根府川礼賛JR全線の中で、一番好きな車窓はどこかと聞かれれば、私は迷わず東海道本線の早川-根府川間だと答える。 東京在住の人間が、そんな東京から近いところを挙げるなんて、まるで井の中の蛙のようだが、これでも私は、北海道の旭川から九州の鹿児島まで、全国のJR線の6割近くには乗車している。その上での話である。 むしろ、東京から近いがゆえに、好きになったとも言える。気軽に行けるところだからである。普通列車でも東京から90分程度、横浜からなら60分程度でこの区間に到達できる。 何故この区間が気に入っているかといえば、それはやはり相模湾の大海原が見えるからだ。しかも、ただ海が見えるというのではなく、早川から下りに乗ると、行くほどに海の眺めが広がっていき、また海面との高低差が大きくなり、見下ろすような眺望になっていく。そんな風景を見ていると、本当に胸がスッとして、心が開けてくるものである。それが、東京起点90km程のところで見られるのだから、ありがたいことだ。 この辺りの東海道本線で海が見えてくるのは、下りだと小田原駅を出た列車が小峰トンネルを抜けて早川を渡るか渡らないかの頃である。ただ、海沿いには西湘バイパスの高い橋脚が続いているので、海原はまだ良く見えない。本格的に車窓に海が登場するのは、早川駅を過ぎてからである。 早川駅を出た列車は、すぐに不動山トンネルに吸い込まれる。そしてこれを抜けると、海側の視界が開け、ようやく海原が大々的に広がってくる。ちょうど西湘バイパスの石橋インターチェンジのところだ。しかし、海が見えるのも束の間で、列車はすぐに石橋山トンネルに入ってしまう。はやる気持ちを抑えつつ、外に出るのを待っていると、列車は高い橋梁上に踊り出て、車窓の海原はより広くなる。そして、眼下には石橋の家並が連なっている。ここが第一の見所だ。 だが、列車はまたもトンネルに入る。佐奈田トンネルだ。この名は、トンネル出口の右手にある佐奈田霊社に由来しているのだろう。佐奈田霊社は、源平合戦の石橋山合戦で源頼朝軍の先陣を務めた佐奈田義忠を祀っている。佐奈田トンネル出口付近は、石橋山合戦の主戦場でもある。この区間は、そんな歴史の舞台でもある。 佐奈田トンネルを出ると、道一本を隔てた向こうにずっと海面の広がる眺めになる。第二の見所だ。そして、ここで車窓後方を振り返ってみると、ぼんやりと広がる海の向こうに小田原市街が見渡せ、その先の海岸線がグッと湾曲して右側へ突き出している。小田原市街の中には、一際高い小田原城天守閣が見えるはずである。また、夜などは、この市街の灯りが、宝石をちりばめたように暗闇の中でチラチラと輝いて見えるものである。 列車はやがて米神の家並を見下ろしながら、米神山トンネルへと入る。それを抜けたかと思うと、すぐにまた次の下牧屋山トンネルに入ってしまう。ただ、このトンネルはわりと短い。すぐに抜けると、海が線路のすぐ近くまで迫っている。しかも、線路は海からかなり高い位置となっている。乗客は海面を真下に見下ろすようになる。車窓一面の海原だ。これが第三の見所であるが、すでに根府川駅が近付いていて、普通列車だと減速し始めているので、この眺めはゆっくりと過ぎて行く。そんな根府川駅到着のさまが、私は一番好きだ。そして、根府川駅に降り立てば、ホームからは相模の海を一望することができる。 このような早川-根府川間の眺めを、私は列車の車窓から見るだけでは飽き足らず、今までに何度となく沿線を歩いている。相当に思い入れの強い区間である。 それだけ想いを強くした理由には、ここを憧れの九州行きブルートレインが通っていたということもある。ブルートレインに乗車したときは、相模湾の眺めが何よりの楽しみであった。上り列車だと、ちょうど相模の海に朝日があるときに通ることになる。ギザギザとした波が金色に輝き、海原に一本の道を作る。そんな朝日に顔をしかめながら、海の眺めに見入ったものだ。また、下り列車では日が暮れてからこの区間を通過することばかりであったが、それでも私は、漆黒の相模の海を毎回じっと見つめていた。そして、根府川駅の駅名標の灯が黒い闇に白く浮かぶのを目にしたとき、自分の憧れの区間を憧れの列車で通っているという幸いに浸ったものである。 こうした相模の海への憧れを、私は以前から妻にも伝えていて、いつか一緒に早川-根府川間の車窓を眺めたいと思ってきた。しかし、近くていつでも行けると思うがゆえになかなか行く機会がなく、月日は流れてしまった。それでもようやく、一昨日5月2日に、二人で根府川へと向かうことになった。 