相模の旅2012初夏 前編
2012年4月、桜花を見に「相模の旅2012桜」という旅に出かけたが、その旅日記の帰途のところにこんなことを書いていた。
帰りしな、早川駅を出たところでふと想ったことがあった。それは、今度ここへ来るときは、桜とか、あじさいとか、そういうものが何も咲いていない時期がいいな、ということである。 桜やあじさいが咲いていたら、ついついそればかり見てしまう。でも、花だけではなく、この相模の海沿いのさまざまな風景を目にしたい。そういう意味では、花など咲いていない方がいいように思えてきた。でも、私はきっと馬鹿だから、またあじさいが咲いているときに来ちゃうんだろうな、という気はした。 自分のこととはいえ、馬鹿というのはあまりいい言葉じゃないなと思ったりもするが、それを何と表すかは別として、ここに書いてある通りのことになった。 つまり、紫陽花が咲いているときに、また相模を旅したということである。桜の旅から二ヵ月半後、2012年6月29日のことだ。 別に春の旅日記にそう書いたから旅をしたわけではない。ただ、相模の紫陽花が見たいというその想いのままに旅をしただけであった。 その結果、たしかに花ばかりに目が行ってしまったが、海沿いの風景もけっこう楽しめたと思う。 そんな旅の日記を、ここへ載せていきたいと思う。 二ヵ月半ぶりに相模へ向かうために選んだ列車は、その名も「さがみ」である。 思い入れのある東海道本線の相模湾沿いの区間へ向かう旅をいつも「相模の旅」と名付けている私にとって、このロマンスカー「さがみ」はその相模へ向かうのにうってつけの列車であった。 ただ、この列車で行こうと思い付いた理由は、まったく別のことからであった。 その理由は、どうでもいいことと言えばそれまでなのだが、どうでもいいことというのはやがて忘れてしまうものなので、ここに記しておきたいと思う。 この旅に出かけたのが2012年6月29日であったが、その二日後の7月1日に「ブログ六年」という記事が載っている。それは、このブログが六周年を迎えたことを自分なりに記念する記事であったが、そういう記事を載せるとしてどんな写真を添えたらいいかと、少し前から悩み始めていた。 そんなときにふと浮かんだのが、小田急ロマンスカーMSEであった。 MSEの車体には、車両ごとに号車番号が二桁で大きく書かれている。その号車番号のうち6号車に書かれた「06」という数字が、私の「ブログ六年」を表すのにちょうどいいのではないか。そう考え始めた。 では、その「06」をいつどこで捉えるか。それを調べるためにMSEの時刻表を紐解き始めた。 ちょうど相模へ行きたいという想いが強まってきていたから、そのときに小田原駅の小田急線ホームへ寄って撮るのもいい。あるいは、仕事帰りにちょっと新宿駅の小田急線ホームへ寄って撮ってもいい。そんなふうに考えていたが、時刻表を調べているうち、どうせならこのMSEに乗っちゃったらいいんじゃないか、という気がしてきた。たしかに、以前から魅力を感じていた車両である。 そういうわけで、今回の「相模の旅」の往路は決まった。ロマンスカーMSEで運転されている「さがみ」63号という列車で、新宿から小田原へ向かう行程である。 そしてその旅立ちの駅は、期せずして私の日常における最たる場所の一つでもある新宿駅となった。日常の只中に旅の入口がある。そこにも大きな意味があった。 ところが当日、その新宿駅そして日常から脱け出すのがなかなか大変なことになってしまった。朝方、常磐線の日暮里駅で人身事故が発生し、都心の鉄道で広範囲のダイヤ乱れが起きてしまったからである。 常磐線のダイヤ乱れは新宿駅と何の関係もないようでもあるが、そんなことはなかった。事故が起きたのが日暮里駅であったため、そこを通っている東北本線や高崎線も一時運転見合わせとなり、遅れは湘南新宿ライン、さらには山手線、京浜東北線にも及んだ。そして、常磐線と相互乗り入れしている地下鉄千代田線、さらには小田急線にも波及した。そこに信号トラブルか何かも絡んだようで、新宿到着の小田急線電車にもだいぶ遅れが出ていた。 そのため、小田急線のホームに降りてきた乗客たちは皆一様に急いでいて、朝の混雑が余計に慌しくなっていた。そんな中、一人ベンチに腰掛け呑気に旅立ちへの想いを膨らませている私は、何だか申し訳ない気分にさえなってきてしまった。ただこの日は有給休暇を取った上でのことではあったので、そんなに小さくなることもなかった。 その後、一本前のロマンスカー「はこね」11号のEXEが遅れて発車していくのを見送ってからしばらくすると、折り返し「さがみ」63号となるMSEがやはり遅れて入線してきた。 