椿旅

 この前から、東横線の通勤の車窓に気になっているものがあった。

 紅い花である。

 生垣のようになった木々に咲いているそれは、サザンカのようでもありツバキのようでもあった。サザンカならもう終わりだしツバキなら咲き始めかなと思っていた。

 そんな気になる花があるのは、目黒区立五本木小学校の敷地隅であった。学芸大学駅と祐天寺駅の間の左窓である。ここは高架の区間であるから、花は見下ろすような形になる。だから、花のところへ行って見上げたら、花越しに電車の往く風景が見られるのではないかという気がした。

 それで今朝、そこへ行ってみることにした。

 場所的には、学芸大学駅から行った方が近いように思った。それで、最寄り駅から一駅だけ電車に乗って学芸大学駅で降りた。そこから花のところまで歩き、花を見たら祐天寺駅まで歩くつもりであった。

 そうやって通勤の途中のある区間だけ歩いてみるというのは久しぶりのような気がしてワクワクしてきた。そして、この区間は今まであまり歩いたことのないところであったから、余計に楽しみであった。

 駅を出て、東横線の高架沿いを祐天寺駅方面へ向かって歩き出した。時間には余裕があったが、花の風景がどうなっているか早く見てみたくて、気が急いていた。

 それで急ぎ足で歩いて行ったが、沿道の高架下に新しく駐輪場やら飲食店街ができあがっているのに目が引かれた。駅前の高架下にある東急ストアが最近リニューアルされたから、それに合わせてこの辺りも整備されたのだろう。普段歩かないところを歩くといろいろなことに気付く。特に、駅の近くに新たに駐輪場ができたというのは嬉しい発見であった。以前この駅の周辺で自転車を停めようとしたとき、えらく苦労した経験がある。また、その駐輪場の先にある飲食店街も面白そうな店がいろいろと入っていて、食べに来てみたいなと思うところもあった。

 そういう変化を眺めるうちに、道は高架沿いから若干離れ、行く手には駒沢通りとの交差点が見えてくる。線路は見えなくなるが、道はこっちで合っている。目指す花があるのは、駒沢通りを越えた向こうだ。

 交差点の信号がちょうど青になったのをいいことに、急いで渡るふりをして駒沢通りを駆け足で過ぎた。朝のことゆえごみごみとした交差点を抜け、さらに道なりに行く。たしかここは昔の鎌倉道ではなかったか。そんな記憶が一瞬頭をよぎったが、それを打ち消すように、何かを揚げているような匂いに気を取られた。

 何だろうと思って沿道の建物に目を遣ると、お豆腐屋さんがあった。今しも油揚げを揚げているようであった。すでに買いに来ている人もいる。駅から離れたこの辺りはすっかり住宅街であったが、そこに独特の香りが漂っていた。

 そんな匂いに気を取られているうち、目指す場所が早くも見えてきた。通りから右手へ入った狭い路地の先に、五本木小学校の生垣があった。

 咲いていたのはサザンカであった。そんな気はしていたのだが、一応確かめに来てみた。そして花はもう、枯れかけであった。それも予想通りであった。そしてそんな花越しに往く東横線の電車を捉えようとしてみたが、見事に逆光であった。それも実は予想されたことだったのだが、そうと知りながらもここへ来てみたかった。

 ただ、思っていたのと違うことがあった。それは、生垣と小学校の校庭が意外と近かったことである。生垣裏の金網一つを隔てた少し先で、今しも子供たちが元気に遊んでいた。路地から本当にすぐの距離である。始業前の自由時間なのであろうか。そんなところでごそごそとカメラを出すのはためらわれた。万が一「小学生盗撮!」なんて疑われたりしたら嫌だからである。

 それで、花も散りかけだし逆光だし、わざわざ撮るほどの風景でもないなと自分に言い聞かせ、そのまま平然と生垣沿いを歩いて行った。もしどうしてもここで撮りたいなら、休日の朝などに来ればいい。そう思ったし、すでに私の関心は、別のところへ向かっていた。

 生垣沿いの道をまっすぐに進み、東横線の高架をくぐり抜けた向こうに、白梅が咲いていたからである。その花の姿を目にした私は、思わず笑みを漏らしていた。きっと線路の反対側から見たら、逆光にならずに梅越しの電車が見られるだろうと思ったからである。

