寝台特急「あけぼの」の2014年春での定期運行終了が報じられたのは、昨年2013年の秋も深まってきた頃のことだっただろうか。
寝台特急のそういう知らせに接したとき、それまでであれば「幼い頃から憧れ続けた列車に、いま一度乗るのは無理にしても、せめて万感の想いを込め見送りに行きたいものだ」などと言い出して、終着駅なり沿線なりへ出かけていただろう。
しかし「あけぼの」に関しては、そういう気が一度も起きなかった。
最近の私は天邪鬼で、皆が注目すればするほど、注目したくなくなるところがある。
そんなわけで、きちんと「あけぼの」を見納めることもなく、今年春の定期運行終了を迎えることとなった。
でも、心のどこかには「できるならまた「あけぼの」を見に行きたい」という気持ちがあったというのが正直なところである。
それで、春以降に「あけぼの」が臨時列車として走り出したとき、一度でいいから見に行きたいなあと思うようになっていた。
ただ、夜が明けてから見られる上りでいうと、臨時列車は定期運行時よりもダイヤが早くなり、私の家から見に行くとすると始発電車で出かけなければいけないくらいの時刻になってしまった。
それで、せっかく日の長い夏の時期の運転期間を迎えても、そこまでして見に行くものだろうかと思ったし、それ以前にそんなに早く起きられるだろうかという問題もあった。
だが、真夏は暑くて寝苦しいものである。それで、始発電車に乗れるような早い時間に目が覚めてしまったことがあった。
この時間に起きてしまったのなら仕方ない、始発に乗り「あけぼの」を見に行ってもいいかな、なんて思った。もっとも、目が覚めてから起き上がって身支度をし家を出て、始発電車に乗り込むまでの段取りがやけにスムースだったことを考えると、この行動がかなり計画的だったことがわかる。
ともかくも「あけぼの」の終着上野駅方面へ向かい、兼ねてから出迎えるならここと心に定めていた日暮里駅近くの場所へ向かった。あまり時間に余裕ないので、駅近くで眺められる場所を選んだ。
そこへ行くと、すでに二、三人がカメラに三脚をセッティングして「あけぼの」を待ち構えていた。その人たちの邪魔にならぬよう、私は立ち位置を決めた。
しばらくの間、行き交う新幹線や常磐線や京成線の電車を眺めていると、寝台特急「あけぼの」は現れた。
編成こそ少し短くなったものの、定期運行時代と変わらぬ出で立ちで、列車はぐんぐん迫って来た。
もう終着が近いから、その旅路を惜しむかのようにゆっくり過ぎて行くのではないかと思っていたが、それは待ち構える側の勝手な願望であった。列車は特急らしく、颯爽とやって来た。
機関車を見送った後、足元の跨線橋下へと吸い込まれて行く青い客車をじっと見送った。残念ながら、その客車の傷みが以前より際立って見えた。
そんな客車もあっという間に視界から消え、寝台特急「あけぼの」の見送りは何ともあっけなく終わってしまった。まさにそれは真夏の朝の夢のごとくであった。
列車が走り去った後も「あけぼの」の余韻に浸っていると、三脚を構えていた人たちはたちまちに片付けをしてその場を後にした。一人残った私は、もう少しその場で行き交う列車を眺めることにした。
寝台特急「あけぼの」 東北本線上野駅~尾久駅にて
2014.8.2