普段であれば、すべての車両の車内整備が終わったところでうやうやしく車内に迎え入れられるという段取りのはずであるが、この日は整備が終わった車両から乗り込ませるという特別措置で慌しく乗車となり、指定された席に就くとすぐに発車となってしまった。旅立ちをじっくり味わうという余裕など、まるでなかった。 それでも、この「さがみ」は小田原止まりということもあってかずいぶん空いていて、ゆったりとした気分になることはできた。それに、新宿駅ホームの喧騒から逃れられたというだけでもホッとするものがあった。 それから、車内はとても清々しい感じであった。ふと銘板を見ると製造年に「2012」の文字があった。この年になって増備された新しい車両であった。それで余計に気分が良くなった。 ただ、新宿駅の暗がりから勢いよく飛び出してはみたものの、二つ目の参宮橋駅にかかるあたりから超徐行になってしまった。前に電車がつかえているためであろう。もどかしい想いであったが、一ついいことがあった。それは、小田急線沿線で一番良く目にする紫陽花を、車窓からじっくりと眺められたことである。代々木八幡駅手前のところだ。 いつもは花越しに電車を見ている場所だが、この日ばかりは車窓越しに花を眺めることができた。しかも、相模へと旅立つときにである。これは、ここの紫陽花の最高の眺め方ではないか。そんな気がした。 やがて代々木上原駅の高架にかかると、朝からどんよりしていた空が明るくなっているのが見えてきた。ただ、列車は相変わらず鈍足で、地上に戻ってシモキタの街をじっくりと見せ付けられた。 それでも、複々線区間に入るとようやくにスピードアップした。都心からも、混雑からも、ダイヤ乱れからも、日常からも脱け出せた気がした。 そんな気分のまま、家の近所のおにぎり屋さんで買っておいたお気に入りのおにぎりをほおばった。いい時間だなと思う。 新宿駅を出て約二十分、多摩川に差し掛かった。 白い川だ。梅雨時らしい風景であった。 さて、多摩川を渡って登戸駅をすり抜けると複線区間に戻る。そこで、新宿駅を発って初めて列車が完全に停まった。信号待ちのようであった。ダイヤの乱れはまだ続いているようだったが、程なく列車は動き出した。 ここから先はこれまでの高架と異なり地上区間となるので楽しみがあった。沿線風景が目線の高さに来るから、車窓に紫陽花がたくさん見られるのではないか、という期待である。 しかし、私のその期待をはるかにしのぐほどの紫陽花が車窓に次々と現れた。ここにも、あそこにも、あっちにも、こっちにも、花はあった。もちろん、色付き、咲き具合、線路からの近さや見え方はさまざまであった。でもそのそれぞれが良いとか悪いとか、そんなことはもうどうでも良かった。ただ、車窓に花がある。そして、それを眺める私がいる。それだけで最高であった。 そうやって楽しんでいる途中、列車は新百合ヶ丘・相模大野と停車していった。ダイヤの乱れはまだまだ続いているようで、駅のホームにはロマンスカー以外の電車を待つ人がけっこうたくさんいた。ガラガラの車内に乗り込んでいる方としては何だか見せ物のようで、ちょっと恥ずかしかった。 やがて海老名駅を過ぎたあたりから、田植えの終わったばかりの水田を見下ろすようになった。そのうちに空も明るくなってきた。そして、いくぶん青みを含んだ相模川橋梁に躍り出る。ここは多摩川橋梁と違いトラス橋梁である。トラスのある橋梁の方が、私は好きだ。鉄骨の合間から川面を眺めるのが楽しい。 本厚木駅を過ぎると水田がさらに広がっていった。風景は開けてゆく。雲間も開けてゆく。そして、心も開けてゆく。そのさまを表すかのように、薄日も差し始めた。 そして、伊勢原駅を過ぎると薄日どころか完全に日が照り付けてきた。紫陽花を見る旅にしては天気が良くなり過ぎたな、なんてちらっと思ったが、すぐに考え直した。どんな天気でも、花を楽しむことである。 やがて渋沢駅を過ぎると、線路は谷間へと入った。東海道本線で小田原へ抜けて行くときにはない山深さである。車窓にふと見えた「四十八瀬川」なんていう看板がそのことを表していた。 谷間を抜け新松田駅を過ぎると、酒匂川の広い川原に出る。すっかり晴れ間の広がる空の下に川はあった。その川を渡り切ると開成である。ここは紫陽花の名所のはずである。線路沿いの公園にも多くの花が見えた。もちろん、いつかはじっくり見てみたい場所である。 開成の花を想ううち列車は小田原の市街に入っていた。いよいよ終着の小田原駅到着である。到着直前の車内放送では、12分遅れでの到着という案内があった。 11時13分、終着の小田原駅に降り立つ。ホームでしばし列車を眺め、そこで「ブログ六年」用の写真も撮っておいた。この「さがみ」の乗車は、ブログ六周年の良い記念になったと思う。 さて、小田原駅まで来ると妙に緊張してきた。ここは、旅の目的地である相模湾沿いの玄関みたいなところだからである。身を正すような気持ちになって、東海道本線へと乗り換える。 