曇天Sトレイン

 この2017年は、すっきりしない天気の日が多い。

 だから、今年の春デビューした「Sトレイン」も、すっきりしない天気の日にばかり目にしている気がする。
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 でも、こういう日の風景を積み重ねていくことも、この列車への憧れを強くしていくための大事な儀式である。

 いつかこの列車で、秩父まで一直線に行ってみたい。


1枚目 西武40000系電車 東急東横線多摩川駅~新丸子駅にて 2017.7.30
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枚目 西武40000系電車 東急東横線多摩川駅~新丸子駅にて 2017.8.20
# by railwaylife | 2017-11-13 23:45 | 西武 | Comments(0)

衝撃に備えよ

 東急東横線祐天寺駅はもともと2面2線の構造であったが、2015年度から改修工事が始まり、この春に2面3線の構造に生まれ変わった。上下線の本線の間に通過線が新設された形である。この通過線は下り線・上り線とつながっているが、普段は上り線の優等列車が通るようになっている。祐天寺駅に停車しない特急・通勤特急・急行・およびSトレインが通ることで、ホーム上の安全性が向上した。

 また、春のダイヤ改正から朝の通勤ラッシュ時には優等列車が各駅停車を追い越すようにもなった。朝の慢性的な遅れを解消する目的もあったのだろうが、この区間を各駅停車に乗り通勤で利用している私としては、通過待ちの発生によりかえって所要時間が増大するのではないか、という不安がダイヤ改正前にはあった。

 だが、蓋を開けてみると、私が普段通勤で利用している8時台前半から中盤にかけては通過待ちが設定されていなかった。一番混雑する時間帯で、ただでさえ電車のダイヤが詰まっているので、通過待ちを設定するのが難しかったのだろうか。何にせよ、通過待ちによる通勤時間の増大という事態は避けられた。

 だが、この通過線の増設により、別の不安が生じるようになった。



 通過線の新設により、祐天寺駅の前後には本線上に分岐器が設置された。その分岐器は、昨年夏頃に取り付けられたと思うが、そこを通過するときに電車が大きく揺れるようになった。

 今まで揺れることのなかったところで急に揺れるようになったから、乗客は無防備であった。ちょうどその揺れが起きるようになったのがポケモンGOが流行っていた頃で、ある朝私はそこの分岐器通過時、となりにいたポケモンマスターに思い切り足を踏まれてしまったことがあった。

 以来、祐天寺駅発車後の揺れが恐ろしくなってしまった。

 分岐器ができてから程なくして、祐天寺駅停車時に車掌が「発車しますと揺れますのでご注意ください」というアナウンスを入れるようになった。でも、それを聞いている乗客がそれほどいるとは思えない。だから分岐器通過時にどんなことが襲いかかって来るか、相当気を付けるようになった。

 そして、自分自身も揺れで倒れないように吊革や手すりにつかまることはもちろん、足腰にも相当力を入れて備えるようになった。

 そういった一連の動きを、祐天寺駅に到着したとき条件反射的に行うようになった。そして、いよいよ電車が駅を発車するときには「衝撃に備えよ」と頭の中でつぶやき、緊張しながらその瞬間を迎えるようになった。

 ただ、朝のラッシュ時は電車が詰まってしまうことが多い。特に中目黒駅手前では電車の滞留することが多いので、祐天寺駅を発車するときも「そろ~り」と出ることが多い。そんなときは、衝撃に対して相当備えたのにあまり揺れなかったりして、拍子抜けしてしまうものである。

 ただ、ごく稀にびっくりするほど電車が時刻通りに動いたときなど、たとえ朝でもけっこうな勢いで分岐器を通過していくものである。そういうとき、乗客は慣れないものだから、大きな揺れに対してけっこうな混乱が起きたりする。

 そんなことが時々あるだけに、祐天寺駅の発車時は気が抜けないものである。
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# by railwaylife | 2017-11-04 22:20 | 東急 | Comments(0)

E351系のこと

 E351系のことは、書かねばなるまいと思った。

 先日ニュースで、来春での引退・廃車が明らかにされたからである。

 これまでE351系が充当されていた中央本線の特急「スーパーあずさ」用の後継車両として、新型のE353系がいよいよ投入されることは事前に発表されていた。だから、E351系が「スーパーあずさ」の任から降りることははっきりしていた。

