寝台特急北陸の旅
3月6日土曜日、私は金沢から妻と二人で上り寝台特急「北陸」に乗車した。
21時過ぎに特急「サンダーバード」で旅立ちの金沢駅に着くと、そこは一種異様な雰囲気に包まれていた。カメラを持った大勢のファンがホーム上に溢れていたからである。廃止間際の「北陸」狙いなのだろうが、その「北陸」が入線するまでにはまだ一時間以上あるというのに、ざわついた雰囲気があった。 そんな光景を横目に、一旦改札を出た私たちは、改札すぐ近くのコンビニでお土産や鉄道グッズを冷やかしたりしながら時間をつぶし、21時50分頃に再びホームへ上がった。間もなく「北陸」が入線する6番ホームには、すでにカメラを手にした人々が鈴なりに連なっていて、大変な人出になっていた。 21時55分、いよいよ「北陸」の青き車体がやって来た。薄暗いホームにやって来た列車を目にすると、久々にブルートレインに乗れるという歓びが湧き上がってきた。 出発までの間、ホームには「北陸」を見納めようという人たちが右往左往し、大いに賑わっていた。私はブルートレインに乗るときはいつも、通過儀礼のように牽引する機関車をじっくり眺め「これからよろしくお願いします」という想いを込めるが、今回ばかりは機関車の周辺に人出が多そうで、それは断念した。客車だけを眺めて、早々に列車に乗り込んだ。 22時21分、寝台特急「北陸」は金沢駅を定刻より三分遅れで発車した。最初で最後の「北陸」の旅がついに始まった。去っていくホームには、数え切れないほどのファンの姿が見えた。 ところで、今回の「北陸」乗車は、そもそも私が一人で出かけようと思っていたのであるが、開放B寝台の寝台券を取るときに気合を入れ過ぎて複数枚獲得できてしまったため、妻も同行したいと言い出し、二人で乗ることになったという経緯がある。そのため、二枚の寝台券に指定された寝台は、車両こそ同じであったが離れ離れになっていた。 そこで、先に列車に乗り込んでいた妻が向かいの乗客と相談し、寝台を入れ替わってくれることになった。妻が座った寝台の向かいに乗るはずだった若い男性は、私たちのぶしつけなお願いを快く受け入れ、寝台を替わってくれた。これで私たちは、一つのボックスに向かい合わせに座ることができた。寝台列車に慣れていない妻としても、私と同じボックスになり心強く感じたと思う。本当にありがたいことであった。 そうやって妻と向かい合わせに座ってみると、とても不思議な感じがした。今まで私一人で何度も旅してきた開放B寝台に、妻が一緒に乗っている。妻が一緒に行くと言い出したこととはいえ、何だか私の趣味に付き合わせてしまったようで、申し訳ないような気もした。 さて、金沢駅を後にした寝台特急「北陸」は、闇の中へ滑り出した。私はこの辺りの車窓にまだまだ疎く、特に見ておきたいと思うものもなかったので、通路越しに闇の眺めをぼんやりと見遣るだけであった。 走り出したばかりの列車は、わりとまめに停車した。津幡、高岡、富山、魚津と停車駅を重ねていく。いずれも素通りするにはもったいない場所だ。今度は妻と二人でゆっくり回りたいと思う。 寝台特急に乗るのが小学生のとき以来という妻は、寝台周りの設備を興味深そうに眺めていたが、やがて23時09分発の富山を過ぎて車内が減灯すると、寝る準備に入った。私が二人で寝台特急に乗る上で一番気にしていたのは、妻が列車の中で寝られるかどうかということであったが、妻は日付が変わる前には寝入ってくれた。 それを見届けた私は、自分の寝台も寝られるように支度した。しかし、すぐに寝る気はない。寝台側の窓のブラインドを押し上げ、寝台の周りのカーテンが窓にかからないようにして、寝台内の蛍光灯を消せば、窓外が淡く浮かび上がる。そうやって、闇の車窓との対峙を始めた。 窓辺にもたれ、ただひたすらに車窓に身を委ねた。所々の白い街灯が、となりに続く上り線の二条のレールを淡く光らせる。そんな光景を見ていると、寝台特急で旅しているという幸いを噛み締めることができた。 やがて車窓は、長いトンネルの連続となった。どの辺りを走っているのだろうと思って、トンネルを出たところでiphoneを取り出しグーグルマップを開くと、時刻0時03分の現在地は青海駅を過ぎたばかりだということがわかった。以前であれば、暗闇に沈む駅名標を必死に追いかけて、自分の位置を確かめようとしていたのに、今は便利な世の中になったものである。地図を見ると海岸線が近かったが、残念ながら寝台側の窓は山側である。海は見えない。 程なく0時08分着の糸魚川に停車する。闇に沈む赤レンガ車庫と大糸線のキハ52に迎えられ、列車は駅に進入した。出発するときに見ると、向かいのホームの端辺りには、数多くのファンと無数の三脚や脚立が並んでいた。あんなにたくさんの三脚や脚立を並べて大丈夫なのかと思う。時間も遅いし出入りする列車もないだろうから構わないということなのだろうか。 糸魚川を発つと、建設中の北陸新幹線の高架橋が見えてきた。いつの間にこんなにできていたのだろうかと驚く。それにしても、廃止を控えた寝台特急の車窓に建設中の新幹線の高架橋を見るという構図は、一昨年に乗った「はやぶさ」のときと同じだ。