後方展望

 相模の旅2010初夏の往路に、私は特急「スーパービュー踊り子」1号を利用したが、その指定席は10号車1番D席すなわち最後尾の展望席であった。

 こう書くといかにも「レア」な感じがするが、特急「スーパービュー踊り子」の251系は登場からもう二十年も経つそうで、もはや展望席も珍しいものではないようである。現に私はこの席の指定券を何の苦もなく入手できたし、この日の展望席最前列は、私のD席と反対側のA席しか埋まらなかった。

 しかし、人気がどうあれ、またこの席が「レア」であるかないかなど私には関係なく、ここに座るのが初めての私は、とにかく「後方展望」が楽しみであった。

 ところでなぜ先頭の「前面展望」ではなく「後方展望」かといえば、それは「前面展望」の1号車がグリーン車で、私の手にした「踊り子箱根フリーきっぷ」では乗れないから、というだけの話である。しかし、私は「後方展望」というものを一度楽しんでみたいと思っていた。それは、昔からの憧れだったからである。

 私が小学生の頃、特急「サロンエクスプレス踊り子」号という列車があった。それは欧風客車「サロンエクスプレス東京」を使用した列車で、その最後尾の客車にはソファを備えた展望席があった。当時の私は、一度そのソファに座って、それこそ「後方展望」というものを楽しんでみたいという想いがあった。しかし、この列車に乗るにはグリーン券が必要であり、まだ子供の私が簡単に乗れるものではなかった。そんな「サロンエクスプレス踊り子」号の展望席の眺めを少しでも再現してみたいという気持ちが、今回の「後方展望」を選んだ理由でもある。

 そしてもっとさかのぼれば、東海道本線には最後尾に展望車を連ねた特急列車が走っていた。かつての特急「つばめ」や「はと」などである。それらが走っていたのは昭和三十年代までであり、私の生まれる前の話だから、乗ることはおろか見ることさえ叶わなかったわけであるが、そんな昔の名列車にも、私はずっと憧れてきた。もちろん、格調高い「つばめ」や「はと」の展望車と、現代の特急「スーバービュー踊り子」ではだいぶ落差があるけれども、私はこの「後方展望」に、昔の展望車の面影も追いたいとさえ思ってきた。だから、本当に楽しみであった。


 さて、新宿駅を8時30分に発車した特急「スーパービュー踊り子」1号は、山手貨物線を南下する。ぎりぎりに乗車した私は何となく旅立ちを迎えてしまったけれども、この新宿駅という「日常」を去ることが、何より大事であった。
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 そして車窓には、私の「日常」が続いていく。渋谷までの通勤経路の区間、通院のための経路である恵比寿、大崎といった「日常」が、まさに後方へと全部全部押しやられていく。私はそのさまを、窓の広い展望席からゆったりと眺めていた。
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 そして、山手貨物線から品鶴線に入った列車は、新幹線の高架下から抜けるといよいよ速度を上げ、多摩川の流れを置き去りにしていく。新宿を発ってからわずか十五分で東京を脱出するとは、いい気味だ。
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 川を渡るとすぐに武蔵小杉停車で、これが意外と長く、余計な「間」を作ってしまったものの、鶴見で東海道本線と合流すれば、いよいよ西への気分は高まる。そして横浜到着の手前で、今までの横須賀線の線路から東海道本線の線路へと進入する。これで名実ともに東海道本線の旅となった。

 ところで、この「後方展望」の眺めであるが、何となくガラスがほこりっぽく汚れているような感じがあった。しかし、そんなことはどうでもよく、私は去り行く眺めというものを存分に楽しんでいた。

 横浜を出ると、車窓に緑が増えてくる。白い曇り空の下で、その緑は陰鬱だ。でも、梅雨時にはぴったりの眺めだ。ついでにもう、雨でも槍でも降るなら降れば良いとさえ思った。いや、このときはまだ調子に乗ってそんなことを思っていたけれども、後々この旅ではずいぶんと雨に悩まされることになった。
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 それは後のことして、やがて武蔵と相模国境の清水谷戸トンネルを抜ければ、東京だけでなく武蔵国からも脱け出すことになる。そして、いよいよ目的地の相模国に入った。

 列車は東海道本線という道を、着実に西へ刻んで行く。私は、かつてこの道を走った「つばめ」や「はと」や「サロンエクスプレス踊り子」といった列車を想いながら「後方展望」を見つめた。そして、それらの列車からの眺めの残影を探そうと思っていたけれども、きっと当時の展望車からの風景とは全然違うんだろうなという気もした。
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 さて、気が付けば時刻は9時を回っている。もし、まだ寝台特急「富士」「はやぶさ」が走っていたら、そろそろ離合していた時刻だ。この「後方展望」に、東京を指す青い車体が駆け抜けたことであろう。でも、そんな列車は、もう今はない。そして、今さらそれが見られないことを悔やんでも、文字通り「後の祭り」だ。

 やがて列車は、白い相模川を渡る。
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 そして、相模の奥へ奥へと向かって行く。そんな東海道本線の旅は、いつでもわくわくするものだ。
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 その気持ちも、国府津に至ればさらに高まる。いよいよ相模の海が見えてくるからだ。さっそく今日の海はどんな色だろうと見てみると、天気が悪いだけにやはりグレーの海原であった。それでも、これから大々的に広がってくる海の眺めに期待が高まる。

 ただ、その海の眺めを控えた小田原まで来ると、私の「わくわく」感は「どきどき」感へと変わっていた。小田原に着いたなという気分もそこそこに、いよいよだという高揚感が湧いてきた。

 小田原を発つと、すぐには海が見えないのに、もはや想いは海原の眺めに及んでいた。そして、早川辺りの海が見えるか見えないかというところではもう、ただならぬ心地になっていた。

 そして私は、海が見えてきたときには、目頭を熱くしていた。それは、狂おしいほどの、相模の海への想いである。でも、そこまで想う自分が愚かしく思えた。

 こんな気持ちになったのは、上り寝台特急「はやぶさ」から、冬晴れの朝の青い海原を見て以来である。あのときは、青々しい海があったけれども、今回は白い海だ。いや、海の色など、もうどうでも良かった。車窓に海さえあれば、それで良かった。
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 それにしても、海の眺めはあっという間に過ぎ去って行く。新宿から乗ったばかりのときは、自分にとっての「日常」の風景に、早く去れ、早く去れ、と念じていたのに、このときの私は、過ぎ去る風景に、待ってくれ、待ってくれと言いたい気分であった。

 しかし、そんな想いはもちろん届かず、列車はどんどんと進む。そして、私が降りるべき熱海駅まで着いてしまった。熱海までの道のりが、こんなに早く感じられたことは、今までになかったことである。だから当然、心残りはあった。

 しかし、旅はここからである。熱海駅に降り立った私はすぐに、ゆっくり見られなかった海の眺めを見に行くことにした。

by railwaylife | 2010-06-29 23:19 | 251系 | Comments(0)
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