 ただ、E351系は多客期の臨時列車運用などの波動用に回り、現在波動用として使用されている国鉄型の189系が引退するのではないかと思っていた。それでむしろ189系の先行きの方に不安を抱いていて、先日発表された冬の臨時列車の資料では、189系がいつまで走るのだろうと気にしたりしていた。

 そんなところに、E351系は来春で引退・廃車というニュースがあった。波動用にも回らず、そのまま廃車になるということである。

 この報せには驚きがあったが、考えてみるとE351系はもうデビューから四半世紀近くにわたって中央本線の特急列車のエース的存在を担ってきた。さすがにだいぶ傷んできているのだろう。

 でも、そのE351系には格別の思い入れがある。

 数年前のこと、一年間だけ通勤で中央本線の新宿-荻窪間を利用していたことがあった。その頃はいろいろあって、すぐにでも日常を逃れ中央本線でずっとずっと遠くへ行ってしまいたいと、いつもいつも想っていた。

 その私の願いを乗せるのが、他ならぬE351系特急「スーパーあずさ」であった。E257系特急「あずさ」でも「かいじ」でもない。ましてや189系臨時特急「あずさ」でもない。中央本線の最優等列車であるE351系特急「スーパーあずさ」こそが、憧れの的であった。そのE351系の姿に、何度となく自分の想いを乗せ、いつか乗りたいという希望を持ち続けながら日常を生きていた。だから、私にとっては本当に大切な存在であった。

 その後念願叶って、実際にE351系に乗って旅することもできたが、今も憧れの存在であることには変わりない。いつだってE351系で旅立ちたいと想っている。

 そんな気持ちがあるから、来春で引退と聞けば、いま一度乗っておきたい、見ておきたい、撮っておきたいと思うものである。

 だが、引退が決まったからと言ってのこのことその車両のために出かけていくのは人間の悲しい性だな、と最近は思うようになっている。こういう段階になって慌ててみても仕方ない、という気がしている。

 とは言え、そういう「引退する前にもう一度」という気持ちに釣られて、久しぶりに中央本線を下ってみるのも悪くないなとも思っている。こういう機会でもなければ、どうせ日常のせわしなさにかまけて中央本線沿線へ出かけるチャンスを逃し続けるに違いないからである。 だから、E351系の所為にして、うまいこと自分を中央本線沿線へ連れ出そうと、今は企んでいる。
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# by railwaylife | 2017-11-01 23:55 | 中央本線 | Comments(0)

夜を駆ける

 雨ばかりだった今年の夏には、思い出があまり多くない。

 そんな中で、強く思い出に残った出来事が一つある。

 横浜アリーナで参加した、スピッツの結成30周年の記念ライブである。



 スピッツというバンドは今年で結成30周年であるが、デビューして26年になる。そして私は22年前からずっと熱心にこのバンドの音楽を聴いている。彼らの音楽のほとんどを、リアルタイムで聴いてきた。

 バンドの歴史は、それを聴くリスナー自身の歴史でもあると思う。昔の曲を聴けば、その曲がリリースされた当時の自分のことが思い出される。特に音楽というのは不思議なもので、昔良く聴いていたメロディーを聴くと、それを聴いていた当時のことが鮮明に脳裏に蘇ってくる。それで今回のライブは、自分の過去を振り返る機会にもなった。

 ところでスピッツは、今回のツアーに先立ち、これまでのシングル曲が集約されたベストアルバムが発売していた。それで今回のライブもそのアルバムに収められたシングル曲が中心になるのではないかと思っていた。しかし、蓋を開けてみるとシングル曲にこだわらず、新旧織り交ぜたさまざまな曲が演奏された。

 シングル曲はもちろん好きだし、気に入っている曲も多い。ただ、どんなバンドでもアルバムに収められたあまり有名でない曲にそのバンドの音楽の神髄を感じるようなことがある。今回はまさにそんな曲もいくつか演奏された。

