妙高号の旅
直江津駅や谷浜駅を楽しんだ私は、直江津駅から信越本線上りで、長野方面へ抜けることにしていた。
信越本線直江津-長野間は、なかなか魅力的な区間である。急勾配の続く、いわば山岳路線だからである。それで、この区間にあまり乗ったことのない私は、今回の直江津からの旅程に、ぜひともここを通るようにしたいと考えた。 そして、この直江津-長野間に乗るなら、どうしても利用したい列車があった。それがこの、普通「妙高」号である。 普通「妙高」号は、普通列車であるにも関わらず愛称が付いている上に、使用されている車両が元特急車両という、ある意味「贅沢」な列車である。 それもこれも、長野新幹線の「リレー列車」という役割を負っているからであるが、特急券も何もなしに特急車両へ乗れるというのは、得した気分になれるし、嬉しいことである。だから私は、この列車を選んだ。 とは言え、この「妙高」号に使用されているのは、かつて上野-長野・直江津を結んでいた在来線特急「あさま」で活躍していた189系であり、いくら特急車両という設備の良さを持ってはいても、老朽化した印象はぬぐえない。外観も、特急「あさま」時代のままである。 しかし、私にとってはそれが憧れの対象である。というのも、私は在来線時代の特急「あさま」に、上野-長野間しか乗ったことがないからである。だから、この普通「妙高」号の直江津-長野間乗車は、乗ることの叶わなかった特急「あさま」の直江津-長野間の旅路をたどることでもある。 さて、この日早朝から活動していた私であるが、朝食はきちんととれていなかったので、普通「妙高」号の車内で駅弁を食べることにした。要衝直江津駅では、駅弁もいろいろな種類を売っている。その一つを買い込んで、列車に乗り込んだ。特急車両だから、車内で堂々と駅弁が食べられる。いや、堂々も何も、私が乗った1号車には、誰も乗っていなかった。 車窓のことを考えて、どの席に就こうか迷ったが、とりあえず左窓際席をとって落ち着く。 さて、私は列車が動き出したら、忙しくなる予定であった。というのも、こんな本を持ってきてしまったからである。 この本には、各路線の勾配や曲線が細かに掲載されている。それを見ながら、車窓を楽しもうと考えて持ってきたわけだが、さすがに曲線の半径までをいちいち体感するのは大変なので、勾配だけを見ていくことにしようとは思っている。とはいえ、勾配をチェックするだけでも忙しくなりそうだ。ちなみにこの本は、国鉄時代の1986年に刊行されたものであるが、信越本線のこの区間はそんなに線形が変わったとも思えないので、本に掲載されている情報でも十分楽しめるはずである。 というわけで、発車したら勾配のチェックに勤しむつもりなので、私は発車までに駅弁を食べてしまおうと思った。しかし、そんなに急ぐ必要はなかった。本によれば、途中の新井駅までは、さほど勾配がないからである。それで、駅弁はゆっくり食べることにした。 私が買った駅弁は、この「かにずし」である。 もう気分はすっかり山国の信州に向いていて、海の幸を食べることに違和感さえあったが、せっかくの越後に来たのだから、その味も楽しんでおきたいところであった。 酢めしに載ったかにを、生姜とともに口に入れると、すっぱさが一層増した。そんな味は、もう少し若い頃ならあまり好まなかったが、今はけっこう好きである。考えてみれば、たまに回転寿司屋に行くと、最近はガリを食べる量が多い。味覚だけはいっちょまえに大人のものになっているなと思う。 食べているうちに普通「妙高」号は直江津駅を発つ。しばらくは上越市内を行くが、車窓には次第に青々しい稲が広がってきた。畦道にはまだ元気なあじさいもあって、私は嬉しくなってきた。 最初の駅は春日山で、上杉謙信の春日山城が近い。私も一度登ったことがある。その城がある右窓を見遣る。 やがて建物が増えてくると、高田・南高田の両駅に停車する。上越市の中心部であり、けっこう乗客があった。 この頃までに私は弁当を食べ終わり、ようやく車窓に集中できる体勢になっていたが、次の脇野田駅辺りまで来ると、嫌なものが見えてきた。建設中の北陸新幹線高架橋である。 工事中の白くくすんだコンクリートの高架橋を、在来線の車窓に眺めるという図は、決していいものではない。二年前に乗った寝台特急「はやぶさ」の車窓、この春に乗った寝台特急「北陸」でも、似たような景色を見たが、うんざりするものであった。地形も何も無視して一直線に連なる高架橋は、在来線の車窓にあっては目障りなものでしかないからである。そしてまた、来るべき「旅情のない車窓」を暗示するものでもある。しかし、国家がそれを希求しているのだから、もはやどうこう言っても仕方ない。この国には「旅情」など必要のないということだ。 それにしても、北陸新幹線が開通したら、きっとこの「妙高」号は真っ先にお払い箱だろう。それはかわいそうなことだ。そんな私の想いを示すかのように、暗い空から雨が降ってきた。 高田駅を発ってから一旦まばらになっていた家並がまた増えて、新井駅に着く。ここで一気に乗客が増える。 持参した本によれば、ここから先がいよいよ上りの急勾配区間となっている。それで、新井駅を列車が発車すると、私はいよいよだという気になってきた。するとにわかに、車窓が山めいてきて、くすんだ緑に染まる。そして、列車の走りが重々しくなってきた。