東京駅から普通列車のグリーン車二階席に乗ってきた私たちは、日差しを避けて右窓側の座席に座っていた。しかし、海が見えてくるのは左窓側なので、列車が早川駅に着いたところで私は妻を促し、二人で左窓側のドアのところに行って海の眺めに備えた。 列車が早川駅を出て、最初の不動山トンネルを抜けたところが海の眺めの始まりである。よく晴れたこの日は、期待に違わぬ青々しい海原が車窓に現れた。その青色が、トンネルを重ねるたびに広く広くなっていき、車窓を埋めていく。そんな眺めに、妻は「すごい、すごい」と歓声をあげていた。私は「どうだ」と言わんばかりに胸を張っていた。 そして私たちは、根府川駅に降り立った。海の見えるこのホームで、しばしぼんやりと過ごすためである。 一番海側のホームに行くと、海原を背景にして八重桜がまだ咲き残っているのが見えてきた。そんな花を見たり、過ぎ行く列車を見送ったり、海の眺めに浸ったりして、私たちは何となく過ごした。何があるわけではないけれど、青い海原と海風と線路があるだけで良かった。そんな景色に見とれている私の顔を見た妻は、私に「嬉しそうだね」と言った。そういう妻も、もともと海を見るのが好きなので、この駅の眺めをけっこう楽しんでくれたようだ。一緒に来て良かったと思う。 帰ってから調べてみると、根府川駅に降り立ったのは、ちょうど三年ぶりのことであった。三年前の同じ5月2日に「根府川の海」という記事を書いたときに行って以来のことである。根府川駅には、もっと頻繁に行きたいものだと思った。 ところで、そのときの写真と、今回撮った写真を見比べていると、私はある変化に気付いた。それは、根府川駅の駅名標が国鉄式からJR式に変わっていたということである。いつ変わってしまったのかはわからないが、ちょっと残念なことであった。しかし、私の根府川への憧れは少しも変わるものではない。これからも、この眺めを心の拠りどころとして、生きていきたいと思う。 東海道本線根府川駅にて 2010.5.2
by railwaylife
| 2010-05-04 12:44
| 駅
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Comments(2)
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やままさ鉄
at 2010-05-05 08:30
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お疲れ様です。
奥様と小田原旅、素敵ですね。 東京始発に乗る・・それがグリーン車ならなおさらですが、心同じく?東海道線に乗るマナー・・いや、儀式だと。。 私はいつも貧乏旅なので、せめて進行方向左側のクロスシート&&窓際がキープできれば・・。 根府川駅は、railwaylife様の心の駅なのではないかと。 いすみ鉄道の社長さんが、人間には心の駅があるのではと、ブログに書いてらっしゃいます。 なんでも北海道釧網本線のとある駅隣接の土地をお持ちだとか。 年に何度かここを訪れると、自分の駅に帰ってきたような暖かい気持ちになるそうです。 築地生まれの深川育ちの私にとっての心の駅は、幼少期の旅の出発地であった両国駅、1日中心をときめかせてくれた上野駅ですが、そういうのじゃなくて、今、いすみ鉄道の国吉駅が心の駅になりつつあります。 華やいだものは何もないけど、そこには、いすみ鉄道を愛するたくさんの方がいるんです。 TDLのウェスタンリバー鉄道や各地のSL以外に、出発する列車に手を振ってくれる鉄道なんかそうそうありません。 この駅で、鳥や蛙や虫の声を聞いて、山々に目をやればヒーリング効果も絶大です。
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railwaylife at 2010-05-06 00:24
やままさ鉄様、ありがとうございます。
心の駅、良い言葉ですね。 たしかに私にとって、根府川駅は「心の駅」なのかもしれません。 いつでも、相模の海の景色を思い起こしています。 そして、その海沿いを走るブルートレインのことを思い出します。 自分の駅、などと言ってはおこがましいかもしれませんが、心のよりどころであることは確かです。 いすみ鉄道の国吉駅、ぜひ降りてみたいですね。
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