 その曲順はもちろん、リリースされた順になっているわけではない。彼らがいろいろと意図した上での順番であろう。それで、曲ごとにそれを熱心に聴いていた頃の出来事が思い出されるから、自分の人生の思い出を行ったり来たりするような感覚であった。当時通っていた学校、バイト先、勤め先の情景などが、次々と浮かんでくる。まさに走馬灯を回すかのごとくであった。ライブが進んでいくにつれ私は走馬灯を回し過ぎだ、とさえ思った。

 そんな中、ライブ中盤で「夜を駆ける」という曲が始まったときには、頭の中で「あ、あの曲か」と認識するまでもなく、途端に青森のことが想起された。確かにその曲がリリースされた年、私は青森を旅していた。ただ、ライブが終わってから調べてみると、実際には青森を旅してから一ヵ月後にリリースされた曲であった。でも、その当時の一番の思い出である青森の旅と強く結び付いていたのだろう。それにしても「あぁ、この曲が出た頃に青森を旅したことがあったな」ということを認識する以前に、イントロのピアノ音を聴いただけで青森のことがパッと思い浮かんでくるとは、自分でも恐ろしくなってきた。

 そうやって、その時々で自分が熱心に聴いていた曲は、いわばその当時の自分にとっての主題歌でありテーマ曲である。身勝手な言い方をすれば、十年とか二十年前のそういう主題歌やテーマ曲を、今になって生で聴けるのは贅沢だなと思った。それができるのも、このバンドが長く活躍し続けてきたからこそである。そのことには、本当に感謝したいと思った。

 ところで、この日の座席は、スタンド席の3階、しかもだいぶ端の方であった。ステージを右下に見下ろすような位置である。

 アリーナ席であれば当然、みな立ち上がってノリノリになるわけだが、私のいたスタンド席のあたりの観客はほとんど皆ずっと座ったままであった。もちろんそれぞれに手拍子を打ったり振付を楽しむ人もいたが、ずっと座っていても良かったのはありがたかった。私はステージをじっと見つめ、一曲一曲を大事に想いながら、ずっと聴き入っていた。ライブの場合、参加するというイメージが強い。ただ音楽を聴きに行くというより、バンドと一緒に歌ったり踊ったりすることがライブの楽しみである。でも、この日の私はまさに聴きに行ったという感じであった。それもまたライブの楽しみ方と言える。それだけに、この日のライブは思い出深いものとなった。

 特に、このステージでは、ヴォーカルの草野マサムネの声がとてもよく通っていた。もちろん、歌は上手い。バンドの奏でる音も良かった。ライブでは聴く位置や会場の設備によって音のバランスというのはなかなか難しいものだが、ヴォーカルの声が良く通っていたのは何よりのことであった。本当に、いいライブであった。

 そしてそんな素晴らしいステージを通して、自分の半生を振り返る時間にもなった。わりと初期の頃の曲が多かったから、私も自分の若い日のことを思い出すことが多かった。そうやって振り返ってみると、自分はなんてダメな若者だったんだろうなという気がしてきた。

 若き私はいつも遠慮がちで、何事にも中途半端であった。もっと学問なり、サークルなり、趣味なり、バイトなり、恋愛なりに、のめり込めば良かった。のめり込みもせず、どこかイジイジとしていた。自分でもやるせなかっただろう。でも、そんな自分のそばにスピッツの楽曲があった。そして、自分を救ってくれた。

 そして今も、スピッツの楽曲がそばにある。





 私が青森を旅したのは2002年8月のことである。その年の12月、東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸開業するのに伴い、同区間の在来線の東北本線は第三セクターへ切り離されることになっていた。そして、そこを通っていた寝台特急のうち、青森行きの「はくつる」が廃止されることも決まっていた。その「はくつる」に乗り、私は青森へ向かった。
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 そして今回のライブで聴いた「夜を駆ける」が収録された「三日月ロック」というアルバムが発売されたのが2002年9月であった。青森の旅の途上で「夜を駆ける」を聴いていたわけではないのだが、その時期の私の思い出として、青森を旅したことが脳裏に強く残っていたのだろう。つまり、私にとって「夜を駆ける」のは、まさに廃止直前の寝台特急「はくつる」であったということになる。