上り坂に差し掛かったからである。本によれば、この区間の勾配には「25.0」という表記がある。これは、1000メートル進む間に25メートル上るという、25パーミルを表している。鉄道の勾配としてはかなりきつい方だ。 やがて列車は、檻の中のようなスノーセットに入ると、ぱたりと停まった。そして、恐る恐る引き返す。スイッチバックの二本木駅に進入するためである。 かつての特急電車が、バックしながらスイッチバックの小駅に入って行くというのは、ある意味「屈辱」ではないだろうか。そもそもこの「妙高」号は、新幹線の「リレー列車」なのに、なぜ普通列車扱いで各駅に停車するのだろうか。快速でも良いような気がする。 そんな想いを巡らしていて、スイッチバック駅をあまり楽しめないうちに二本木駅を発車してしまった。 スノーセットを抜けた列車は、尚も25パーミルの勾配を上って行く。楽しみな区間であるが、私はここに来てウトウトとしてきてしまった。そして、気が付くと次の関山駅を過ぎていた。 気を取り直して本を見てみると、この辺りもまだ25パーミルの上りであった。車窓には、いつしか深い谷の向こうに高い山並が続くようになっている。脇野田駅の辺りで降っていた雨も止み、何となく空が明るい。薄日というほどでもないけれど、曇りというにも明るくて、深い緑が輝く。 私は、座席の下から来る重厚な走りを感じ、これが25パーミルなんだなと実感していた。そして、こうやって25パーミルの勾配を上り下りするのが、この189系の日常なんだなと改めて知った。先日私は、この189系が特急「あやめ」に用いられるために都内へ出てきたところを目にしたが、おそらく189系にとっては、平坦な関東平野を往く特急「あやめ」の運用など「ちょちょいのちょい」だったに違いない。 列車は緑深き妙高高原駅に到着した。すでに長野県に入っている。その名の通りここは高原で、手にした本によれば標高は510mとなっている。勾配にかかる前の新井駅が標高60mだというから、約450mも上ってきたことになる。ただ、空はどんよりとしたままで、高原の爽やかさはない。空が晴れて澄み渡っていたらもっと高原らしかったのかもしれない。高原を気取ったのか、ピンク色に塗られた建物が色褪せて、余計にわびしい。 そんな妙高高原駅を後にして、尚も上れば、いよいよ頂点の黒姫駅である。標高は671mに達した。 そしてここからは、下る一方となる。ただ、その勾配はやはり25パーミルで、列車は重々しく下って行く。決して気を抜かないぞという走り方だ。そんな緊張感が漂っているのに、私はまた眠くなってしまった。 せっかくの急勾配区間なのだから、眠ってしまうのは惜しいと思って、私は眠気に抗したが、そのうちに眠ってしまったようだ。そして、目が覚めたときには下り勾配の区間がほとんど終わっていた。私は悔やんだけれども、やはり夜行明けだから無理もないことだと思った。こういうときは、眠ることを恐れてはいけない。むしろ、25パーミルの上り下りを体感しながら眠るなどというのは「贅沢」なことであると思いたい。 さて、気を取り直して車窓を見る。列車はすっかり平地に下り立っていて、程なく豊野駅に着く。飯山線の分岐駅だ。考えてみると、飯山線にはもう十五年も乗っていない。久しぶりに、千曲川から信濃川の流れに沿った車窓を楽しんでみたいものだと思った。 豊野駅を発ち、見通しの利く田園地帯を行くと、また新幹線の高架橋が見えてくる。長野新幹線の営業区間はこの先の長野駅までだが、ここ豊野駅辺りまで高架橋が続いているのは、車両基地があるためだ。今は車両基地への回送線だが、北陸新幹線が開業すればやがて営業線となるのだろう。 その高架橋が近付いてくるのを見るうちに、長野車両センターが見えてくる。ここには廃車になった車両が解体されるところで、いわば車両の墓場でもある。そんな解体を待つ車両が、車窓に現れる。それを見た私は、何だか急に日常へ引き戻されるような気がしてきた。それは、私が毎日のように利用している車両を目にしたからである。 すでに引退した京浜東北線の209系や「成田エクスプレス」の253系はもう過去の車両だからいいとしても、問題は山手線E231系500番台の6扉車や、中央緩行線のE231系である。ウグイス色の6扉車は、ホームドア問題で「邪魔者」になり、ここで最期を迎えるのだろう。黄色いE231系は、その6扉車を引き連れて来たのだろうか。何にしても、この両者は私の日常そのもののような気がして、げんなりしてしまった。何もこの「妙高」号の車窓に現れなくてもいいのにと思った。 そんなふうにして私は、日常を感じながら、終着の長野駅を迎えることになってしまった。 だが、降り立った長野駅では、特急「しなの」が出迎えてくれた。信州に来たなあと改めて思う瞬間であった。 こうして、普通「妙高」号の旅は終わった。本当はこのままかつての特急「あさま」の旅路をたどり、189系で上野駅まで帰りたいくらいの気分であったが、ヨコカルで線路が物理的に途切れている以上、それは絶対に叶わぬことだ。だから、ここから先は、昔乗った「あさま」の旅の思い出をたどるしかなかった。
by railwaylife
| 2010-07-31 23:50
| JR東日本
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