんな道だったのだろうか。

 想像するにここの道は江戸時代、碑文谷村という江戸近郊の一地域と、東海道品川宿という繁華街を結ぶ重要な生活道路だったのではないかと思う。

 碑文谷村の人々は、荷車に自分たちが作った野菜などを載せ、品川宿へ売りに行ったことだろう。帰りは、品川宿の街で出るものを肥料として載せたはずである。あるいは、品川沖で獲れた魚介を積んだだろうか。

 また、碑文谷村の人々が何かの講に属していたら、この道を通って品川宿へ出て、旅立ったことだろう。見送りの人も、品川までは来たかもしれない。そんな、旅立ちの道でもあったのではないだろうか。

 その旧道をいま、東海道本線の列車が跨いで行き交っている。
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 小さな架道橋であるし、それを渡るはほんの一瞬のことである。でも、もし今後東海道本線の列車で西へ旅立つようなことがあったら、そのときはこの架道橋を渡る瞬間に想いを込めたい。かつて碑文谷村の人々がまさにこの場所を通って旅立ったように、私もまたこの場所をかすめ、東海道へ旅立ってゆくということである。


東海道本線
E231系電車 東海道本線品川駅~川崎駅にて 2012.6.30
by railwaylife | 2012-07-29 22:55 | 東海道本線 | Comments(4)
Commented by 大石俊六 at 2012-07-31 20:38 x
そんな架道橋があったんですか!これは面白いですね。碑文谷という村が、道の目的地として認識されていたのですね。架道橋の名前は時々意外なものがありますが、もしかしたら東海道線は歴史が古いから他にもあるかもしれませんね。
Commented by railwaylife at 2012-07-31 23:04
俊六さま、こんばんは。
コメントありがとうございます。

私もごく最近気にするようになったばかりなのですが、JRの架道橋には一つ一つに丁寧に名前が付けられていて、それが時に歴史の語り部となっていたりするので実に興味深いです。そして、碑文谷という自分にとって身近な地名が東海道本線に関わっているというのがとても嬉しかったです。

東海道本線の架道橋の名はたしかに面白そうですね。機会があればまた訪ねてみて、この架道橋シリーズを続けていきたいと思っております。
Commented by HERO at 2012-08-03 00:37 x
こんばんは。
東海道本線の建築物で「碑文谷」とは実に意外ですが、考えてみれば「碑文谷警察署」や「碑文谷公園」もあります。
余談ですが、僅か1年で都立大学から引っ越した直後に学芸大学に「ダイエー」が出店しました。碑文谷が、それだけ重要なスポットであったという証ではないでしょうか。
Commented by railwaylife at 2012-08-03 23:05
HEROさま、こんばんは。
コメントありがとうございます。

東海道本線と身近な地名に関わりがあることがわかり、とても嬉しく思っております。

碑文谷といえば、ダイエーもありますね。私も若い頃はよく行っていました。都内のダイエーの中でも旗艦店のような存在だったと思いますし、たしかに碑文谷は重要なスポットですね。
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