 しかし、その白梅越しに線路を望むという風景の見える場所へ実際に身を置いてみると、線路と花の間には電線などがあって意外とごちゃごちゃしていた。それにこの白梅は民家の庭先にあったものだったので、はたしてそれを撮ってよいものかどうかという気もした。

 ただ、この民家が面した駒沢通りの反対側から離れて撮れば巧い風景になるような気もした。

 それで駒沢通りを学芸大学駅方面へ少し戻り、横断歩道を渡った。さっきあんなに急いで渡った駒沢通りをまた渡って戻っている。それが何だかひどくおかしかった。

 コの字型に歩き、目的の風景がある場所へいよいよたどり着こうとしたところ、折しもその場所に一台の車が止まった。見れば沿道にちょうどオフィスがあり、車の中から出て来た人はそこへ入るようであった。ただ、路肩に車を止めているところを見ると、すぐに出たり入ったりするようであった。その邪魔になってはいけないと思い立ち止まって梅越しの風景を眺めるのはやめにした。

 そう思ったのは、このときまた早くも別のものに興味が移っていたからである。駒沢通り沿いの先にあった紅梅である。鮮やかな色が、通りに向かってその存在を主張していた。それに、目を奪われていた。

 そうやって、自分が目指してきたものとは別のものに釣られて次々と道がつながっていくのが実に面白かった。連鎖反応のように次々と興味を引かれるものが現れる。それに魅せられて私も進んでいくのが、おかしくもあった。

 紅梅があったのは神社の境内であった。決して大きな境内ではないが、電車からも見えるし、以前に訪れたこともあったからよく知っている社である。その名を、十日森稲荷神社という。

 この社を「荏原の旅」で訪れたのはいつだっただろうか。まだ学芸大学駅前のクリニックに通っていた頃で、その通院のついでに参詣した気がする。そのときは雨で薄暗かったような憶えもあるが、今朝は穏やかな朝日が境内に差し込んでいて、狭いながらにも凛とした空気があった。

 その雰囲気を心地よく感じながら、社殿に参るために歩を進めた。意図したものでないとはいえ、こうして朝の通勤途中に手を合わせるというのは実にいいことだと思った。ご利益があるとかそういう話ではなく、自分の気持ちの問題としてである。

 神前で手を合わせようとすると、賽銭箱の向こうに小さな酒瓶が供えられているのに気付いた。そしてその横にはビニール袋も置かれていた。よく見ればそれは、油揚げであった。

 さっき前を通りかかった豆腐屋で買って来たのであろうか。まるで私が後でここへ来て油揚げを目にすることがわかっていたかのように、豆腐屋の揚げ物の匂いは私の鼻をついてきた。ちゃんとこの道行きの伏線になっていたということである。

 そのお酒と油揚げを見ながら、お稲荷様は朝から油揚げを肴に一献やるのかなと思うと、急に羨ましくなってきた。

 さて、心を清めて一心に祈る。祈ったことをあんまり書いたりしたらいけないのかもしれないけど、このとき祈ったことはただひとつである。どうか穏やかな春が来ますように、という一事のみだ。それを、心の中で何度も唱えた。初めは静かに唱えていたのに、いつのまにか叫ぶようにして心の中で唱えていた。私にしては珍しいことだ。思い余ってという感じで私は、たしかに叫んでいた。その叫びは、お稲荷様にはどんなふうに届いただろうか。

 境内を出て、改めて紅梅を見上げてみた。色は鮮やかだったが、花が小粒でそれほど目立つわけではなかった。それで、わざわざカメラを出して撮るほどではないなという気もした。日の当たり方も微妙であった。

 そもそも梅の花を撮るのはけっこう難しいことである。花が小さいし、ちょっとでも陰るとすぐに暗い表情になってしまう。

 そんなこともあって写真を撮るのはやめたが、しばし花を見上げていると、ちょうど境内に面した歩道を掃除しているおじいさんと目が合ってしまった。ちょっと私の挙動が不審だったので、恥ずかしげにそのまま歩き出すことにした。

 さて、ここまで花に誘われるままに歩いて来たが、そろそろ目的地の祐天寺駅へ向かうことを考えなければならない。それで、駒沢通り沿いから次の角を左に曲がり、線路沿いに出ようとした。そこは、よく知った道であった。守屋図書館の真ん前の道である。