11時28分発の普通熱海行きを待つ。やって来たのは、真新しいE233系であった。車内に入ってまた銘板を見ると、やはり製造年が「2012」となっていた。今回は新しい車両ばかりに乗るな、と思ってさらに気分が良くなってきた。 小田原駅を発ち、ちょうど一年前に訪れた小田原城を目にしつつ小峰トンネルを迎える。これを抜ければいよいよ相模の海が見えてくるのだが、空は薄曇りに戻っていた。それで車窓に現れた海の色も灰色であった。ちょっと残念な気がした。 でも、もう色なんか関係ない。ただ、ここへまた来られたという幸いがあった。たとえどんな色であっても、海が見られるだけでいい。いや、むしろこの海のすべての色を見てみたいくらいだ。 そんなことを思いながら、ロングシートに斜めに腰掛け、車窓を一心に見つめていた。すると、あることに気付いた。この座り方で車窓を眺めるというのは、ブルートレインの通路にある折り畳み椅子に座っているときと同じではないか。そう思ったときに私はもう、相模の海沿いを往くブルートレインの車内にいたと言って良い。今しも青い客車が、クネクネとしながらトンネルをいくつも抜けて海沿いを往く。きっと、こんな梅雨空の日も、あたりまえのようにブルートレインはこの海沿いを行き交っていたのだろうな。そんなことが想われた。 現実の普通列車は、いつもよりゆっくり海沿いを走っているように感じられた。それが、何となく客車に乗っているように感じられたのかもしれない。 やがて列車は米神にさしかかった。昨年も一昨年も紫陽花を見に来たところだ。それで車窓の花を探すのに懸命になってしまい、いつも見るここからの海の眺めを見忘れていた。なかなかに忙しい車窓である。 米神を過ぎれば程なく根府川駅である。この駅で数分間停車となった。 わずかな停車時間であったが、海の見える静かな駅でのひとときは長閑に感じられた。それがまさに至福のときでもあった。 いつもはこの根府川駅で下車することが多いが、今回はもう少し先まで行く。白糸川を渡ってトンネルを重ねれば真鶴駅である。春に下車したところだが、ここまで来ると日差しが戻ってきた。そして、真鶴半島の付け根を抜け見えてきた海も青くなっていた。 この先の湯河原駅にかけ、一本松トンネルを抜け築堤のカーブを過ぎたあたりから沿線に紫陽花の続く場所がある。そこを私は勝手に「あじさい街道」と名付けているのだが、今回はそれを目にするのが目的の一つであった。それで、いつもの相模の旅で訪れる場所より少し先にある湯河原駅まで乗ることになった。 その「あじさい街道」に列車がさしかかる頃にはすっかり晴れ上がっていて、車窓に次々と現れる花も日差しを受けて明るい表情であった。 そんな花々を、線路際まで行ってじっくりと見ながら花越しに往く列車の風景も楽しんでみたいものではあったが、あいにくこの「あじさい街道」沿いには道がない。ただ、湯河原駅に近い場所で線路沿いに花のあるところへは道が通じていて行くことができるので、湯河原駅で下車しそこへ行くことにしていた。二年前にも訪れたことのある場所である。 湯河原駅を出て、ロータリーから真鶴駅方面へ向かって線路沿いを歩いた。強い日差しの下で、期せずして夏の旅歩きが始まった気がした。途中の道の紫陽花も、夏空の下で眺めることになった。 タチアオイも夏空の下であった。 そして目的の紫陽花の場所へ向かえばカンナの花も見えてきて、遠くからは蝉の鳴き声まで聞こえてきた。もちろん、今年初めて聞く蝉の声であった。気温も上がってきて、まだ6月中なのにすっかり夏だなあという気がしてきた。でも、大気はまだどこか心地よく、遠くの山の緑の深さも見ていて気分が良かった。それから、木立の中からは鶯の声も聞こえてきた。 そんな風景の中で、線路沿いの花越しに列車を見送るときが来た。 二年前にも花越しの列車を見送ったことのある場所だが、そのときは雨風が強く空も暗くてずいぶんと苦労した憶えがある。それに比べると、今回は正反対のような天気であったが、どちらも両極端のような気がしてきた。今度は曇りの日に来たい。そんなふうに思えてきた。 さて、暑い中ここでは何本かの列車を紫陽花越しに眺めたのだが、その風景はこの長々とした旅日記に挟み込んでしまうのはもったいない気がした。それで、この旅日記の後に掲載する予定にしている「紫陽花列車2012」の一風景に入れるつもりである。 その「紫陽花列車2012」の風景をいくつも手に入れ、すっかり満足したところで駅前に戻り、ロータリーにあるうどん屋さんで昼食をとってお腹も満たした。 ~後編へつづく~
by railwaylife
| 2013-06-18 23:00
| 旅
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