鎌倉あじさいの旅

 あるとき、テレビの料理番組を見ていた妻が「湘南でシラス丼が食べたい」と言った。

 またあるとき、妻が「今年は鎌倉にあじさいを見に行きたい」と言った。

 遠かろうが近かろうが、どこかに行きたいと言われれば、旅程を立てたくなるのが私である。

 そこで、湘南でシラス丼が食べられる名店と、鎌倉のあじさい寺を改めて調べ、旅程はできあがった。

 そしていよいよ、あじさいも色付いてきた今日、その旅は実行された。

 朝、東急東横線で横浜駅に出た私たちは、東海道本線の普通列車に乗った。どんなときでも、東海道本線を下り、清水谷戸トンネルを抜ける辺りでは、わくわくしてくるものである。ただ、今日の乗車時間は短く、藤沢駅で下車となる。

 しかし、ここからは江ノ電での旅となる。これはこれで、わくわくしてくる。そういう鉄道の旅の楽しみも、さりげなく旅程に盛り込んである。

 家の軒先をかすめ行くという江ノ電独特の旅を楽しみながら、車窓にあじさいを探すうちに江ノ島駅に着く。ここで下車し、まずは江ノ島の島の中にある、シラス丼の店を目指した。
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 ネットで探したその店は、11時開店ということであったので、店が開く前の10時30分過ぎには江ノ島に着いていたが、店の前に近付くと、何やら人だかりが見えてきた。そして、店に着いてみると、なんともう席の予約が始まっていて、用紙に名前と人数を書き込むようになっていた。その用紙を見ると、すでに50番まで埋まっていた。さすがに人気店だけのことはある。私の認識が甘かったと言うしかない。

 それでも、せっかく来たのだからということで、私たちは51番目に名前を書き込んだ。そして、適当に時間を潰すことにした。

 私たちはいつものように海岸をぶらぶらしたり、野良猫を眺めたりしながら、のんびりと過ごした。
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 ただ、日差しがきつくなったので、途中から藤棚の下で涼んだりしながらさらに時間を潰し、四十分くらいしてお店に戻ってみると、半分の二十五組がすでに入店していた。それでもう、お店の前で待つことにした。

 途中、名前を呼ばれてもいない人がけっこういて、私たちの順番は意外と早く回ってきた。それでも時刻は12時近くになっていたが、ちょうどお昼時になったので、それはそれで都合が良かったと思う。

 さっそくお目当てのシラス丼を注文する。さらに、調子に乗って桜エビとシラスのかき揚げまで頼んだが、出てきたシラス丼の器を見て後悔した。とにかくでかかった。
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 人気のお店だけあって、さすがに丼もかき揚げも美味しかったが、残念ながら丼は全部平らげられなかった。私が丼を残すとは、珍しいことである。今度は二人で丼一つでいいねと妻と話しながら、店を出た。

 満腹になって、ここから鎌倉くらいまで歩かないと消化できないくらいであったが、江ノ電の一日乗車券を買ってしまっていたので、それを使わないのももったいないし、時間も無限にあるわけではない。それで私たちは、江ノ島駅からまた鎌倉行きの江ノ電に乗り込んだ。次に目指すのは、あじさいの咲くお寺である。
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 江ノ島駅からの車窓では、鎌倉高校前駅辺りで眺める海も良かったが、それ以上に私が気になったのは、民家のまん前を往くという眺めである。いったい、自分の家のすぐ前を電車が走っているというのは、どんな感覚なのだろうかと思う。もし私の家の前を電車が走っていたら、私は毎日くまなく通過電車をチェックして、どの運用にどの車両が入っているか調べ上げるだろう。特に江ノ電は、車両がバラエティに富んでいるから調べ甲斐がある。いや、そんなことをしていたら、家で全然のんびりできないではないか。

 それはさておき、私がもう一つ気になったのは、線路の敷地に向かって家の入口があるという場所が何箇所かあったことだ。あれでは、家に入るのに線路を横切らなければならない。電車の通過を気を付けながら家に入らなければならないというのも、大変なことだと思う。