 さして近いわけでもないのに、学生の頃はこの図書館へよく来た。たいていは自転車で駒沢通り沿いをかっ飛ばして来た気がする。そして、興味ある歴史の本を何冊も借りて帰ったが、ほとんど読まなかったように思う。学生時代なんて無限に時間があったように思うが、いったい何をしていたのだろうか。それを考えると不思議だが、当時は当時なりにいろいろある中で頑張っていたのだと思う。ただ、結果的にはこの図書館と家の間で本を運んでいるだけになってしまって、あまり意味のないことであった。

 そんな若かりし日のことをふと思い出しながら図書館の駐輪場を見つめ、線路沿いの道に出た。ここから駅までの道は、やはりよく歩いたことがあるので知った道である。それが何だか面白くなく感じられて、線路の高架の反対側へ出てみた。そっちはまったく歩いたことのないところであった。

 住宅街を歩いて行く。時折、駅へ急ぐ人が通るだけだ。その静かな道沿いに、大きな屋敷があった。見れば、庭の各所に三つも白梅の木を配してある。何とも贅沢なことだ。

 その白梅を目にして改めて思ったのは、梅とは枝の形の妙を楽しむものだなということである。

 梅の枝は、桜のように横へ広がらない。縦へ伸びていく感じだ。そしてその枝にぱらぱらと花が付いている。桜の花のように固まってわあっと咲いたりはしない。だから木を見たときに枝がよく目立つ。特に白梅の場合はそうだ。でも、その枝の濃い茶色と、花の白色の対比がいい。だからこそ、枝ぶりは大事だ。そんな気がしてきた。

 それにしても、こんな梅屋敷がこんなところにあるとは知らなかった。気を付けていれば、東横線の車窓にも見えるのではないか。線路の高架はわりと近いところを走っている。今度電車に乗って祐天寺駅が近付いて来たら注意しておこうと思った。

 梅屋敷を背にして線路の高架の方へ歩いて行くと、やけに細い路地と交わった。この路地の続きは、祐天寺駅到着直前の東横線の車窓にも見える。その幅の狭さから、これは暗渠ではないかと前から思っている。かつての品川上水ではないかと考えていたのだが、その流路跡の地図を目にする機会があったときに確認したら、どうも違うようであった。品川上水はもっと学芸大学駅寄りで東横線と交差していた。だったらこの祐天寺駅近くの流路は何なんだと余計に気になるようになっているのだが、その探索はまだできていない。ただ、こうしていつも車窓に見ている流路跡の続きを少し見ることができた。それで、いつか探索してみたいと改めて思うことになった。

 白梅や暗渠に気を取られているうち、いつのまにか祐天寺駅の前に出た。もう着いちゃったという感じがして時計を見ると、あと10分くらい時間に余裕がありそうであった。それでそのまま駅に入らず、さらに中目黒駅寄りへと少し歩くことにした。そっちにも、気になっているところがあったからである。

 上目黒小学校脇の道を抜けていくと、木々の多い一角に出る。植木溜めである。

 ここの植木溜めは、祐天寺駅を発った東横線上り電車の車窓によく見える。緑が多くて目を引くし、季節によっては多少の変化もある。特にこの春先は梅やサザンカが咲いているのが見える。そんな花越しに電車の見える風景が巧いことないものだろうかと思ってわざわざ寄り道をしてみたのだが、なかなかそういう風景はなかった。

 でも、植木溜めの向こう側へ出ると、小さな公園にちょっといい風景を見つけることができた。

 五本木児童遊園に咲く椿である。
f0113552_22575611.jpg

 学芸大学駅からここまで、いろいろなものに目を奪われ歩いて来たが、最後に行き着いたのは椿であった。それでこの道行きを「椿旅」と名付けることにした。学芸大学駅を降りてからたったの25分ではあったが、その間の道行きはたしかに旅に他ならない。そんな気がした。

 公園から駅へと引き返した。線路により近いところに道があったのでそこをたどって行くと、植木溜めを見ながら駅へ向かう形となった。木々に囲まれたその道の特異な眺めは、もしかしたら荏原の原風景なのかもしれないな、という気がした。

 そんなことを最後に感じつつ駅へ入り、いつもの通勤の途へと戻った。朝の短い旅は、終わった。

by railwaylife | 2012-03-15 23:00 | | Comments(0)
<< いつか、つながる日を 富士見HiSE >>