夕景をあらはす

 北へ向かう185系田町車を眺めに池袋-大塚間の跨線橋に行ったのは、ちょうど夕暮れ時のことであった。

 ただ、この日は昼間からどんよりとした曇り空で、時折薄雲の向こうに太陽の姿が見えるくらいであったから、オレンジ色に染まる夕景など、まったく期待していなかった。

 ところが、たまたま見つけた栄橋という跨線橋に着いて池袋方を見てみると、まさに正面に弱い日差しが出て、空をほんのりと黄色に染めていた。私はそのとき、正直言ってまずいなと思った。

 夕日が出ていると、その景色は刻一刻と変わっていく。特にこの日のように、雲間に太陽があると、それが雲から出たり雲に隠れたりして、日差しもめまぐるしく変わる。

 この日の目的であった二本の185系は、約二十分の間隔をおいてやって来ることになっていたが、私はできればそれを、同じアングルで同じ明るさで撮りたいと思っていた。その点、昼間からの曇り空は好都合であったが、列車が来る時間になって日が出てきてしまったのは思わぬ誤算であり、実際に捉えた二本の185系の
姿も、微妙に違う表情になってしまった。

 そのことは残念であったが、せっかくの夕景であったので、私は185系を待つ間、暇を持て余していたのをいいことに、夕景の中を往く山手線や湘南新宿ラインの電車を撮りながら遊んでいた。

 背景が夕暮れの列車を捉えようとするとき、手前の列車に焦点を合わせると、必ず背後の夕景は、白く飛んでしまう。そうすると、列車自体は明るくはっきり写るけれども、夕景の中を往くというさまは表現しづらい。
夕景をあらはす_f0113552_059228.jpg

 逆に夕景に焦点を合わせると、空の色合いはよりはっきりと出てくる。だが、手前の列車は暗くなって、その表情はわからなくなる。それでも、巧い具合に車体が光ったりするので、狙っている「夕暮れ時の列車」というものが、いくらか表現できているのかなという気もする。
夕景をあらはす_f0113552_05929100.jpg

 それに、こんなふうに撮れると、いつもの通勤電車もちょっと違った表情を見せて、いいものだなあと思ったりもする。
夕景をあらはす_f0113552_0595155.jpg

 しかし、これとても、私がそのとき目にした夕景そのものではない。もっと列車の表情は明るかった。

 私はカメラの設定や撮り方を変えながら、この栄橋の夕景を数多く捉えてみたけれども、結局その時その場所のありのままの風景は、一枚も撮ることができなかった。それはおそらく、私の腕の問題なのだろうが、改めて夕景の写真を撮るとは難しいことだと気付かされた。

 いや、写真だけではない。絵に描いて表現するにせよ、文章で書いて表現するにせよ、音楽で奏でて表現するにせよ、夕景を表すとは、実に困難なことだ。それくらい、夕暮れの景色は変わりやすく複雑だ。しかしその分、強く惹かれるものもある。

 そんな夕景を撮りながら、私はもう一つ気付いたことがあった。それは、私が夕景を表すのに本当に使いたい手段は、写真ではないということである。本当に使いたい手段は、文章だ。文章によって夕景を描写し、その美しさを、はかなさを、物悲しさを、伝えたい。それは、シャッターを押すことよりずっと難しいし、今はまだまだ私の文章は拙いけれども、いつかそうやって夕景を表すことができるよう、このブログにふざけたことばかり書いていないで、日々もっともっと鍛錬していきたいと思う。

山手線・山手貨物線池袋駅~大塚駅にて 2010.6.19



にほんブログ村 鉄道ブログへ
by railwaylife | 2010-06-25 23:55 | JR東日本 | Comments(0)
<< あじさい列車2010 第8章 185系の色 >>