東北の旅2011夏 その1

 2011年7月17日、私たち夫婦はJR東日本パスを手に東北への旅に出た。

 JR東日本全線が1万円で一日乗り放題というこのJR東日本パスの発売を知ったとき、私は東北地方の中で今一番行きたいところはどこかと妻に聞いた。すると妻は「山形で冷しラーメンをツルッといきたいね」と言ったので、私たちは山形へ旅立つことにした。

 冷しラーメンというのは、山形の名物としてテレビのバラエティで紹介されていたものだが、暑い夏に食べるにはちょうどよさそうな食べ物であった。



 さて、東京から山形へ向かうとなれば、山形新幹線の「つばさ」である。そこで私たちは当日の朝、その「つばさ」の発車する東京駅23番線ホームへ向かった。新幹線の改札を入り、ホームへ上るエスカレータに乗ると、胸が急に高鳴るのを感じた。私にとっては、実に久々の東北への旅であった。その旅がいよいよ始まると思うと、自然と想いが込み上げた来た。

 ホームに着き、まずは東北へと連れて行ってくれるE3系「つばさ」を眺める。
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 この列車は、今回の私たちにとってまさに「旅の翼」であった。
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 その翼で羽ばたく旅路を想った。
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 JR東日本パスと合わせて取った指定券に指定された座席に就き、いよいよ東京駅を旅立った。車窓には、ただ青色を貼り付けただけの、都会の虚無的な空が広がる。こんな空より『智恵子抄』にあるような「本当の空」がこの旅では見てみたいと、動き出した車窓に私は祈りを込めていた。

 東北へ向かうのは久しぶりであったが、大宮辺りまでは最近もなんだかんだと来ていたので、あまり新鮮な感じはしなかった。それでも、大宮駅を発って上越新幹線の高架橋を分かつと、いよいよ東北へ旅立つなあという実感が強くなってきた。

 ここまで来れば、車窓には緑の絨毯となった田圃が広がる。その緑を見ながら妻が「こんな風景がありがたいよね」と言った。

 その田園風景が続く中に、高圧鉄塔の列が何度も現れる。最近私は、この車窓の高圧鉄塔を妙に気にするようになった。もちろん、車窓にはない方がいいに決まっている。でもこれは、生活には欠かせないものなのだということを今更ながらに実感していることである。それは、電気というものに敏感になった所為だろう。

 往くうちに、青空が霞んではっきりしなくなってきてしまった。でも、空がだんだん遠くなっていくような気がした。

 そうやって空に見とれていると、あっという間に宇都宮駅に到着する。速過ぎてちょっともったいない感じもした。関東はすでにだいぶ奥まっている。

 そして、次の那須塩原駅を通過し、二つばかり短いトンネルを抜け、長い那須トンネルを出れば福島県である。いよいよ東北だ。

 若き日々には強い思い入れを持って、一年に何度も東北地方を旅していたものだが、ここ数年はいろいろな理由があって来られなかった。それで、東北地方を訪れるのは実に七年ぶりのことであった。もちろん震災後初めての東北でもある。それだけに、この福島県へ入ったときには相当の感慨があった。そして、この七年という歳月、東北に来られなかった、いや来なかった自分を、私は悔いた。

 でも、今再びこうして東北を旅することができている。それが何よりありがたいことであった。また、今回のように日帰りで気軽に東北を旅することができるのも早期の東北新幹線の復旧があればこそであった。そのことは、本当に感謝しなければならないと思った。

 さて、車窓に果樹園が出てきて福島県に入ったなというのを実感したところで席を立ちお手洗いに向かったが、デッキへ行くと製造年を記した銘板が目に付いた。そこには、この車両が2009年製造であることが明記されていた。車内がやけにきれいだなという印象があったが、まだ新しい車両であった。

 席に戻ると、間もなく郡山駅に到着するところであった。11時30分着のこの駅に停車したら昼食の駅弁を食べようと二人で決めていたが、お互いに空腹であったので、それを待たずに駅弁を開くことにした。東京駅のグランスタで買い込んで来た駅弁である。
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 妻は今回の旅先に合わせて、ちゃんと米沢牛の駅弁を選んでいたが、私は今回の旅程から見れば明後日の方向にある高崎駅の「鶏めし弁当」を買っていた。

 何とも芸のないことであるが、何度かこの「鶏めし弁当」を食べその味を妙に気に入っていた私は、グランスタでパッケージを見た途端に「食べたい」という衝動を抑えきれなくなっていたものである。

 それで今回の行先とは縁のない駅弁になってしまったわけだが、妻の食べていた米沢牛のおすそ分けをいただき、米沢気分も少しだけ味わっておいた。

 福島駅に到着し、後方の「Maxやまびこ」の切り離しを終え、いよいよ発車が迫ったところで弁当殻をデッキへ捨てに行くと、開いたドアの向こうからモワッとした暑さが迫ってきた。福島も暑そうであった。

 福島駅を後にした「つばさ」は、地上に下りて奥羽本線に入って行く。ここから車窓は在来線のものとなる。奥羽本線に乗るのも七年ぶりのことである。

 列車は板谷峠に向かってすぐに山間へ入る。車窓の緑が濃くなり、風景のコントラストが強まっていく。
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 やがて、松川の細い谷と絡み合いながら峠へと挑む。木々の間に間に見える谷の風景が、妻はとても気に入ったようであった。

 列車はいくつかのスノーセットを抜けてゆく。その中に、かつてはスイッチバック上にあった駅が、今はすっぽりと収まっている。

 私が初めてこの板谷峠を越えたときはまだ茶色い客車列車で、それがスイッチバックを行ったり来たりしながら峠を上って下っていた。もう三十年近く前のことである。それを想うと、今回こうして2009年製造のE3系に揺られて板谷峠を過ぎていることには、本当に隔世の感があった。

 そう感じたとき、私は「おれも歳をとったなあ」という気がしてきて、急に寂しくなってしまったものである。

 そんな感慨に一人で浸っていると、妻が「これなに?」とスノーセットのことを聞いてきたので、私はスイッチバックのことを説明した。たしかスノーセットは、スイッチバックへ分岐するポイントなどの設備が雪に埋もれることを防ぐために設けられたものだったはずである。

 そんな話をするうち、あやうく「昔はここを茶色い客車が通っていたもんだ」なんていう年寄りじみたことを言い出しそうになってしまったが、そこはぐっとこらえて若ぶってみた。

 やがて峠を越え、羽黒川水系の流れとともに下って行く。相変わらず谷の風景に夢中になる妻は、板谷峠の眺めがすっかりお気に召したようである。この峠に思い入れのある私としても、嬉しいことであった。

 平地に入って、車窓に建物が増えてくると米沢である。

 今回の旅の最終目的地は山形駅であるが、ここでまず途中下車をすることにしている。それで、降りる支度をしてデッキに出た。

 米沢駅に降り立つ。
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 ホームでは米沢牛が笑顔で迎えてくれたが、覚悟をしていた通り、東京と同じように暑かった。東北地方の中でも山形は暑いところである。


by railwaylife | 2011-08-21 22:04 | | Comments(0)
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