北の玄関口

 三十年近く前まで、北の玄関口といえば、上野駅のことであった。東北、常磐、奥羽、上越、羽越、北陸、信越の各地を結ぶ列車が、ひっきりなしに出入りしていたからである。そんな列車を眺めていると、石川啄木の歌のごとく、訛りを聞かなかったとしても、遠い北の地を感じることのできる場所であったと言える。当時幼かった私も、まだ見ぬ東北各地の雰囲気を感じ、いつかそこへ行く日を夢見ていたものである。

 いま、北の玄関口といえば、やはり東京駅なのだろう。かつて上野駅から北を目指していた長距離列車は、ほとんど新幹線に取って代わられ、その始発が東京駅となっているからである。

 昔の上野駅のように、現代の東京駅は、遠い北の地を感じることができるのだろうか。それを確かめるために私は、現代の北の玄関口たる、東京駅20・21、22・23番線ホームに紛れ込んだ。そこは、東北・上越・長野・山形・秋田新幹線の発車するホームである。

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 週末の夕暮れ時で混み合うホームへと入り込んでみると、そこには「やまびこ」「つばさ」「とき」「あさま」といった、かつて上野駅にも響いていた列車名が発車案内に並んでいた。そんな列車名がひとところに並んでいるのを改めて見てみると、昔上野駅で見た風景が蘇ってくる。

 しかし、電光掲示板に整然と並んだこれらの列車名はどこかよそよそしく、ヘッドマークもない尖った顔の車両たちも、昔の列車とは印象がまるで違う。だから、容易に北の地を思い描くことはできない。

 それに、列車が旅立つホームの雰囲気も違う。煌々としたホームは、とにかくせわしない。

 確かに以前の上野駅も、人が多くごみごみして、落ち着かないところはあった。だがそこには、終着駅あるいは始発駅にふさわしい風格もあった。遠くから来た列車が、ゆっくりとこの終着駅に着く。そしてゆったりとホームに車体を横たえ、遠い北の地の空気を漂わせていた。その悠然とした時間の流れに、長距離列車としての風格を感じたものである。

 ところが、新幹線東京駅の列車は、まことに慌ただしい。到着した上り列車は、車内整備の上、すぐに折り返し下り列車として発車しなければならない。その到着から発車までの時刻は非常に短い。降車確認、ドア閉め、車内整備、ドア開放、乗車、といった過程が、分単位、あるいは秒単位で刻まれていく。そこに、北の空気を漂わせる暇はない。

 そして、乗車から発車までの時間もわずかである。発車時刻ぎりぎりまでホームに並ばされ、ようやく乗り込んで席に就いたかと思うともう動き出す。まったく、旅立ちの風情も何もあったものではない。

 客室に入って、自分の席を探し当て、あるいは選び、旅立ちの居所を確認する。荷物を置き、コートを脱ぐ。テーブルを引き出して弁当を置く。窓際にお茶を据える。イヤホンを耳にして、列車が動き出す瞬間にお気に入りの曲が再生できるように準備する。旅立ちの溢れる想いを書き漏らさぬよう、ペンとメモ帳を取り出していつでも綴れるように手元に置く。そんな出発までの「儀式」を、本当に短い時間でやらなければならない。いや、それはいっつも全部終わらないうちに動き出してしまう。だから、新幹線での東京駅からの旅立ちは、あんまり好きじゃない。想いが込められないからである。

 しかし、そんなに慌ただしく列車が折り返して行くのは、仕方のないことではある。五方面の列車を、四つの番線でやりくりしなければならないからである。この出し入れの仕方については、相当苦労しているのではないかと思う。そこに、旅立ちの情緒などが入り込む隙間は、ない。

 でも、その所為で、何となくホーム全体がピリピリしている感じはある。駅員はもちろん、売店のオバサンも、その一分一秒を争う折り返し劇に遅れをきたすまいと、乗客へいかに速く売り裁くかを競っている。

 そんなふうにせわしなく、どこか居心地の悪いホームには、北の玄関口としての風格が足りないように思えた。堂々した感じがなく、せせこましい感じがしたからである。

 そしてもう一つ、北の玄関口の風情として足りないと思うのは、雪である。

 かつて上野駅に出入りする列車には、冬になると雪がこびり付いていた。屋根の上に白いものを載せ、床下の機器を白く染めていた。当時、まだ東北を訪れたことのなかった私は、東北地方の印象というものが、まるでその雪のように真っ白であった。それは、まだ見ぬ地への憧れそのものでもあった。

 また、写真で見ただけではあるが、ひどいときは、機関車や、電車の先頭車が形相を白くしていたものである。それは、雪国を駆けて来たという証でもあった。

 東京駅の新幹線ホームへ入って来る列車には、そんな白い雪は付いていない。折しも私が訪れた日も大寒の候であったが、雪の欠片すらなかった。雪の気配すらなかった。

 もちろんその日に北の方で降雪があったのかどうかは定かではない。しかし、雪を付けて東京駅に佇む新幹線というものを、写真ですら私はただの一度も見たことがない。それは、新幹線が防雪に関して優れた設備を持っているからであろう。

 車両の床下にこびり付いた雪というのは、走行中に道床の雪を巻き上げることで付くのだろう。しかし、新幹線の線路端にはスプリンクラーがあって、道床に積雪のあることがない。いや、今思い出したが、北へ向かう新幹線の車両は、床下の機器がむき出しになってはいないではないか。

 また、屋根上に載った雪というのは、列車が駅に停車中に積もっていくものなのだろう。しかし、北の方にある新幹線の駅には、どこも立派な屋根が付いている。駅に停まっている間に、雪が積もることなどない。

 だから、いまの北の玄関口に、北の方から雪を付けた列車がやって来ることなどあるはずもない。

 こんな北の玄関口で、遠き北の地を感じることはできるのだろうか。今の子供たちは、私が幼い頃上野駅で抱いたような北への憧れを、抱けるのだろうか。ポケモンの新幹線を見て喜んでいるだけではないのだろうか。

 しかし、この無味乾燥な北の玄関口は、さらにその役割を増そうとしている。いよいよ明日から、このホームの発車案内には「青森」の文字が躍ることになる。いや、正しく言えば「青森」でなく「新青森」だ。

 そして来年春には、発車案内の列車名に「はやぶさ」の文字が、違和感たっぷりに表示される。さらに、2014年度末までには、行先に「金沢」の文字が、また2015年度末までには、行先に「新函館」の文字が現れることになっている。それぞれの行先を掲げる列車の愛称は、どんな名前なのだろう。いや、新幹線の列車愛称については、もう何も言うまい。

 そんなふうに変わって行く北の玄関口は、私が幼い頃に憧れた北の玄関口と、どんどんかけ離れていくだろう。そこに出入りする車両の鼻も、どんどん長くなっていく。でも、それが世の中の進化というものである。

 しかし、どんなに北の玄関口が進化しても、私にとって一番の憧れは、上野駅にあった北の玄関口であり続けると思う。物心ついて間もなく目にした上野駅の情景は、私に強烈な印象を残した。その風格ある北の玄関口への想いは、一生消えることがないだろう。


現在の北の玄関口 東北新幹線東京駅にて 2010.1.23

by railwaylife | 2010-12-03 23:24 | 新幹線 | Comments(0)
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