あのときは、九州新幹線の建設現場を延々と見せられた。そして「はやぶさ」にしても「北陸」にしても、その代替手段となる新幹線の建設を待たずに廃止を迎えている。それが今の寝台特急の現実なんだな、と思い知らされる。 その後も闇の車窓に付き合おうとしていたが、いつの間にかうつらうつらしていた。気が付くと0時38分着の直江津到着が近付いていた。 直江津からは、駅名標がJR西日本の青からJR東日本の緑に変わる。もうJR東日本管内に戻ってきてしまったんだなあと残念な気持ちになる。そしてこの駅でも、大勢のファンがカメラを構えて列車を見送っていた。見ればまだ十代のような若者もいて、こんな時間にどうやって帰るのだろうかと心配になってしまった。 直江津を出て、犀潟の辺りで急行「きたぐに」大阪行きとの離合を見送ると、またうつらうつらしてきてしまった。もっともっと、闇の車窓に浸りたい気持ちはあったけれども、諦めて寝ることにした。きっと疲れているのだと思った。そういえば前夜もあまり寝ていない気がした。 実は一年前に乗車した寝台特急「富士」では、一睡もすることができなかった。寝たくても寝られないという状況であった。それ以来私は、もはや夜行列車で寝られない体質になってしまったのではないかと不安になっていたのだが、今回は寝られそうであった。それはそれで嬉しいことであった。列車の軋みに任せて眠り、目が覚めたら知らないどこかを走っていたというシチュエーションを経験するのも、夜行列車に乗るときの重要な通過儀礼だからである。 それで横になって毛布を被ると、程なく寝に就いたようである。それでも、1時35分着の長岡で停まっていたのと、そこから進行方向が変わったのは認識していた気がする。 その後、5時過ぎに目を覚まし、5時30分になったところで妻を起こした。身支度がある妻には、寝る前にこの時間に起こすように言われていた。幸い妻はすぐに目を覚ました。良く眠れたようであったが、寝台列車は「やっぱりきつい」と言っていた。そして「私が乗るならA寝台じゃないとね」と言うので、今度は「カシオペア」か「トワイライトエクスプレス」にでも乗れるように、頑張って稼がなきゃいけないと思った。もちろん、私自身がそんな列車に乗ってみたいという想いもある。 ブラインドをそっと上げて窓外を見てみると、雨に濡れてしっとりとした夜明け前の住宅街が広がっていた。どの辺りまで来たのかと思っていると、すぐに鴻巣の駅を通過した。 5時38分におはよう放送が入り、定刻通りに運転されている旨が告げられる。寝台特急で一夜を明かしたんだなあという実感が込み上げてくる。体にも独特の気だるさがあって、背中が痛い。 行くうちにどんどん空が明るくなって、5時53分に大宮へ着く。ここまで来ると、帰ってきてしまったなあという思いが強くなる。 大宮でも向かいのホームにはカメラの三脚が林立していた。あと数日、最後まで事故のないようにと願う。 大宮を出ると京浜東北線の電車が車窓を横切るようになり、やがて荒川にさしかかる。薄墨色の川面がもの悲しい。その風景が、東京へ戻ってきてしまったという現実を余計に印象付ける。 赤羽を過ぎると列車の速度は落ち、旅の終わりをゆっくりと刻んでいく。こうやって夜行列車で上野到着を迎えるのはいつ以来であろうか。何とも言い難い切なさがある。 そして列車は、上野駅地平ホームへと沈んでいく。6時19分、定刻通りに旅は終わりを迎えた。短い「北陸」の旅は、あっという間に終わってしまった。 到着ホームの14番線は、すごい人出なんだろうなと覚悟していたが、想像していたよりは少なかった。それでも「北陸」を待ち構えていた人たちで騒然となっていて、警備の係員はかなりピリピリしていた。昨今の騒動を考えれば、仕方ないんだろうなと思う。 列車が回送として発つまでには時間があり、名残を惜しむ間はあった。妻も列車が出て行くのを見送ろうと言ってくれたが、私は何だかいたたまれない気分になってきた。警備している人たちの顔を見ると、そこにいるのが申し訳ないような気がした。また、リネンの整備に忙しく立ち働いている人たちの邪魔にもなるだろうと思った。それで妻を促して、回送列車が発つ前に14番線を後にした。私たちの寝台特急「北陸」の旅は、これで終わった。 廃止ぎりぎりにはなってしまったが、いつか乗りたいと思っていた寝台特急「北陸」についに乗ることができ、本当に良かったと思う。私にとっては、実際にその列車に乗ることが、何よりのことである。例え何百枚「北陸」の写真を撮ったとしても、どんなに巧く「北陸」の写真を撮ったとしても、私の「北陸」への想いは満たされない。でも、こうしてその旅路をしっかりと心に刻むことによって、私はこの寝台特急の記憶を永遠のものにすることができたと思う。妻と二人で旅したこの寝台特急「北陸」のことを、私はずっとずっと忘れない。
by railwaylife
| 2010-03-08 22:12
| 寝台特急
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