用賀-二子玉川園間の思い出

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 先日、二子玉川に用事があった。用事を済ませると、すぐそばに東急田園都市線が走っていたので、少しだけ眺めてみた。東横線沿線に住む私には、田園都市線は近いようで遠い存在で、あまり乗ったり見たりする機会がない。それで、私にとって最も身近な東横線と同じ東急であるけれども、田園都市線はどこか新鮮な感じがする。

 さて、私が田園都市線を眺めていたのは、用賀駅と二子玉川駅の間である。二子玉川駅の高架から下りて来た線路が、ちょうど地下へと突っ込むところだ。

 地下にもぐる二子玉川駅から渋谷駅までの区間は、かつて新玉川線と呼ばれていた。その地下区間では昔、車内に冷房をかけることができなかった。これは何も新玉川線に限ったことではなく、営団地下鉄や都営地下鉄の路線も、みなそうであった。それで、夏の地下鉄は蒸し風呂のようだった記憶がある。また、地下鉄の駅も同様に暑くて、電車が入って来るときに巻き起こる風が、妙にひんやりと感じられた覚えがある。

 そんなわけで、当時の地下鉄車両には、もとから冷房機器などなかった。だが、地下区間の半蔵門線、新玉川線と、地上区間の田園都市線を連続して走るこの路線の車両には、ちゃんと冷房機器が付いていた。東急の8500系である。営団の8000系は当時まだ、冷房準備車だっただろうか。

 ただ、その東急8500系の冷房機器の威力が発揮されるのはもちろん、地上区間の田園都市線内だけであった。地下区間の半蔵門線内や新玉川線内では、冷房が切られていた。

 車内の冷房が切られている地下区間では、乗客は当然窓を開ける。中央林間方面行きの電車の場合、そうやって窓が開いた状態のまま、この用賀と二子玉川の間で地上に出てくる。いや、当時の駅名で言えば用賀と二子玉川園の間だ。とにかく、ここで地下から抜け出て来ると、車内の冷房機器のスイッチが入れられたはずである。

 よく覚えているのは、この区間を往く電車に乗っていて地上に出た途端、車内放送が入り「ただいま冷房を入れましたので、お手近の開いている窓をお閉めください」というような車掌のアナウンスがあったことである。そのとき、小学生だった私は、得意げになって開いている窓を閉めていたように思う。

 閉め切って冷房が入ったばかりの車内は蒸し暑かったが、そのうちに8500系の冷房はギンギンに冷えた覚えもある。今のように「クールビズ」などという概念のない頃の話である。冷房をガンガンにかけた8500系が轟音を立て突っ走る。それが昔の夏の田園都市線のイメージでもある。

 だが、今はもう地下区間で電車の冷房が入らないなんていうこともなく、この区間で起きた、田園都市線の冷房に関する記憶も、遠い昔の思い出話になってしまった。

 それにしても、当時はここに東武の電車が走るなど、思いも寄らないことであった。そしてもちろん、東武の電車がオレンジ色を纏うなどということも、思いも寄らないことであった。
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1枚目 東京メトロ8000系 東急田園都市線用賀駅~二子玉川駅にて 2011.1.3
2枚目 東武50050系 東急田園都市線用賀駅~二子玉川駅にて 2011.1.3

by railwaylife | 2011-01-10 23:17 | 東急 | Comments(0)
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