 夜を駆ける 今は撃たないで
 滅びの定め破って 駆けていく


 きっと、今年リリースされたスピッツの曲をあと何年かして聴いたとき、今の自分のことが思い出されるだろう。そのとき、どんなことが想起されるだろうか。

 青森のことを思い出した「夜を駆ける」のように、どこか思い出深い旅をしたときのことが思い浮かべられるようでありたいと、いま願っている。


寝台特急「はくつる」 東北本線青森駅にて
2002.8.9
# by railwaylife | 2017-10-31 23:15 | 寝台特急 | Comments(0)

車内のドアの話

 毎朝の通勤で利用している電車は、乗るときはけっこうぎゅうぎゅうだが、途中いくつかの乗り換え駅でだんだん空いてくる。それで、乗車のうちの後半は座席に就けることが多い。そのときによく座る場所が車両の一番隅である。やはり、人間というか生き物は隅っこが好きなものである。

 そうやって隅っこに座ると、すぐ目の前にとなりの車両との境のドアがあり、そこを開け閉めする乗客の姿を目にすることになる。

 電車が動いてる間に、車両間を移動する乗客は多い。特に朝は、急いでいる人たちが降車駅に着くまでにその駅の階段やエスカレータに近い車両へと移動しているのだろう。

 そういう人たちを見ていると、車両の移動をするときにはだいたいの人が開けたドアを閉めないで行ってしまう。急いでいるからそれどころではないのかもしれないが、開けっ放しで行ってしまう人は家や職場でも開けたドアを閉めなかったりするのかなあ、なんて私は考えたりしている。

 ただ、最近の車両のドアは取っ手のところに「自動で閉まります」と書いてあったりする通り、人が閉めなくても勝手に閉まるようになっている。どういう仕組みになっているのかはわからないが、たいていは電車がカーブして傾いたときなどにぴたっと閉まる。
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 もっとも昔の車両は、車両と車両の間にドアなどないこともあった。京王井の頭線を昔よく利用していたという知人が話してくれたことがあったが、当時の井の頭線の電車は車両の間にドアがなくて、その継ぎ目も広く開いていたから、端の車両に乗っていると反対の端の車両まで車内が良く見渡せたという。座席に座っている乗客の足がずらっと並んで見える。そんな光景が、昔の井の頭線の一番の記憶だそうだ。

 最近の車両は必ずドアが付いているし、先に書いたように自動で閉まるようにもなっている。以前に何かで読んだことがあるが、車両間のドアを閉めるのは、ある車両で火災が発生したときに他の車両へ延焼するのを防ぐ目的があるらしい。だから、やはり開けたドアは閉めておくのが正しいのかもしれない。

 と言っても、私は電車が動いているときに車両を移動するのはあまり好きではないので、通勤電車ではドアの開け閉めを気にすることはほとんどない。



 ただ、寝台特急に乗ったときは、よく車両の間を移動したものであった。
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 食堂車やロビーカーが付いていれば、その車両へ移動することがあった。また、途中駅で機関車の付け替えがあるようなときは、その駅に着く前に先頭の車両まで行っておいて、付け替え作業を見るのに備えたりしたものだった。特に自分が個室寝台に乗っているときは、個室に施錠すれば心おきなく列車内を移動できた。

 そんな移動のとき、車両間のドアが寝台の種類によって違ったりして面白いものであった。また、寝台列車の場合はデッキから客室へ入るところにもドアがあるので、車両を移動するときは開け閉めするドアが多く大変だった。もちろん、そのときは開けたドアを必ず閉めるように心掛けていたし、個室寝台車両のドアには自動のものもあった。初めてそのことを知ったときは感動したものであった。

 いま、食堂車やロビーカーの付いている列車に乗ることはないし、機関車の付け替えが途中であるような列車もない。だから、車両の移動をするということもほとんどない。

 乗車中に車内のドアを行き来するのは、せいぜい新幹線や特急列車で、車両端の洗面所へ行くときくらいである。それも最近はだいたいが自動ドアだから、開け閉めを気にする必要もない。

# by railwaylife | 2017-10-28 10:00 | その他 | Comments(0)