宣言

宣言_f0113552_1117292.jpg

 ブログとは何ぞや、ということを、私は以前からずっと悩んでいる。こうして自分で五年以上もブログを続けてきても、その答えは出てきていない。いや、続ければ続けるほどに、よくわからなくなってきているのかもしれない。

 一般的によく言われていることとして、ブログはWeb(ウェブ)とLog(ログ)という言葉が組み合わさって生まれた造語だということがある。だが、ウェブはまだしも、ログというのはけっこう曖昧な言葉であると思う。記録、などと訳してしまえば余計に曖昧になる。

 でも、このブログという造語のもとになったログは、日誌あるいは日記という意味であるらしい。ただ、だからと言ってブログが日記そのものであるかというとそうでもなくて、ブログは「日記風サイトである」と言われたりもする。この「風」というのもまた曖昧な表現だ。



 そもそも日記というのも何ぞや、と最近は考えたりもしている。辞書を引いてみれば「日々の出来事や感想などを毎日記したもの」なんていうふうに書いてあったりするが、その「日々の」というのは「その日の」でなければならないのだろうかという疑問がある。

 実は、この「その日の出来事や感想などを記す」というのが、日記の一番の難しさであると言える。そんなに毎日毎日、暇ではないからである。時間のない日もある。だから、必ずしも「その日の出来事や感想など」をその日のうちに記すことはできないと言える。

 まあ、翌日とか、その週の週末くらいだったらまだしも、と思うが、それとて最近はなかなか難しくて、書くことがたまってしまったりする。

 そうやって、書くことがたまってしまうと、書く機を逸してしまい、ほったらかしになったりする。それはもったいないなと、私は思う。せっかく書こうと思ったことは、ちゃんと書いておきたいからである。

 そう考えて時々、だいぶ以前のことを思い立って書き綴ったりもしている。でもそういうものは、なかなかこのブログの記事にしようという気になれないでいる。去年の年末に「師走の課題」だと言って頑張って綴っていた2010年秋の旅日記も、あらかた書き上げたものがお蔵入りしたままである。

 それは「日記風サイト」たるブログに載せるには、あまりに話題が古すぎないかと思うからである。そこに、日記という言葉への呪縛があるようにも感じる。

 ただ、だいぶ以前の話題を掲載することに躊躇する理由は、日記としてどうかということだけではない。もう一つ考えてしまうのは、情報そのものの新鮮さということである。



 ブログは文字通りウェブ上に存在するわけだが、そのウェブ上では常に情報の新しさが競われているように感じる。それが、全世界に即時性を持つウェブの役割であると言えるからだ。

 そんなところからも、古い話題を載せることには「今さら何を言っているんだ」という感じが持たれるんじゃないかと不安を感じてきた。世に言う「鮮度落ち」というやつである。

 加えて私の場合、季節の話題を扱うことも多いから、季節感というものもある。ずいぶん前に過ぎ去ってしまった季節の話題を扱うのもどうかなという気がする。

 そういうわけで私は、できるだけ最近の話題を扱うように努めてきた。だが、その理由をこういうふうに書いてくると、自分のブログをいろいろな意味で勝手に規定して、自分自身を狭くしているような気がしてきた。もっと自由にやればいいじゃないか、ということである。自分のブログである。



 それで私はもう、日記であるとかないとか、話題が古いとか新しいとか、季節感があるとかないとか、そんな枠を全部取っ払うことにした。好きなときに、好きなときの話題を、自由に書き綴り、ここに載せるということである。

 だから、冒頭に掲げた写真のように、この秋の深まる時期に突如として桜の花の話題を扱った記事が載るかもしれないということである。それは私が、たまたまこの時期に桜が咲いていたときのことを書きたいと思って書き、それを自分のブログに載せたいと思ったから載せるだけのことである。

 もちろん、季節に合った話題や、タイムリーな出来事に関する想いも、今まで通り綴っていき、できるだけ早く載せていくつもりではある。でも、そのときそのときの想いを全部すくい取って即座に載せることは残念ながらできない。

 そこで、こぼれ落ちてしまったものをもう一度すくい取ってじっくりと綴り、ここへ載せていこうということである。こぼれ落ちてしまったものも、私にとっては大切な想いだからである。

 そして、そうやってだいぶ以前のものを扱うときに、いちいち言い訳をするのもやめようと思う。実は以前にも何度か昔の話題を載せたことがあったが、そのときにはえらい長い言い訳を付けていた。それは面倒だし、その話題自体に傷が付いてしまうようにも思う。それではもったいないので、いちいち「だいぶ以前のことであるが」とか「季節外れの話題ではあるが」なんて付けるのはやめることにした。

 ただ、いつ、どこで、ということは明確にしておきたいと思う。季節の移ろいということもあるし、私が話題として扱う鉄道にも、いろいろと変化はある。ずいぶん昔のことや違う季節のことを、さも最近のことであるかのように誤解を与えてしまうのは良くないからである。



 さて、そんなわけで私は、今まで以上に自由に、遠慮なく、自分の想いをここへ載せていきたいと思う。別にブログだから日記じゃなきゃいけないということもない。いや、日記であってもいいけれど、必ずしも昨日今日のことを書かなきゃいけないということでもない。とにかく、自分で勝手に規定して自分を狭めていた枠を取り払って、もっと自由に表現するのだということを、ここに宣言したい。

 というわけで、手始めに次の記事は半年近く前にこぼれ落ちてしまったことを載せたいと思っている。

by railwaylife | 2011-10-16 12:00 | 生活 | Comments(2)
Commented by たすく at 2011-10-17 08:19 x
お世話になります。私は毎日楽しく拝見しておりますが、毎日更新されていることが素晴らしいと思います。鉄道への「想い」がよく伝わってます。
以前のものを取り上げるのを気にされているようですが、読ませてまっらている立場からすれば、いつ、どんなことでも新鮮です。
‘自由に、遠慮なく、自分の想い‘ 楽しみにしています。

偉そうに失礼いたしました。
Commented by railwaylife at 2011-10-17 23:19
たすくさま、こんばんは。

コメントありがとうございます。大変嬉しく思いました。

最近、いろいろな意味で記事を更新することが負担になってしまっていました。
でも、コメントを拝見し、肩の荷が下りた想いです。

自分のペースで、そして楽しみながら、記事を更新していきたいです。
それを、読んでくださる方も楽しんでいただければと思います。

貴重なご意見、ありがたく、ありがたくいただきました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
<< 久々の山手早朝貨物 鉄道記念日 >>