 そんな車窓を気にしながら、極楽寺駅で下車した。ここからあじさい寺を目指すが、花のシーズンだけあってさすがに下車する客が多かった。

 私たちが訪れたのは、成就院というお寺である。
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 鎌倉のあじさい寺としてはあまりにも有名で、境内の石段に沿って続くあじさい越しに由比ガ浜の海が眺められるという景勝地である。私もずっと前から訪れたいと思っていたが、ようやくその願いが叶った。
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 やはり花の咲く時期だけあって、訪れる人は多かったが、思ったほどの混みようではなかった。それで私たちは、ゆっくりとあじさいを眺めることができた。
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 今やすっかり、鎌倉を代表するあじさい寺となった成就院であるが、その歴史を紐解いてみれば、鎌倉幕府三代執権北条泰時が、空海の霊跡に不動明王を本尊として建立したという端緒がある。しかし、新田義貞の鎌倉攻めで焼失し、他所に移っていたのを、ようやく江戸時代の元禄期になって当地へ再興されたという経緯もある。思えば、極楽寺坂切通しにある当寺は、鎌倉幕府滅亡時の激戦地であった。そんな歴史を背負った地にいま、あじさいが鮮やかな彩りを見せている。そのことに思い至るとき、花の色はまた特別なものに感じられてくる。
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 ところで、妻は最近、どこへ出かけるにも着物である。私もすっかりそれに慣れたので、何とも思わないが、世の中には着物を珍しいと思う人もいる。特に観光で日本を訪れている外国人は珍しがって、妻はよく写真を撮られたりするが、そのときに外国人観光客は、身振り手振りも含めて、必ず写真を撮ってよいかと確認をしてくる。そうすれば妻も快く応じて、カメラの方を向く。しかし、日本人のオジサンなどは、声もかけず、勝手に妻の写真を撮る。しかも、隠れて撮る。これは感じが良くない。自分がそんなことをされたらどう思うか。そんな日本人のオジサンがこの成就院の参道にもいて、私はたまたまそれを目にしてしまった。自分のことではないにせよ、黙ってこそこそと写真を撮られるとは、何とも嫌な気分である。だから私もお返しに、そのオジサンのことを写真に撮っておいてあげた。

 そんなこともあったが、私たちはあじさいを堪能し、由比ヶ浜の波をちらっと見てから、もう一つのあじさい寺へと向かった。

 それは光則寺というお寺である。本当は、となりにある長谷寺に行ってみたかったが、あまりに人が多いので断念し、こちらの寺を選んだ。しかし、それが正解であった。

 ウグイスの声が響く、少し奥まった場所にあるこのお寺は、訪れる人もさほど多くなく、静かなところであった。その境内に、丹念に手入れされたあじさいなどの花々が並んでいた。それをのんびりと見て回った。
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 そんな中でも、特に惹かれたのが、本堂左手奥にあった白いあじさいである。いくつも花を付けたこのあじさいの色は、白く深かった。
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 このあじさいを見て、私たちはすっかり満たされた気分になった。それで、帰途に就くことにした。

 ところで、この光則寺というお寺は日蓮宗である。その開祖日蓮が佐渡へ流されたとき、日朗という弟子も北条時頼の家臣宿谷光則に捕らえられたそうだが、やがて宿谷光則は日蓮に帰依し、自分の屋敷を寺としたのが光則寺の始まりだと言われている。

 日蓮上人に関わった御家人が彼に帰依し、その居所を日蓮宗の寺としたという話はよくある。池上本門寺の池上宗仲、身延山久遠寺の波木井実長などがその例である。御家人にとって、日蓮の教えというものは、よほど強烈なものであったのだろうか。こんな私も、法華経に救いを求めることができるだろうか。そんなことを、この寺の境内で、私は考えていた。

 長谷駅からまた江ノ電に乗り、私たちは鎌倉駅に出た。このとき乗ったのは、旧型車両であった。今日は、江ノ電の旅も十分に楽しむことができた。
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 その後、小町通をちらっと冷やかしてから、駅前でお土産を買い、鎌倉駅から湘南新宿ラインで一気に渋谷駅を目指した。15時台の湘南新宿ラインはまださほど混んでおらず、私たちはボックスシートでゆったりとすることができた。ただ、途中の西大井駅近くで踏切の非常ボタンが押され、列車が緊急停止するというハプニングがあり、ちょっと心配したが、幸い大事なく運転再開し、十数分の遅れで渋谷駅にたどり着いた。あとは東横線に乗って帰るだけであった。

 江ノ島と鎌倉という近場ながら、今回の旅は食に花に歴史に鉄道と、いろいろ楽しむことができた。まさに、遠くへ行くばかりが旅ではないということを実感した一日であった。



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by railwaylife | 2010-06-13 22:14 | | Comments(2)
Commented by やままさ鉄 at 2010-06-14 20:27 x
昨年、かみさんと長男と3人(長女はパス・・)で江ノ島を旅しました。
長女の交通費を快速G車に回したおかげで、快適・・と思いきや、通路の反対側には出社する同僚がいて・・。何でも毎日使ってるとか。
鎌倉で、コロッケをほおばりながら、目指すは江ノ島。
江ノ電は座っちゃいけませんね。。

お目当ては同じくシラス丼。
ただし、生シラスと釜揚げのハーフ&ハーフを堪能しました。
せっかくのりおり君を買ったので、エスカーやら展望塔、水族館と、割引をフルで活用させてもらい、〆は、帰りの電車で冷酒と鯵寿司・・なんとも充実した1日だったのです。
江ノ電は、伊豆急、箱根登山鉄道とともにトップクラスの楽しみがありますね。

先日の、くもじいの空中散歩は、ご覧になられましたか?
腰越の駅員さん、うちの派遣社員の親戚だそうです。
Commented by railwaylife at 2010-06-15 00:02
やままさ鉄様、江ノ電の旅は楽しかったです。
おっしゃるように、座ってしまうと景色が見づらいかもしれませんね。この日も、車内はかなり混雑していて、向かい側の景色はよく見えませんでした。

生シラスも食べたかったのですが、残念ながら不漁で獲れずということで、釜揚げシラスしかありませんでした。もう少し早い季節に行けばよいかなと思います。

天空散歩の番組は、時々見るのですが、先週は見られませんでした。
伊豆急、箱根登山鉄道の旅にも惹かれますね。
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